王都シリーズU
王都人形騒乱録
王都シリーズT『王都猫狩始末記』へ
登場人物紹介1へ
登場人物紹介2へ
プロローグ 後に発端と想起されることになるとある家庭の事情
陽光が溢れかえり、風が優しく肌を撫でて通り過ぎて行く。主にその種の興味が全くないらしく、あまり手入れの行き届いていない庭、しかしそれだけに、ここは子供達にとって格好の遊び場になっているようだった。何しろ木に登っても池に踏み込んでも誰も文句は言わない。
「あのう、タンジェスさん。ちょっと相談したいことがあるのですが」 それが事件の始まりを告げる台詞だったと、タンジェス=ラントは後に回想することになる。現実としてはこの発言とその事件との間に因果関係など全くなかったのだが、しかしどうしても一連の出来事のように感じられてならないのだった。
「俺に?」
上着を脱ぎながら聞き返す。用事を終えて下宿先に帰って来た直後のことである。相手は大家の一人息子、サームだった。
「はい」
こくりとうなずく頭の位置はタンジェスの腰より下、まだ少年と言うより幼児と言った方が似合う年齢の男の子だ。しかしそれだけで、タンジェスは邪険にしようとはしなかった。別に子供好きのつもりもないし、世話になっている人の子供だからといってご機嫌を取るほど卑屈になろうとも思っていない。彼はこのサームを一人の男として、敬意を払っているのだ。
つい先日の一件である。この子は、飼い猫がいなくなって泣きながらそれを探している少女と出会った。そしてその見ず知らずの少女のために幼いなりに力を尽くし、そして親から出された禁足令を破ってまで自力でその猫を見つけ出したのだった。その根性、粘り強さ、何より男気を、タンジェスは評価しているのである。それ以外にも利発で礼儀正しくてと、誰にでも好かれる良い子である。
親の言い付けを破った事については少々問題も残るが、それは自分が口を出すべきではないと思っている。何しろその親からは、後で相当きつく叱られたらしい。つまりは家庭の問題なのだ。本人も深く反省しているので、タンジェスとしては責めようと思っていない。
「若旦那やエレーナさんじゃ駄目なのかな?」
聞く態勢に入りつつも、タンジェスは一つ保留した。若旦那とはサームの父親、エレーナとはそのもとで働いている女性である。二人ともまだ少年と言えるタンジェスよりは年上で、最近下宿を始めたタンジェスとは付き合いの長さも違う。この前の一件では厳しく叱責されたが、それでも仲が悪くなったりはしていない。逆に言えばそれだけ信頼関係が強いのだ。当然、何か相談があるのならそちらに行くはずである。タンジェス自身自分がそう信用のできない人間であるとも思っていないが、それでも疑問の残る所だった。それにいい加減に扱いたくないだけに、自分より頼りになる人がいるのならそちらに回した方が良いように思える。
「はい…ちょっと」
年齢に似合わぬ複雑そうな視線を、サームは庭で遊ぶ友人たちに向けた。当然、同年代の子供達である。男の子と女の子が半々ずつ、という構成だ。
「ま、俺で良ければできる限りのことはするけど」
長剣を剣帯から外して傍らに置いてから、タンジェスは庭を見渡す位置に置かれた椅子に腰を下ろした。こういう所は綺麗に掃除されている。高さが合わせられて話しやすいので、サームは立ったままである。
「それで、なのですが」
「ああ」
基本的に利発でしっかりした子が言いよどんでいる。少なくとも当人はかなり深刻に悩んでいるようだ。落ちついた様子を装いながら、タンジェスは内心身構えていた。
「フレナさんとトリエルさんが、僕のお嫁さんになりたいって言うんです。どうしたらいいでしょう」
空が綺麗だな、とタンジェスは思った。
「フレナさんって、誰?」
一応筋の通った応対をするその声が、何故か他人のもののようだった。
「あの人です」
本人に悟られないよう小さく、サームが指差す。当然、この場にいるのだから彼と同世代の女の子だ。
「トリエルさんは?」
「あの人です」
今度は別の、やはり幼女が指差された。タンジェスはたっぷり考え込む。その間、小さな求婚者達はままごとの道具を取り合って喧嘩していた。それをサームがはらはらしながら眺めている。
「とりあえず三人とも、まだ結婚するのは早いと思うけどな」
考え込んだあげく、結局常識に逃げ込んだ。所詮動作不良を起こしている頭で良い返答が浮かぶはずもない。それでもサームは神妙にうなずいた。
「はい、僕もそう思ったのですが、それなら大きくなったらどっちをお嫁さんにするのかって」
ふと、タンジェスは気がついた。あれは単にままごとの道具を取り合っているのではない。「お嫁さんの役」とそれに必要な道具を取り合っているのだ。
確かにサームは一回り年の違うタンジェスが認めるほどの人格、能力を有しているし、容姿も良い。子猫を思わせる愛くるしい顔立ちである。だからと言って…。顔を引きつらせながら、それでも何とか笑って見せる。
「それじゃあ、まあ、君が好きな方を選ぶしかないんじゃないか」
しかしこの返答の意味が分かるほど、さすがのサームも大人ではなかった。
「僕は別に、どちらと結婚しようとも思わないのですが」
素の表情で言う。タンジェスはこの子が冗談を口にしたり、まして嘘を言ったりするのを聞いたことがなかった。タンジェスは自分の視界が歪むのを否定できなかった。
「あ、そう言えば、この前君が飼い猫を助けたマリーズって子が結構可愛かったよね。君はあの子と…」
「え、彼女がどうかしましたか? あれから良く遊びに来てくれますけれど。今日来られないのを残念がっていました」
最後の望みを賭けたその一言を、無慈悲な無邪気さが完膚なきまでに叩き潰した。もう聞いている側としては倒れそうになるのをこらえるのがやっと、何がどう異常なのかを考える余力すらない。
「あの、やっぱりタンジェスさんにも分かりませんか」
本人、至って真面目に心配している。止めを刺されたあげく屍体を突き刺されたようなものだった。
「あーうー」
「どうしたんだ、タンジェス」
そしてこの第三の人物の声は、天の助けと感じられた。すがるように振りかえると、それは確かに神の使いとも見える人だった。
「ノーマ卿!」
やや色の淡い金髪が波打ち、白い肌が陽光に照り映える。顔の造りは繊細を極め、女と見まごうばかりの美丈夫だ。しかし背は高く、着ている物も男物、それも黒い軍衣だった。剣も帯びている。近衛騎士ノーマ=サイエンフォート卿、風雅そうな容貌と裏腹に国王の側近を務め、また王国有数の剣豪として知られる人物である。その装束から、「黒騎士」の異名を持っている。
「と、失礼しました」
精神的に立ち直った所で、タンジェスは礼儀を思い出した。相手は正規の騎士、中でも近衛騎士の格式は特に高い。対する自分は停学中の身ではあるが士官学校の学生、騎士見習の扱いを受ける。それだけでも敬礼をしなければならない相手だった。
それに個人的な借りもある。何しろ命の恩人だ。停学処分の理由は道で行き会った賊と交戦して敗退したためであるが、もしその場所にノーマが駆けつけなければ、斬られていた所だった。そして今はタンジェスの復学のために力を貸してくれている。いくら礼儀を守っても、過大になるような相手ではない。
「あ、敬礼はいいから」
気さくに笑って首を振る。地位や名誉を鼻にかけることのない、実に良く出来た人だ。
「こんにちは」
「はい、こんにちは」
親のしつけの良さをそのまま表すようにサームがぺこりと頭を下げ、ノーマが返しながらタンジェスの向かいに腰掛ける。そして問いかけてきた。
「しかし何をやっていたんだ。ずいぶんと思い悩んでいたようだったが。私で良ければ相談に乗るよ」
タンジェスは決断した。いっそこの人に全てを押しつけてしまえ、と。何しろこの人も、もて過ぎて困るという世にも珍しい人間の一人である。容姿の端麗ぶり、性格の良さもさる事ながら、何より王国最高と言っても過言ではない将来性の持ち主だ。
国王の信頼も厚く、それに応えるだけの能力を若くして有している。経験を積んでいずれ国軍の最高位に、との評価が確定しているほどだ。出身であるサイエンフォート家は王都の北方に小さな領地を有するだけで経済的にはそれほどでもないが、しかし二百年以上に渡って代々騎士の称号を受け継いできた家柄である。そして騎士階級の常識に照らして結婚適齢期に達しており、今の所浮いた話がない。
条件が揃い過ぎだ。サーム以上に同種の問題で深刻な立場に置かれているはずである。きっと明確な答えを出してくれるだろう。どうせ自分にはそんな悩みは分からないと、タンジェスとしてはちょっといじけた気分にもなったが。
「ちょっと込み入った話なんですけれどね。サーム、ノーマ卿に今のことを話しても構わないかな」
「はい、ノーマ様でしたら」
即答。全幅の信頼を込めてサームはうなずいたが、それがタンジェスには引っかかった。この二人は初対面だとばかり思っていたのだ。何しろタンジェス自身を介して、サームの父とノーマはこの前知り合ったはずである。
正面からの疑問の視線に、ノーマは困った顔をして答えなかった。知性と胆力を備えた人だが、しかし嘘をついたり白を切ったりするのはあまり得意ではないようだ。
「それで、その込み入った話とは?」
やや強引に話題を戻す。触れて欲しくない話であるらしいので、タンジェスも立ち入らなかった。余計な詮索はしない性格である。それに今は、そんなことよりもはるかに重大な問題がある。とりあえず事情を説明した。
ノーマが、止まった。今彼の視界は大きく歪んでいるに違いない。タンジェスはそれをしばらく眺めていた。
「で、どうしたらいいと思います?」
たっぷりと待ってから聞いてみる。返ってきた答えは、予想の範囲内だった。
「さあ」
嫌な沈黙が堆積する。現在タンジェスは十代後半、ノーマは二十代に達している。それが二人して、十歳にさえ遠いサームの悩みに答えを与えることさえできなかった。やがてとうとう、こんな声が上がる。
「これは御父上に相談した方がいいかもしれないな」
「ですね」
ノーマの逃げにタンジェスがうなずく。当然、サームは抗議した。何しろ父親に知られたくない話題だから、相談する相手を選んだのだ。
「そんな、しっかりして下さい」
「そう言われても」
「ねえ」
結局、いい若い者が二人して幼児を説得して、父親の所へ連れて行くはめになった。去り際、庭で遊んでいたサームの友達の中から視線が突き刺さってくるのを感じたが、タンジェスもノーマも絶対に振り返ろうとはしなかった。
サームの父親、ファルラスは奥の書斎にいた。書き物机を中心に書棚等が配された良く整理された部屋だが、それは使用人であるエレーナの功績による所に違いない。少なくともこの部屋の主が、片づけをしている所をタンジェスは一度も見たことがなかった。
「息子が何かしましたでしょうか」
二人に挟まれてやってきた我が子を前に、ファルラスは立ち上がった。ノーマともさほど年の離れていない、若い父親だ。善良で親切で、そして少し気が弱い。この前までタンジェスはそう思っていたのだが、猫の一件で見直している。無原則に甘いのではなく、子供をきちんと叱ることのできる人だ。
「いえ、別にサームはなにもしていないんですけれどね、ノーマ卿」
「うん。あ、え? 私が説明するのか?」
「お願いします。こういうことは思慮も経験もある方がなさった方がいいと思いますので」
「そんなものは関係ない、元々相談を受けたのは君だろう。責任を取るべきだとは思わないか」
「ノーマ卿だって話を聞いたからには同じ責任があると思いますよ。そもそも親に相談しようって言い出したのはあなたじゃないですか」
「それを言うなら、賛同した君の責任も同じだぞ」
「あのう…」
口論を前にファルラスは困惑するばかり、サームはふてくされて黙っていた。
結局、立場の弱いタンジェスが言い負けた。なるべく穏当に言葉を選んで話す。さすがに二人よりは年かさで子供もいるファルラスの落ちつきようは中々のものだった。何しろ茫然自失している時間がわずかだったのだから。当事者が愛息子である事を考えれば、これは驚異的とさえ言えるだろう。
「サーム、この事はお母さんとも良く話し合って決めよう。ね?」
そして出た結論は、息子にとっては酷なものであった。この種の問題に女親を介入させるなど絶対に避けたい、男として。それは何歳であっても変わりはない。彼は大きな目に涙を溜めた。
「ええ? お母様にですか! それだけは」
「君の将来に関わる重大な問題だ、彼女の意見も聞かないと」
「それは、分かりますけれど、せめて、お母様にだけは」
悲痛な哀願も虚しく、ファルラスはその手を引いて出て行った。息子にまでその姿勢が伝わっている礼儀正しい紳士が、残された二人に対して辞去の挨拶さえしていない。しかし二人とも、それをとがめようとは全く思わなかった。
「家族会議ですね」
「家族会議だな」
そしてそんなことをつぶやくのだった。
続く