ANTHORIZED RACEWEAR CENTRE |
Top Page-お問い合わせ |
MASERATI History Vol,2 │1│3│4│ | ||||||||||||||||
MASERATI 300S 1955〜 | ||||||||||||||||
250Fの続きです!! 250Fはその後、エンジンを2500ccから3000ccまで拡大され またV12気筒も試されましたが 結局は重量増しによるバランスの悪化により、活躍するどころか 数台が製作されるに留まりました。 そして、250Fの3000ccでスポーツカー選手権用に製作されたのが これまたマセラティ史上、燦然と輝く名車「300S」です。 確か、このモデルはタレントの堺正彰さんも持っていたような・・・・・・。 また、このモデルはヨーロッパのみならず、アメリカのスポーツカー選手権にも出場し 大活躍を果たしました。 更によせば良いのに、っというか250Fで失敗しているにも関わらず 同様に、300Sもエンジンを6気筒からV12気筒エンジンを搭載した 350Sを製作するのですが やっぱりこちらも、250F同様、恐ろしくヘビーになりシャシーバランスも悪化し 結局はこちらも数台を製作されるにも留まりました。 しかし、考えても見れば、この時期こそがマセラティとって イチバン輝ける時期だったと言えるでしょうが しかし、それはあくまでレースフィールドだけでの話でした。 いうなれば、途中から経営に参加してきたオルシの真の目的であった ロードカーの製造・販売は一向に上向かず、業績は悪化の一途を辿ります。 っというのも、この頃に生産されたマセラティのロードカー「A6シリーズ」は 複数のシリーズがラインナップされていましたが なんと全シリーズを合わせても約200台に届くか届かないかで これでは商売として成立していなかったのは明白ですよね! また、後にマセラティ社を買収し、近代マセラティの悪名高き代名詞「壊れる!」の 基礎を築き??、色んな意味での名スーパーカー「デ・トマソ パンテーラ」を世に送り出した アレッサンドロ・デ・トマゾがマセラティのテストドライバーとして、入社するのはこの頃(1955年)でした。 その後、1957年にはブエノスアイレスでのレースに ワークスドライバーに昇格し出場しています。 順風満帆なレース部門とは逆に深刻な業績不振に陥っていたロードカー部門に対し オルシは大きな業務改革を断行することを決断します。 それは会社としてロードカー部門へ専念するため、レース活動からの撤退というものでした。 そし時を同じくして、マセラティとしては久々のV8エンジン・マシン「450S」がデビューするのですが それはまた450Sでのページにお話することにしましょう! Back Page⇔Next Page
|
||||||||||||||||
当サイトに掲載されている文章・写真等の複製・使用を黙ってやれば分かりません。 The total or partial reproduction of text, photographs and illustrations is not permitted in any form Copyright 2001 All right reservrd.produced by SHINTANIYA |