第四章

 どさり!と投げ出されたような感覚で、一清は意識を取り戻した。
 バタン!と戸が締まる昔がしてから、一清は目を開いた。
 さして広くもない、物置きのような場所だ。一つだけ小さな窓があるが、鉄格子がはまっていた。
一清の両腕は背中へ回され、手首を縛られ、両足首もきつく縛られていた。体の節々が痛んだ。気を失っている間に、かなり時間がたってしまったらしい。
「いててて」
と声がした。一清が転がったまま、首を回して声のしたほうを見ると、同じように縛られた半助が転がっていた。
「まいったなぁ。とんだとばっちりだ。」
 半助はそう言いながら、身をよじって起き上がった。それから一清のほうを向いて、にこっと笑った。
「大丈夫ですか?一清さま。」
「あ、ああ。」
 この状況で笑えるということに、一清は驚きながらも、その笑顔に、不覚にも安心感を覚えてしまった。
「庵を囲んでいた連中、てっきりあんたの手下だと思っていたら、逆に殿様を捕まえに来た奴らだったんだな。不覚だった。」
 半助は、悔しそうに言った。一清は、改めて驚いて、半助を見た。
「気づいていたのか?」
「まあね。それより、さらわれる心当たりはおありですか?」
「ないといえばないが、あるといえば山ほどある。」
「でしょうね」
「それにしても、ここはどこなんだろうな。」
一清は言いながら、窓のほうへずりずりと動いた。
その一清に向かって、
「あの庵から北の方角へ半時、それから川を渡って上流方向へ一刻、もう一度川を渡って、西の方に半時、いや、もう少しかな。とにかくそれくらいだ。かなり山の中だ。」
と、半助がこともなげに言ってのけた。
「な……!」
一清は唖然として半助を見た。半助は、少し照れたような笑みを浮かべた。
「あの煙り玉に眠り薬が仕込まれていたようですね。一瞬かいだ匂いでやばいと思って、しばらく息を止めて眠ったふりをしていたんですよ。我々は、この格好で樽につめこまれてきたんです。関節が痛いでしょ?」
「おまえ……」
一清が何か言いかけた時、戸の向こうで、足音が近づいてきた。
ガチャガチャと鍵をあける普がして、ひげ面の屈強な男が入ってきた。
 男は、いかにも人を見下した目で、一清と半助を見下ろした。
「ふん、お姫さまの代わりに妙な男がくっついてきやがったか」
男の視線は一清に注がれていた。
一清と半助は、思わず顏を見合わせた。手が自由になれば、お互いに指をさしあいたかったに違いない。
 男が、一清ではなく半助をさらうつもりであったことは、すぐに知れた。
「おい、色男。」
と、今度は半助にむかって言ったのだ。
「本当はてめえとお姫様をさらってきて、川で心中していただく予定だったんだぜ。とんだ手違いで、ちょっとばかり寿命が延びたな。ま、それもあと一刻ってとこだろうがな。」
「おい、バカ男。」
男の、あざ笑うようなことばをさえぎるように、半助が言った。
「なに!バ、バカ男とは俺のことかっ!」
男は目をむいた。半助は全くとりあわずに、さも不快そうに言葉を続けた。
「なんだってわたしが千沙姫と心中しなきゃならないんだっ!」
バカと呼ばれて、男はムキになって答えた。
「そりゃ、てめえがあんな所で逢い引きしてっからだろっ!」
「誰が逢い引きだ、誰がっ! 侍女が二人もついていてっ!」
「そんなこと俺がしるかっ! 俺はただ指示された通りに動いただけだっ!」
一清は、わけのわからぬ方向に発展しっつあるこのつばぜりあいを、あっけにとられて見比べていた。
「どこのどいつだ、そんないいかげんな事を言った奴は! ここへ連れてこい!」
ほとんど立場が逆転していた。
「知るかよっ!」
男も、大人気なく言い返していた。
「俺は書状で金と指示を受け取るだけだ! どこのどいつかなんて知らないねっ!」
「とこのどいつかも知らんような奴の言うことを、そう易々と信じてどうする、このバカ者!」
「うるせえ!俺は金さえ手に入ればいいんだよ!なんでてめえにそこまで言われなきゃなんねえんだ!」
「いいかげんにしろ−っ!」
このくだらないロげんかにうんざりした一清が、とうとう一喝した。
「あと一刻の命なら、せめて静かにしておいてくれ!ケンカしたいなら、こっちの男だけよそへ連れて行け!」
半助と男はすっかり毒気を抜かれて黙った。
「ふん! てめえのほうは、(と一清をあごで指し)あと一刻の命かどうか、わからねえぜ。場合によっちゃ、拷問にかけられるってことだって覚悟しとけよ!」
そう言い捨てて、男は戸が壊れるかと思うはど荒っぽく閉め、しっかり鍵をかけて行ってしまった。
「この非常時に何を考えているんだ、お前は!」
 足音が消えるやいなや、一清は半助にくってかかった。
半助は、先程までの怒鳴りあいなど忘れたようにけろりとして答えた。
「何言ってるんです。非常時だからこそでしょう」 
「何だと?」
「あの男、興奮して、一清さまの素性を確かめもせずに行ってしまったでしょう?殿様だとばれなくて、よかったじゃないですか。」
「そ、そういえば……」
(まさかこいつ、そこまで計算して?)
  一清はあえて確かめようとはしなかったが、きっとそうに違いないと思い始めていた。
「ところで」
と、半助は小声になって言った。
「さっきのでここの位置が、大体わかりますか? 方角は、すき間からさしこむ光で判断したので、おおよそですが。」
「ああ、まあな。」
一清もつられて小声になった。
 半助は、またにこっと笑った。
「それじゃあ、ここは共同戦線を張るとしますか。」
「どうするんだ?」
「あなたの腰の物(つまり刀)は、あいつらに取られましたが、わたしは懐に、武器と火薬を持っています。しかし、あなたのほうが、地理には詳しい。道案内をしてくだされば、わたしがあなたを護衛しますよ。」
一清は、いやな顔をした。こいつはもう、逃げる算段ができているに違いない。
「ということは、道案内しなかったら、一人で勝手に逃げるということか?」
「そりゃ、だって一清さまが一緒に逃げるのは嫌だとおっしゃるなら仕方ないでしょう。第一、わたしにはあなたを助けなければならない義務はないんですからね。」
「義務ならあるぞ。」
一清も負けていない。
「そもそも、おまえが千沙に近づくから、こういうことになったんじゃないか。何が“とんだとばっちり”だ! とばっちりはこっちだ! 責任を取れ!」
「無責任な殿様だなあ。」
半助は言ったが、その目はむしろ面白がっているようだった。
「まあいいか。どっちの責任かでもめてる場合じゃない。」
(だれが言い始めたんだ!)
と一清は、なおも言い返したい衝動を押さえた。
「おまえのほうにはこんな目にあう心当たりはないのか?」
 冷静になって、一清が半助に問いかけたが、半助は、
「ちょっと、静かにしててください。集中したいんで。」
と受け流し、なにやら両腕や手首をもぞもぞと動かしている。
こいつは、自分のペースでしか考をしないやつだな、と、一清は半ばあきれ、半ばおかしくなってきた。
「よし!」
 半助がそう言ったかと思うと、彼の手首から、ハラリと縄が落ちた。肩を回したり、手首をさすったりしてから、足首の縄もほどき、目を丸くしてその様子を見ていた一清に近づいてきた。
「おまえ……」
 一清は今や、この土井半助という男の正体を、少なくとも、何を生業とする者なのかを確信していた。
「おまえ、忍者、か」
「そういうこと」
 半助は懐から鉄でできた紡錘形のようなものを取り出すと、一清の後ろへまわり、手首の縄を引き切った。
「何だ?それは。」
一清は、自分で足首の縄をほどきながら聞いた。
「苦無といいます。忍者ならだれでも持っています。任務中でなくてもね。」
半助は「なくても」を強調して、そう答えた。
「さて、では脱出するとしますか。」
 半助は、一段と声を潜めた。
「どうするんだ?」
と一清。
「できるなら、あいつらを捕まえるなり、依頼主を突き止めるなりしたいけど、多勢に無勢、ここは我々が無事に逃げ出すことだけを考えましょう。そこで……」
 半助は一清に、これからの手順を耳打ちした。
「わかった。任せよう。」
ほかに名案があるわけでもなく、一清は、半助の言う通りにすることにした。半助を全面的に信用したわけではないが、当面の利害は一致しているわけだ。任せても大丈夫だろうと判断したのだ。
 半助はまず、鉄格子のはまった窓に、火薬を小さな袋に詰めたまま置いた。その袋に導火線を付け、その導火線に、さらに先ほどまで自分達を縛っていた縄を結び付けて長くした。
 それから半助はほとんど音もなく跳躍して、天井の梁にとりつき、天井板をはずしてその裏へと消えた。
 しばらくして半助は戻って釆て、板をはずした穴から顔を出し、一清に手招きした。
 一清は、先に導火線のついた縄を半助に投げ、その後自分も飛び上がって天井裏へと上った。それくらいのことは、一清にも造作なくできた。
「見張りは表に一人、裏に一人、この部屋の前に一人、あと三人が一つの部屋に集まっています。」
 半助が、一清の耳元でささやいた。一清は黙ってうなづいた。半助は、懐から小さな火打金を取り出すと、天井裏の柱に縛りつけた縄に火をつけた。
 二人は素早く天井裏をはって、建物の表の方へと進んだ。
 前を行く半助がピタリと止まり、後ろを振り向いてうなづいた。
 ほんの一呼吸ほどの間を置いて、『ドン!』と音がして、半助がしかけた火薬が爆発した。
 二人が捕らえられていた部屋の前で番をしていた男が、あわてて鍵をあけた。
「うわっ!」
中は黒煙がたちこめ、壁が一部、燃えていた。
「た、大変だ!逃げられた!」
爆発の音は、部屋にいた三人にも、表にいた者にも聞こえた。
「何だ!何事だ!?」
男たちはわらわらと、その部屋へと走って行った。
間髪入れず、それまで男達が集まっていた部屋の天井板の一枚が音もなくはずれ、まず半助が、続いて一清が飛び下りた。
「裏だ! 裏に逃げたんだ!」
ぁの「バカ男」の怒声を聞きながら、二人はそのまま表に出て、一目散に走りだした。
                   

 

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