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MASERATI History Vol,2134
MASERATI 300S  1955〜
250Fの続きです!!

250Fはその後、エンジンを2500ccから3000ccまで拡大され
またV12気筒も試されましたが
結局は重量増しによるバランスの悪化により、活躍するどころか
数台が製作されるに留まりました。
そして、250Fの3000ccでスポーツカー選手権用に製作されたのが
これまたマセラティ史上、燦然と輝く名車「300S」です。
確か、このモデルはタレントの堺正彰さんも持っていたような・・・・・・。

また、このモデルはヨーロッパのみならず、アメリカのスポーツカー選手権にも出場し
大活躍を果たしました。

更によせば良いのに、っというか250Fで失敗しているにも関わらず
同様に、300Sもエンジンを6気筒からV12気筒エンジンを搭載した
350Sを製作するのですが
やっぱりこちらも、250F同様、恐ろしくヘビーになりシャシーバランスも悪化し
結局はこちらも数台を製作されるにも留まりました。

しかし、考えても見れば、この時期こそがマセラティとって
イチバン輝ける時期だったと言えるでしょうが
しかし、それはあくまでレースフィールドだけでの話でした。
いうなれば、途中から経営に参加してきたオルシの真の目的であった
ロードカーの製造・販売は一向に上向かず、業績は悪化の一途を辿ります。
っというのも、この頃に生産されたマセラティのロードカー「A6シリーズ」は
複数のシリーズがラインナップされていましたが
なんと全シリーズを合わせても約200台に届くか届かないかで
これでは商売として成立していなかったのは明白ですよね!

また、後にマセラティ社を買収し、近代マセラティの悪名高き代名詞「壊れる!」の
基礎を築き??、色んな意味での名スーパーカー「デ・トマソ パンテーラ」を世に送り出した
アレッサンドロ・デ・トマゾがマセラティのテストドライバーとして、入社するのはこの頃(1955年)でした。
その後、1957年にはブエノスアイレスでのレースに
ワークスドライバーに昇格し出場しています。

順風満帆なレース部門とは逆に深刻な業績不振に陥っていたロードカー部門に対し
オルシは大きな業務改革を断行することを決断します。
それは会社としてロードカー部門へ専念するため、レース活動からの撤退というものでした。
そし時を同じくして、マセラティとしては久々のV8エンジン・マシン「450S」がデビューするのですが
それはまた450Sでのページにお話することにしましょう!

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MASERATI 300Sの主要諸元
シリンダー数&排気量 2991cc 直列6気筒
馬力 280PS/7000rpm
最高速度 290km/h
車重 750kg
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