第十一章

 西日が城の庭を紅に染める中、一清はわななきながら立ち尽くしていた。その顔は燃えるような夕焼けを浴びてなお、蒼白だった。愕然としたその目の先には、硬い表情の土井半助が片膝をつき、かしこまっていた。彼の後ろには、ふえがやはり血の気のない顔で身を小さくして控えていた。
「た、隆房を……斬った……というの、か? お、おまえが……?」
 一清は声を震わせ、今しがた半助から受けた報告を、おうむ返しにきいた。
 半助は答えない。二度言う必要はない、という顔だ。何よりも半助の忍装束の返り血のしみが、彼の言ったことが事実であることを物語っていた。
「なぜだっ! なぜ、そんなこと!」
一清が怒鳴った。
「あの者はわたしが一清さまと千沙さまに取り入って加賀に仕官しようとしていると、言い掛かりをつけてきたのです。それで口論になって、そのうち二人とも引っ込みがつかなくなって……わたしのミスです。申し訳ありませんでした」
 ふえは、何を言い出すのかと驚いて半助を見た。
「ミスだと!?」
一清は半助の胸倉をつかんで乱暴に立ち上がらせた。
「きさま! それですます気か! よくも……!」
半助は少しばかり青ざめ、それでもたじろがず、きっと一清を見返して言った。
「先に抜いたのは向こうです。仕方なかったのです」
「本当か!? ふえ!」
一清は半助の胸倉をつかんだままきいた。
 ふえは一瞬躊躇した。半助が言うとおりのことを見たと言えと、半助とは確かにそういう約束になっている。しかし、これは……。
 ふえは、半助の背中を見た。半助は振り向こうともしない。もし、半助が何か合図を送ろうとすれば、一清は二人が口裏を合わせていると感づいてしまうだろう。
 ふえの頭の中には、半助に言われた言葉がこだましていた。
『一清さまを守るんだろ?』
『プロなら判断を誤るなよ』

「ふえっ!」
 一清に怒鳴られて、ふえは我に返った。そして覚悟を決めた。一清が半助を成敗しようとするなら(他の家臣への影響を考えれば、一清はそうすべきであった)自分が身を挺して半助をかばおう。
「はい、本当です。でも……」
 ふえの返答を」聞くと一清は、ふえがさらに何か言おうとする間もなく、右のこぶしで力任せに半助の顔を殴っていた。さすがの半助もこらえきれず、ふっとばされて地面に倒れた。
「一清さまっ!」
 ふえが抗議の声を上げて、半助に駆け寄った。
 一清は二人に背を向け、握ったこぶしを震わせていた。その目が真っ赤になっているのは、夕陽のせいだけではなかた。
「なぜ止めなかった! ふえ!」
一清は背を向けたまま、振り絞るような声で言った。
「も、申し訳ございません!」
ふえは姿勢を正し、両手をついた。
「まさかこんなことになるとは……。でも! 先にけんかをふっかけたのは隆房のほうなんです!」
必死で言いながら、ふえは自分が守りたいのが一清なのか半助なのか、分からなくなっていた。
「もういい!」
 一清が泣叫ぶような声で、また怒鳴った。
「土井、おまえは俺の命の恩人だ。それに、隆房にも非があったというなら、命までは取るまい……」
ふえはほっとした。が、半身を起こした半助のほうは、まだその表情を変えていない。
「その代わり……」
一清の声は、苦しげなものになっていった。
「今すぐ加賀から出ていけ! そしてもう二度とこの国に足を踏み入れるな!」
 そう言い捨てると、一清はそのまま走り去った。
 城内の片隅まで来ると、一清はがくっと膝をついた。
 涙がどっとあふれてきた。
「なぜだ! なぜこんなことに!」
 一清は悲しみよりも、悔しかった。同時に二人の友を失ったということが。共につらい時期を乗り越えてきた隆房と、兄のように頼りにした半助を。
 泣きながら一清は、半助を殴ったそのこぶしで、地面を叩き付けていた。
 その右手の痛みが、自分を責めているかのように一清には思えた。
 隆房は、確かに一清の前でも半助に敵愾心をあらわにしていたではないか。よそ者を入れるなと、何度も忠告したではないか。隆房の気持ちを思いやってあげなかったために、こんなことになったのだ、と、一清は自責の念にかられた。
 恐らく、半助が隆房を斬らねば半助の身が危うかったに違いない。そうは思っても、親友が二度と帰ってこないその悲しさ、悔しさは和らぎはしなかった。
「くそっ!」
 一清はもう一度地面を叩いた。
そのこぶしを、白く細い指がそっと包んだ。
 目を上げると、いつのまにかそこには千沙がいた。
 いつもと変わらぬ澄み切った瞳で一清を見つめていた。
 起こったことを千沙が聞いたものかどうか、一清には分からなかったが、千沙は優しい声で言った。
「一清さま、千沙はずっとおそばにおりますから……」
 一清は何も答えられなかった。ただ、その存在を確かめるように、千沙の肩をしっかり抱いていた。


 ふえは、一清を見送って茫然としていた。嵐の後のような、安心感とも疲労感ともつかぬ脱力感があった。
「つっ……思いっきりやりやがったな」
 その声に、我に返って振り向くと、半助が立ち上がって服についた土をパンパンと払っていた。
ぺっと唾を吐くと、血がまじっていた。口の端ににじんだ血を手の甲でぬぐおうとするところに、ふえは自分の手拭いを差し出した。
「あ、どうも」
そう言って受け取ろうとする半助の手をかすめ、ふえはそのまま半助の口元をそっと拭った。
 半助は驚いて目を見開いた。
「大丈夫?」
半助の反応に気づかぬふりをして、ふえは尋ねた。
「ん。たいしたことないよ。これくらいで済んでもうけもんだった」
ようやく半助はいつもの笑顔を見せた。
 ふえはまた涙が出そうになるのをぐっとこらえた。
「どうするの? これから」
「どうするって、そりゃ、すぐ出ていかないとやばいだろ。いくらなんでも」
この深刻な事態にもかかわらず、半助の口調はまるでいたずらを見つけられた子供のようだった。
 以前のふえならば、その軽さに腹を立てたかもしれない。しかし今は、その半助の明るさが救いだった。
「一晩くらい泊まっていけば? 今から出立したってすぐ夜になっちゃうわよ。うちに来ても、いいからさ」
「夜は忍者のゴールデンタイムだよ。それに安住まで行けばころがりこめるあてもあるからね」
「ああ、あの行商人ね」
「それに、正直言ってわたしも急いで帰りたいんだ。新学期に間に合わないといけないから」
「そう……」
 あんなに、さっさと帰ってくれればいいと思っていたのに、今は……。ふえは一瞬寂しそうな顔をしたが、すぐ気を取り直して言った。
「なら、国境まで送るわ」
「え、大丈夫だよ。今それどころじゃないだろ?」
「いいの。一清さまには今は慰めの言葉もないし、あたしも気分転換したいの。国境まで行って戻ってくるまでの間に、気持ちを整理したいの」
 そのふえの言葉に、半助は、いつぞやの庵で見せたような、優しいまなざしをふえに向けた。
「わかった。なら送ってもらうよ」
ふえは嬉しそうにうなづいた。

 

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