第六章
その夜、加賀の城内は沈痛な表情と緊迫感で重苦しく淀んでいた。 ふえは、一清捜索隊を組織し、しかし近隣諸国に勘付かれないよう、秘密裏に一清を捜させた。 ふえが異変に気づいたのは、千沙の部屋から出ようとした時だった。ピイピイと小鳥の鳴き立てる声に、千沙とふえは思わず顔を見合わせた。 「鳥子だわ!」 思わず声までそろってしまった。 鳥子というのは、一清が可愛がっている鳥一家の子鳥の名前だ。 ふえと千沙が外に走り出ると、鳥子はいっそう激しく鳴き、北の庵のほうへと飛び立った。 鳥子のあとを追って走り出そうとする千沙を制し、ふえは庵へと駆け付けた。 そこでふえが見たものは、黒くすすけた土と、あの男、半助がかぶっていた揉烏帽子だった。 ふえは、「しまった!」という思いと「やはり」という思いが交錯した。あの男が一清をさらったのに違いない。いつものこととはいえ、なぜ一清を一人で行かせたのか。半助一人で一清をどうこうできるはずがない。仲間がいたのだ。それを発見できなかったのは自分の責任だ。ふえは唇をかんだ。 自身で一清を助けに行きたい気持ちを抑え、ふえは城門あたりをうろうろしながら、各地からの報告を待った。 千沙も、ずっと門のそばにたたずんでいた。いらだっているふえは、それみたことかと千沙に当たった。それでも千沙は、半助の仕業ではない。二人の身に何かあったのだと言い張った。しかしふえのほうは、もはや聞く耳を持たなかった。 もし一清が殺されれば、敵はそのことを高らかに告げるに違いない。だからおそらく、今のところ一清は生きているだろう。これから先、敵が何か言ってくるとすれば、一清を人質にして何かを要求してくるか、あるいは一清の死の知らせか……。 千沙もふえも、城内の者すべてが一清の無事を必死に祈っていた。 「ふえ様!」 突然、門番が叫んだ。 びくっとして門の外を見たふえの目に、暗がりの中をこちらへ歩いて来る二人の人物が映った。 一人は紛れもなく一清であった。駆け寄ろうとして、ふえは、もう一人があの男、半助であることに気づいて息を飲んだ。 そのふえの横をすりぬけ、千沙が一清めがけて走っていった。 「一清さまーっ!」 涙で顔をぐしょぐしょにして駆け寄った千沙は、一清の胸倉をつかんで 「一清さまっ、どこに行ってらしたんですっ!? どれほど心配したと思ってるんですかっ!」 とわめいた。その迫力にけおされて、一清は思わず 「す、すみません」 と謝ってしまった。それから 「あ、そういえば……」 とにっこり笑って 「姫の言われたとおり、土井半助殿は悪い人ではありませんでした」 「土井?」 「ええ、ちょっとトラブルに巻き込まれてしまったのですが、土井に助けてもらいました」 「一清さま!?」 嘘でしょ!? と言いたげにふえが叫んだ。そんなふえに向かって 「詳しいことは中で話す。調べてほしいこともあるし。とりあえず今夜は、土井には城に泊まってもらう」 「あたくしは反対です、一清さま!」 ふえがまたまなじりをつり上げた。 「心配ないよ、ふえ。この人は忍術学園の教師だそうだ」 「証拠はあるんですか!?」 「証拠、ねえ。そう言われても……」 その時、このやりとりを苦笑いしながら聞いていた半助が口を出した。 「あの、ふえ殿?」 「なによ!」 ふえは半助をきっとにらんだ。しかし半助は笑顔のまま 「お言葉ですが、もしわたしが良からぬことを企んでいるなら、あなたに尾行された時にまいてますよ」 ふえの額にぴきっと筋がたった。 「あんた……気づいてたの?」 ふえは口の端をひきつらせた。 「わたしはプロですよ。それより腹具合は大丈夫ですか?」 「は?」 明るい顔でわけの分からないことを言われて、ふえはついていけなかった。半助はかまわず同じ口調で続けた。 「ほら、きのうの茶店で厠に入ったでしょう? 追い付いてくるまでに時間がかかったから、腹でもこわしたんじゃないかと思って」 そのころには城内の者も集まってきていた。怒りと恥ずかしさが込み上げて真っ赤になったふえに、とどめを刺したのは一清だった。 「なんだ、ふえらしくもない。食い過ぎか?」 ぶちっと、ふえの頭の隅で何かが切れた。尾行に気づかれていたという恥ずかしさも手伝って、その怒りは半助一人に向けられた。 ぼくっ! と鈍い音がして、ふえのこぶしが半助の顔にめりこんでいた。 「あれはね、作戦タイムだったのよ!」 「そ、そうでしたか」 「と、とにかく中へ入ろう。腹もへったし」 一清がなんとかふえをなだめようとすると、 「一清さまっ! もしかしたら一清さまにうまく取り入って、城に入り込むことがこいつの目的かもしれませんでしょう!」 ふえはなおも反対したが、はっきり言ってもはや個人的感情でしかないことは、ふえ自身も分かっていた。 (気に入らない! ぜーったい気に入らないわ!) 集まってきた家臣の中から、一人の若者が横から口を出した。 「ふえ様のおっしゃるとおりですよ。一清さま。うかつによそ者を、しかもこんな得体のしれない奴を城に泊めるなんて、どうかしてますよ」 「隆房、おまえまで」 狙われるかもしれないからと、半助を説得してここまで連れてきた一清の表情は、ひどく困惑したものになった。その顔を見て、ついにふえは折れた。 「では一清さま、今夜は仕方ありませんけど、くれぐれも油断なさいませんように」 「悪かったな。ふえも悪気はないのだが」 城の廊下で、半助を案内しながら一清は半助に声をかけた。 「いいですよ。主君思いのご家臣ですね。あの若侍も」 半助はふえになぐられて赤くなった鼻のあたまをさすりながら答えた。 「うん、家臣というより、幼なじみあんだ。さっきの、正木隆房というんだが、あいつも例の戦で父親が死んで、母親も後を追うように三か月後に逝ってしまって、ひとり残されたんだ。ふえは自分も孤児になったのに、俺や隆房や、ほかのみんなのこともいつも支えてくれ、励ましてくれたんだ」 「それで家臣じゃなくて幼なじみ、ね」 「おまえまだ何か言いたいのか?」 「べつに。言ってもどうせきかないんでしょ?」 半助の口調には、きかん坊の子供に苦笑いしているような響きがあった。 一清は、優しかった兄、一和を思い出していた。 翌朝、千沙はうきうきしながら半助が泊まった部屋へとやってきた。 「半助さん。起きてらっしゃる?」 襖の向こうから声をかけた。 「ええ。おはようございます」 昨夜はかなり遅くまで一清と話し込んでいたようだったが、疲れた様子もなく快活そうな返事が返ってきた。 「朝餉をお持ちしました」 そう言って襖を開け、かえこときえこがお膳やお茶などを運び入れる。 お給仕など慣れていないからと固辞する半助におかまいなく、かえこときえこを控えさせて、千沙手づからかいがいしく給仕をしていた。半助が、かえって居心地悪そうにしていたのが、かえこときえこには気の毒に思えた。 そのうち、外でピィピィと小鳥の鳴く声が聞こえた。庭に向かって開け放たれた障子の向こうに、数羽の鳥が舞っていた。 「鳥太郎、鳥子、鳥江!」 千沙は嬉しそうに縁側に走り出た。 「な、なんですか、それは」 半助が目を丸くして尋ねた。 「一清さまが可愛がっていらっしゃる小鳥です。ちなみに、名前は全部一清さまが付けました」 「ふーん、鳥太郎に鳥子に鳥江ね。発想はうちのガキどもと変わらんな」 そう言って半助はさもおかしそうに笑った。 「今の、一清さまにお伝えしておきます」 「やめてください」 千沙はいたずらっぽくクスクス笑って、手を延べた。鳥たちが千沙の手や肩にとまった。 「この鳥子が、きのう一清さまと半助さんの異変を知らせに来てくれたのよ」 「へえ」 半助が感心したように、自分が食べていたご飯粒のいくらかを手のひらにのせて、縁側に出てきた。 「ほら、ごほうびだよ」 と、その手を取りたちに差し出すと、小鳥たちは千沙の手から移ってきて飯粒をついばみはじめた。 「ずいぶん人なつこいんですね」 「ええ」 しばし、半助は慈しむように小鳥と戯れていた。 朝陽の中で、優しい笑みを浮かべた半助の横顔を、千沙は嬉しそうに見つめていた。 「半助さん」 不意に千沙が声をかけた。 「はい?」 「ここにしばらくご滞在いただけるのでしょう?」 それは質問というより、千沙の頼みだった。半助は困ったように笑った。 「わたしは、明日友人と会う約束があって、多分そのまま帰ることになると思います。昨日本当は、千沙さまにお別れを申し上げるつもりでした」 途端に千沙は泣き出しそうな顔になり、大きく見開いた目に涙た浮かんだ。 「あ、あの、なにも泣かなくても……」 「どうしてもぉ?」 千沙はおねだりをする子供のように上目遣いに半助を見た。 「申し訳ありませんが、いろいろと都合もございますので」 「一清さまも、もっといろいろ半助さんとお話ししたいとおっしゃっておいででした」 「ご好意はありがたいのですが、実は親のない生徒を一人預かっておりまして、今回は別の先生にあずけてきましたが、ずいぶんごねておりましたので、なるべく早く帰ってやりたいのです」 『親のない子』という言葉に千沙は諦めたようにうつむいた。 「分かりました。ではせめて、今夜もう一晩泊まっていってくださいね」 「いえ、でもそんなにお世話になる理由がありませんから」 「ううん、あるわ。千沙にいっぱいいろいろなこと教えてくださったもの。今まで絶対にお礼を受け取ってくださらなかったでしょう? だから、お願い!」 「ぜひそうしてくれ」 その声に千沙と半助が振り返ると、いつのまにか部屋の入り口に一清が立っていた。 「昨日の今日だ。おまえもあまりうろつかないほうがいいだろう。俺も今からちょっと忙しいから、夜にでもまた兵法について教えてほしい」 一清は二人に近づきながらそう言った。半助は頭をぽりぽりとかいて、 「そういうのって、本当は軍師や参謀がすべきことだと思いますよ」 「分かったってば! だけどとりあえずは仕方ないだろ!」 「分かりましたよ。まあこれも何かの縁でしょう。でも今日までですよ。明日には帰ります」 「ん……よかろう」 一清はどこか寂しそうにうなづいた。 と、その時、鳥子たちが何かに驚いたようにバタバタと飛び立った。 「だれだっ!」 一清が庭に向かって鋭く誰何した。 植え込みの陰から一人の若侍が姿を現した。 「隆房!」 一清の幼なじみの隆房だった。 「おまえ、こんなところで何をしてるんだ?」 隆房はうやうやしく片膝をついた。 「一清さまがこちらにおいでと伺い、何かあってはと思いまして」 隆房はちらりと意味深に半助を見た。一清は明るく笑ってみせた。 「大丈夫だよ。おまえ、そんなに心配性だったか?」 「このような者をおそばに近付けるなど、今までにないことではありませんか。鮎太の例もあることですし、あまりよそ者を信用なさらないほうが……」 「隆房!」 一清の顔色が変わり、隆房ははっとしてかしこまった。 「すみません、つい……」 「いや、おまえが恨みに思う気持ちは分かる。怒鳴って悪かった」 「いえ……」 「もう下がっていい」 「はい」 隆房の背中を見送って振り返った一清は、千沙と半助のいたわるような視線とぶつかった。一清は弱味を見せまいとして、わざとおどけた調子で言った。 「では、俺はきのうの犯人の割り出しに全力を上げるから、土井、おまえは千沙の相手をしてやってくれ」 「え?」 半助の目の下に縦線がおりた。 一清は、昨日の誘拐犯の目撃情報を集めることと、安住に対抗する大国、鷲尾の動向を探ることに奔走した。 おそらく実行犯たちはすでに国外に逃亡したと思われる。だが、何か手がかりがないかと例の小屋にも人をやった。 彼らは金で雇われただけだ。背後にいるのはだれか。 敵の狙いは千沙の命だった。しかもただ殺すのではなく“心中”させようとしていた。もしそんなことにでもなれば、安住と加賀の同盟は当然ひびが入る。しかも、それが公にでもなれば安住は大恥をかき、近隣の小国への影響力も弱まることは必至だ。しかも、千沙は安住の殿の唯一の実子なのだ。 つまり敵の狙いはあるいは安住であるかもしれないのだ。となればいちばん怪しいのは、今のところ最大のライバル鷲尾ということになる。 しかしこの日は何の手がかりも得られぬまま過ぎ、一清はさすがに疲れて城へ帰ってきた。 そして、同じく疲れた表情の半助(一日中千沙にまとわりつかれていたらしい)と共に夕食をとりながら、事件のことや兵法について話し込んでいた。その時、 「一清さま」 ふえが部屋の外から声をかけた。 「ふえか。入れ」 一清は立って障子を開けた。 「報告を聞こう」 「ですが……」 ふえは半助を見やった。 「かまわん。ここで聞く」 「あたくしのほうがかまいます」 ふえはつんとして言った。 これを聞いて半助は、まいったなあ、という顔で 「わたしが席をはずします」 と、立ち上がりかけた。 「気にするな。ふえもいいかげんにしてくれ」 一清にたしなめられ、ふえは軽く半助を睨み、しぶしぶ話し始めた。 「鷲尾に今のところ目立った動きはありません。ただ……」 「ただ?」 「最近下条はじめ、安住勢力圏内のいくつかの国に、鷲尾傘下に入るよう、圧力をかけていたようです」 「なるほど。符号は合うわけだ」 「鷲尾の密偵の動きまではこちらもなかなかつかめません。加賀にまだ入り込んでいる可能性もありますから、しばらくは用心し、千沙さまも外出させないほうがよろしいかと存じます」 「わかった」 「案外……」 ふえは皮肉な笑みを浮かべて言った。 「半助殿と心中、というのは見せかけで、この男が鷲尾の密偵かもしれませんわね」 いくらなんでも半助が気を悪くするのではないかと、一清はさっと半助の顔色をうかがった。だが半助はサラリと言った。 「疑いすぎは忍者の三病の一つですよ。そういう時は一度ゆっくり温泉にでもつかって、気分をほぐして……」 バキッ! 半助が言い終わらないうちに、ふえは手近にあった土瓶を半助の頭に叩き付けていた。 「今そんな場合じゃないでしょ!!」 「……なにも殴らなくても……」 半助は頭に大きなたんこぶを作り、涙をこぼしてつぶやいていた。 |