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 10年10月1日
「東屋代駅」   長野県千曲市屋代

以前は住民がいて改札業務を委託していたが今は古い民家の駅舎で無人駅

屋代駅を出た電車は一重山の淵を「しなの鉄道」と平行に走り山の端が切れる所から進路を東に向かい「しなの鉄道」と別れ東屋代駅に到着。

「しなの鉄道」の新駅に「屋代高校前駅」があるが長野電鉄「東屋代駅」が元祖、開校当時から存在している駅
松代方面からの生徒の利用が多く利用していた。

【屋代高校】
「えのきだけのビン栽培法」が生まれた学校

長野県初の鉄筋コンクリートの校舎にて、大正12年に開校、当時は「埴科中学」と呼び、その後屋代中学、屋代東高校、現在の屋代高校に改名している。

長野県は「きのこ」の生産高は日本一 特にえのきだけのビン栽培法は今は常識、
そのビン栽培法は「長谷川五作先生」によりこの学校の生物実験室から試行錯誤の実験の結果、理論を実証に成功した。
栽培技術など課外授業で地元の青年や有志に又自宅のある松代で一般に広めていて、現在栽培法が全国的に普及する偉業をなし昭和32年まで35年間屋代高校で教育に携わった名物先生。その間教育功労賞等数々の賞を受賞している。

長谷川先生の指導の成果、理数教育に対する伝統は80余年以上にわたり受け継がれて、県下初の理数科のある学校となり、平成15年(2003年)には文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けている。2012年度より県立の中学校が併設される。

学校の敷地は弥生後期から古墳時代の「城の内遺跡」がありプールの工事現場から多くの遺物が出土し一部県立歴史館に展示されている

校舎内の長谷川五作先生の胸像
【長谷川五作先生】の二つの偉業

【えのきだけの人工栽培】
長谷川先生は 明治13年埴科郡杭瀬下村(現在の千曲市杭瀬下)田中家に生れ 松代町長谷川家の養嗣子となる
同36年長野県師範学校を卒業
大正12年埴科中学校(現在屋代高校)の生物教諭に迎えられ 昭和32年退職されるまでの35年間を屋代高校で郷里の子弟教育に努められた。
その間「えのきだけ」の人工栽培に着目され 苦心を重ねられた結果 昭和6年遂にビン詰による栽培法を考案され 以来これを教材に利用すると共に 町内の有志や青年に伝授してその普及を図り「えのきだけ」栽培の基礎を作り上げました

県経済連合会等の指導奨励が功を奏して「えのきだけ」は長野県の特産品として発展してきているのです
先生は昭和38年 83才の長寿を全うされて逝去された。

【メンデルの法則の実証】
明治36(1903)年に長野県師範学校(現信州大学教育学部)を卒業後、教師となって県下の初等教育に尽くしたが、その間に蚕による実験で「メンデルの法則」を実証する一方、信濃教育会の理科教科書編集委員となって世界で初めて、遺伝の法則を教科書に教材として掲載した『高等小学理科筆記帳』(大正2年3月25日印刷)の発行に貢献した。
メンデルが1865年にその成果を発表してから僅か48年後のことである。

[メンデルの法則]の教材を製作のために校庭の隅にもろこしを撒き育てていたら生徒が食べてしまい大変嘆いたと言うエピソードが残っているその時に制作した教材を使って授業を受けている。



◆駅周辺案内図

県立歴史館はこちらをクリック   徒歩20分

森将軍塚古墳館はこちらをクリック 徒歩20分
       

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