Diary of 19th & 20th Australia | |||
2008年の滞在以降、夏休みの恒例行事のつもりで、2009年、2010年と続けてかちょー。さんのお世話になりながら、ヤプーンの地で、とびきり極上の夏休みを過ごしてきました…が、何分にも小さな町での滞在のため、やることも自然と毎回同じような感じに… ということで、2009年と2010年については、今までなかった出来事を中心に綴っていくことにします。 お付き合いください。 |
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2009年 19th Australia & 5th Yeppoon Stay | |||
1.ビザ取り忘れ この年は、日本経済が2008年のリーマンショックの傷が癒えない状態の中で、勤務先でも早期退職を募り、6月に多くの人たちが職場を後にし、僕の職場では、13人中7人が退職した。 7月から新体制での業務が始まった。2人の補充があったものの、5人純減となったわけで、文字通りの緊急事態であることに変わりは無く、当然、毎日残業の連続だった。 瞬く間に時間が過ぎ、19回目のオーストラリアに出発する2日前、仕事帰りの電車の中でうっつらうっつらしているときに、ふと、E-TASのことが頭をよぎった。 「しまった、俺、忘れてたぁぁぁぁぁ!!!!!」 …と電車の中で大声で叫びそうになる寸前で留まった…というのは大げさだが、顔が真っ青、背中に冷や汗は本当だった。 2日前だったけど、気付いてよかった。 自宅に戻ってすぐ、ネットでオーストラリア大使館のホームページから申請。 この件に限らず、忘れっぽさを自覚しだした時期の出来事だった。 2.再会 リゾートの到着早々、かちょー。さんの口から出たサプライズが、「こあらオヤヂさんが1泊しに来るので、空港への出迎えをお願いしていいですか?」 おぉぉ、すっごい久しぶりじゃん! 元々、何の予定も入れずに来たので、すぐにOKさせてもらった。 「もう何年会ってなかったんだろう?」と考えたりしたが、いざ空港に迎えにいってみると、こあらオヤヂさん、全然変わってなかったので、すぐ分かった。 こあらオヤヂさんを無事にリゾートまで運び、暗くなるのを待って、かちょー。さんと3人で、ヤプーン随一の名店、鶴家でうまいものを食べまくった。 そう言えば、こあらオヤヂさん、焼き魚でエラい喜んでいたような気がする。 日本では魚は焼いて当たり前だけど、こちらは魚は揚げたヤツが殆どだもんね。 翌朝は少し早めに起きて、Wetland Tour、つまり湿地帯の探検に出かけた。 Capricorn Resortに滞在したゲストたちの記憶に残るであろうゲスト棟やプール、チャペル、プライベートビーチ、ゴルフコースなどは、それだけでもリゾートの広さを実感できるのだが、敷地面積で考えると、これらはリゾートのほんの一部分。 実は、このリゾートは、山手線一周分の敷地を所有していて、その大部分が手付かずの自然のままとなっている。 ツアーは、その広大な敷地を案内してくれる。 |
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「リゾートにはこんなところまであるのか」 何回目かの滞在でリゾートの殆どを分かったつもりでいた僕は、ただただ驚くばかりだった。 世界遺産のカカドゥに行ったことが無い人にこの写真を見せたら、信じてもらえそうな感じの場所では??? 日本では体感できない、オーストラリアの広大さ、独特の自然の景観を十分に堪能させてもらった。 この後、こあらオヤヂさんを、Wreck PointやEmu Parkへ案内してから、ロッキーの空港まで送り届け、無事、「ヤプーン親善大使横浜支部長」としての大役を何とか務め終えた。 おかげでこの時も非常に充実した滞在となった。 このときのこあらオヤヂさんの日記はこちら かちょー。さんの日記はこちら |
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2010年 20th Australia & 6th Yeppoon Stay | |||
1.成田スカイアクセス 毎年、旅に出るとき、日本脱出について色々と思いを張り巡らせる傾向のある僕、そして、旅日記も成田に着くまでがやたらと長い僕、この時もあれこれ考えた末、思いついたのが、この年から運行を開始した、成田スカイアクセスを使うことだった。 森田健作が千葉県知事として乗って、話題にもなっていたよね。 上野から成田まで36分。車内は快適だし、都心からは、ぐんと近くなった気がする…けど、横浜市民としては、スーツケースをを転がしながら上野駅まで…って、結構大変。やはり、リムジンバスが一番、楽…と言う結論に落ち着いたのだった。 2.ヤプーンでの食事あれこれ これまでの日記でも触れいている通り、ヤプーン滞在時に食事で困ることは、まず考えられないのだが、2010年から、日本人の強い味方となってくれるお店がヤプーンに誕生した。 Yeppoon Noodle Houseは、その名のとおり、麺類の専門店で、30種類〜40種類ほどの麺類やチャーハン類を扱っている。かちょー。さんがブログで紹介してから、ずっと気になっていて、結局、この写真の通り、かなりの回数、足を運び、お店をやっている中国のおばちゃんともすっかり仲良くなってしまった。 |
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冬のような寒さの日に、開店を待ちきれずにお店まで来ると、お店のおばちゃんが通りかかって、すぐにワンタンを作ってもらい、体の芯から温まったのは、とても良い思い出である。 ヤプーンで、これからずっと続いて欲しいお店の誕生である。 かたや、「騙された!」と思ったのがこの看板↓ |
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The Wagyu Beef Pie…ザ・ワギュー・ビーフ・パイ… 和牛のビーフパイですぜ、しかも和牛の前に「ザ」が付いてる、イヤでも期待を………した僕がバカだった。 右の写真で何となくお分かりいただけると思うが、至ってフツーのビーフパイ。 これとボトルの水で、確か15ドルくらい取られた記憶が…これはある意味、犯罪だね。 Wagyuuと銘打つと、価値が上がるらしい。 このときのことは、mixiの日記でも報告、結果的に地元の方たちに代わり毒見をしたと意味では、僕の果たした役割は大きい…か? 3.ブリスベンの晩餐 今回の滞在、日本への帰路に就く前の晩、ブリスベンで1泊したのだが、シドニーで商用のあるかちょー。さん、前回もお会いしたこあらオヤヂさんと共に、chi坊さん、鉄人の旦那様宅にお邪魔し、アビ姐さん家族ご一行にもご一緒いただき、鉄人の旦那様プロデュースの料理を堪能させていただいた。 |
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鉄人の旦那様入魂の料理の数々、いかがでしょう? 日本でだって、そうそう簡単にめぐり合えるとは思えない、絶品のものばかりだった。これまでも旅に出て料理の写真をたくさん撮ってきたが、帰国してから眺めるたびに必ず腹の虫がなってしまう写真はそんなにあるわけではないが、このときの料理はまさにそんな料理だった。 ベランダ越しに聞こえてくるエッカの喧騒を聞きながら、楽しい時間を過ごすことができ、これまでにない、充実した旅の締めくくりになる…はず…だった。 4.大寝坊 今まで、海外に出て、背中に冷や汗が流れる思いは何回かしてきた。 若かりし頃、シドニーのジョージ・ストリートでヤク中にずっと後をつけられたり、同じシドニーのダーリング・ハーバーで肩掛けカバンを狙われそうになったり、ブルームでアボリジニの子供に石を投げられたり、レンタカーをこすって大きな傷をつけてしまったり…などなど。 この日の朝はそれらを遥かに上回る量の冷や汗が、僕の背中を流れた。 目覚ましのセットに失敗し、大寝坊をしでかしたのだ。 5:00にセットしたはずなのに、目覚めたら、6:23。 「何で目が覚めなかったんだ!!!」などと、考えているヒマなどない。 ヒゲを剃っている時間も、もちろん、ない。 10分で着替え、荷物のパックを済ませた。 ソッコーでチェックアウト、スーツケースをガラガラ押しながら、ローマ・ストリート駅へ。 駅に着くと、空港行きの電車が発車1分前、これを逃すと、30分、ホームで不安に苛まれながら待つことになる。 ここで、昨日、事前に「割り引かれるから」と買った切符がものを言った。切符売り場に並ぶことなく、すでに手に握っていた切符を改札係りに見せて素通り、電車が待つホームに急いだ。 「捨てる神あれば、拾う神あり…」この言葉を痛感した瞬間だった。 気が付いたら、僕は大きめの機内持ち込みの手荷物と25kgのスーツケースを両手に、階段を駆け上っていた。 人間とは不思議なものである。こう言うときに、火事場のク●力をちゃんと発揮するのだ。 僕は目が覚めてから約20分で、空港に向かうことが出来た。 チェックインはブービーだったが、帰国はできたが、できれば二度としたくない体験だった。 皆さん、目覚ましはきちんとセットできたのを確認してから、寝るようにしましょう。 |
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20回のメモリアル(?)の里帰りにふさわしい、いろんな意味で思い出に残る旅となったが、帰国直後、11月の日本脱出に向け、早くも準備に着手を始めた自分がいた。 そのときの様子は、改めて、今度! |
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