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 10年10月15日
「雨宮駅」   長野県千曲市雨宮

駅の付近は川中島合戦ゆかりの地

平安時代の屋代地方の文化の中心は雨宮であった。
かつては駅舎のある交換駅だったがCTC化され単線駅の無人駅に変わる。

雨宮駅から先の間は冠水で苦難した場所であったが線路を付け替えている。

屋代線で使用されている車両は営団地下鉄でマッコウクジラの愛称で親しまれた車両を改良して使用しているので東京の観光客どこかで見た顔だと懐かしがっていた。

【雨宮の渡し】

「雨宮の渡し」は、昔、北国街道の要衝にあって千曲川渡船場として川中島平と結ぶ重要な場所であった。このため天文永禄年間、10年にもおよぶ武田信玄・上杉謙信の合戦のうち、最も有名な永禄4年の攻防においても、この「雨宮の渡し」を制するか否かで、その後の戦術、戦況を左右した重要な地点となっていた。
今は、千曲川の流れも北に移り、雨宮渡は、住宅地と成り、謙信奇襲の川中島合戦を詠んだ頼山陽の直筆の碑が、当時の場所を偲ばれる。

鞭 聲 肅 肅 夜 過 河
   曉 見 千 兵 擁 大 牙
遺 恨 十 年 磨 一 劍
   流 星 光 底 逸 長 蛇

詩吟や、歌謡曲「霧の川中島」に出てくる「べんせいしゅくしゅくよるかわをわたる」の漢詩は、上杉謙信は敵武田信玄の策略を事前に察知し、人馬ともに声なく鞭声粛々とこの雨宮渡を渡り川中島平に兵を展開し、主力同士の戦いが両雄一騎打ちで知られる夜襲の様子を詠まれている。

【平安時代の屋代地方の中心は雨宮であった】

【屋代寺(おくだいじ)】
日本国史に明記されてある信濃五山の一寺に当たる埴科郡屋代寺は、雨宮坐日吉神社付近にあったもよう。
菊の紋章の瓦が出土している。
定額(じょうがく)とは、延暦二年(783)以降朝廷が定めた官寺であり、官稲などが給されるお寺を言い、信濃五山は伊那郡寂光寺、筑摩郡錦織寺、更級郡安養寺、埴科郡屋代寺、佐久郡妙楽寺の五ヶ寺をいう。

雨宮坐日吉神社
【雨宮ご神事】
国指定重要無形民族文化財

[雨宮の御神事踊り]
昔は、近隣11ヶ町村の大祭でしたが、今では、雨宮地区の男性のみ200人余でとりおこなわれます。
村の中、7箇所で村の安全と豊作を願い御神事踊りを舞います。
太鼓にあわせ、打ち鳴らしては踊り、踊りては打つ、風情のある舞で、ある時はゆっくりしたテンポである時は激しいテンポで踊ります。

祭りのクライマックス

夕闇迫る頃、最後のクライマックス。斎場橋での獅子頭4人による橋懸り。まわりは人垣でいっぱい。
雨宮の御神事踊りの中でも、有名なのは橋の上で、四頭の獅子が逆さに吊下って行う『橋がかり』です。
この時、中踊の扇子や獅子の鬣が流れて、これが越後に着く頃、日本で一番遅い雨宮の田植えが始まります。
このシ−ンはNHKから何回か全国放映されているので観たことのある人もいると思います。
 




◆駅周辺案内図

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