第七章

 翌日、半助は名残り惜しげな一清と千沙に見送られて、安住へと発っていった。
 ふえは、実行犯の追走から、領内に潜んでいるかもしれない敵の間者の洗い出しへと当面の行動を切り替えていた。だが、はかばかしい成果もなく、また一日が暮れようとしていた。
 半助がいなくなった分だけふえはせいせいしていたが、どうせなら本当に千沙と心中していてくれたらよかったのに、などと物騒なことをつい考えてしまう。そうすればこちらから堂々と安住に絶縁状を叩き付けてやったのに。
「いかん、過激になってるわ。本当に温泉にでもつかりたい気分だわ」
そうひとりごちた時、
「だから言ったのに」
耳もとで声がした。
「ぎゃーっ!!」
不覚にもふえは、耳をつんざくような悲鳴を上げて飛び退いた。
 振り返るとそこには、帰ったはずの土井半助が耳をふさいで目を回していた。いつのまり後ろに立たれたものか、ふえは全く気づいていなかった。
「な、な、なんなのよ! あんたっ!」
尾行に気づかれ、後ろを取られ、あまつさえ「温泉」発言を認めてしまった悔しさで、ふえは斬り掛からんばかりの勢いだった。
 半助のほうは相変わらず動じる様子を見せず、苦笑していた。
「悪かったよ、戻ってきて。でも、ちょっと気になることがあって」
その笑顔が、ふえにはなぜか余計に腹立たしかった。
「なによっ!」
ついつい必要以上につっかかってしまう。
「そう怒らないでくれよ。わたしが何をしたっていうんだ」
「それが分かってないところが頭にくるのよ! で、気になることって何よ。この事件にかかわることなら聞いてやってもいいわよ」
「あのね…ま、いいか。ここではなんだから、どこか落ち着いて話せるところはないかな」
そこはふえの家のすぐ近くだったのだが、女一人暮らしのふえは若い男を、それもよりによって半助を家に招じ入れる気にはなれず、少し離れた辻堂にいざなった。
「で、なんなの?」
 相変わらずの切り口上だが、ふえも間者の頭である。とりあえず情報を得ておくに越したことはないと判断したのだ。半助も、そんなふえの態度に慣れたのか、気にもかけずに話し始めた。
「まず一つ目。犯人はわたしと一清さまを捕らえてすぐ、庵の中へ千沙さまを探しに入ったんだ。だけどいないことに気づいて、とりあえずわたしたちを樽につめこみ、『着いたらすぐにつなぎを出そう』と言っていたんだ」
「それのどこが気になるのよ」
ふえはじれったそうに先を急がせた。
「まあ聞けって。わたしたちが例の小屋に放り込まれてすぐ、犯人の一人がわたしに、あと一刻の命だろうと言ったんだ。つまり、あそこからつなぎを出して、指示を受けて帰ってくるまでわずか一刻ということだろう? あそこの近くにもう一つアジトがあったということになるんじゃないか?」
「ちょっと! あんたそれ、なんでもっと早くに言わないのよ!」
「口もきいてくれなかったくせに」
半助は少し口をとがらせて言った。
「あたしにじゃないわよ、ばかっ! 一清さまによ! 一清さまに申し上げていれば、あたしにそれなりの指示があったはずよ」
 ふえは半助の胸倉をつかんで怒鳴った。
「けど、きのう一応山狩りしたんだろう? すぐ近くに小屋がもう一つあれば、目につくんじゃないか?」
「ま、そうね」
ふえは半助の襟を放した。
「でも、洞穴か何かかもしれないわ」
「そう。ということは、かなりこのあたりの地理に詳しい者ということになる」
 ようやくふえは、事の重大さが呑み込めた。しかしあくまでもふえは気丈さを保とうとした。
「ま、もっともこっちも隣接する国の地理は熟知しているわ。特に一清さまはどんな抜け道でも知ってるもの。こっちの情報が漏れていたとしても、残念だけど不思議じゃないわ」
「それはそうだけれど、一清さまみたいな人がそんなに何人もいたらこわいと思うよ」
半助はあきれたように言った。
「そ、そうかも……でも、だったらよけいにさっさと一清さまに言ってほしかったわ」
「それが…気になることのふ二つ目なんだけど……」
「あんたねえ! 人の話聞いてんの!?」
自分と話の噛み合わない半助にいらだって、ふえはまた怒鳴った。
「聞いてるってば! あんたも人の話は最後まで聞きなさい」
 ふえは、一清以外の人間に命令されたこともなければ、父親が死んで以来だれかに説教されたこともない。いきなり赤の他人の半助にこんな言い方をされて、あまりのことに理不尽だと腹が立ったものの、何も言い返せず膨れっ面をして黙った。
「二つ目というのは、以前に千沙さまが庵に来られた時、尾行している奴がいたということなんだ。わたしはてっきり城の者が護衛として付いてきたのかと思ったんだが、それにしては一回だけというのは変だしね」
「千沙さまをつけさせたりなんかしてないわ。つまりそいつが犯人てことね。顔は見ていないの?」
「見てない。だけど、犯人にしたっておかしいと思わないか?」
「何が?」
「もしそいつがずっと千沙さまを付け狙っていて、城の近くをうろついていたなら、一清さまやあんたが全く気づかずにいたわけ?」
「悔しいけれど、そういうことになるわね」
「いや、そんな切れ者じゃない。あの気配は全くの素人だ。“よそもの”の“不審人物”に目ざといあんたたちが気づかないはずはない」
「それ皮肉?」
「半分ね」
「悪かったわよ、疑って」
ふえは苦々しく一応謝った。
「冗談だ。気にするな」
(こ、こいつは〜!!)
もう一度張り倒してやりたいというふえの思いにはおかまいなく、半助は話を続けた。
「ではなぜ犯人は発見されなかったのか。犯人がたまたまその日の城下にやってきて、運良く千沙姫が外出するのを目にし、ついていったら偶然わたしと会っているのを目撃し、心中作戦を思いついた。たった1日ならば見つからなかった可能性も大きい」
「ばか言わないでよ。そんな偶然ばっかりあるものですか」
「そのとおり。そんなことはまずあり得ない」
「じゃあ、なんだって言うのよ」
「千沙さまがよく出かけるのを知っているのは?」
「さあ…町の人が何度か見かけているかもしれないけど…まさか!」
「そう。そのまさか」
「城内の者が? そんなことあり得ないわ!」
「なんで? よくある話だよ?」
「この加賀ではあり得ないわ! 城に仕えている者たちは代々加賀さまに忠誠を誓ってきた者たちばかりよ!」
 ふえは激高した。
「何か弱味を握られて、渋々敵に協力しているってことは?」
「いいえ! うちの父だって、自分の命より加賀さまへの忠誠を選んだんだわ! どんなにみんなこの加賀を、一清さまを愛しているか、何も知らないくせに、いい加減なこと言わないでよ! よそ者に何が分かるって言うの!?」
 こぶしを握りしめ、かすかに震えながら怒鳴り散らすふえを、半助は腹をたてるよりむしろ、同情しているような目で見据えていた。
「とにかく、可能性はあるだろう? 内部の者がからんでいれば、地理に詳しくても当然だし。それで一清さまには言い出せなかったんだ。鮎太って人の話を聞いてしまったものでね」
「……」
 ふえは唇をかんだ。
「もう一つ話がある」
「な、何よ…」
ふえの声は震えていた。
「安住できのう、ねずみが一匹捕まったそうだ」
ねずみ、というのは敵の間者のことである。
「鷲尾の手の者らしいが、確証はないらしい。そいつが『いずれ加賀も内から崩れる』と言い残したそうだ」
「言い残したって……」
「自害したそうだ」
「…!…」
 任務に失敗した間者の末路は、ふえにとって他人事ではなかった。それは顔色ひとつ変えない半助にしても、同じことだろう。
 鎮痛な表情のふえが、急に「あれ?」という顔になった。
「ちょっと待って!」
「どこで?」
「そうじゃなくて! なんであんたがそんなこと知ってんの?」
半助はちょっと情けなさそうな顔をした。
「それが、わたしが茶店で会った男がいただろ?」
「ああ、あいつね」
「あいつが城内に忍び込んで聞いてきたんだ」
「やっぱりあいつも忍者だったのね! 何の任務で来たの?」
「いや、あいつは安住で生き別れになった母親を捜しに来ただけなんだ。わたしはその手伝い。国じゅう捜して見つからなくて、最後に諦めきれずに城内に入ってしまったんだ」
 ふえは目が点になった。
「ばっかじゃないの!? それでもし捕まって、忍者が母親を捜しにきましたなんて、だれが信じるっていうのよ!」
「そうなんだ……」
半助は暗い顔で同意した。
「とにかく、そういうわけでそのまま帰るのも気がとがめたので戻ってきたんだけど、確かによそ者が口を出すことでもないだろうから、あとはふえ殿に任せるよ。ただし、あんたもプロなら判断を誤るなよ」
 半助に真剣な顔で釘を刺され、さすがにふえは「プロとして」反論できなかった。が、素直に返事をするのも悔しくて、黙ってうつむいた。
 そんなふえを、半助はしばし気の毒そうにみつめていたが、やがて
「じゃ、わたしはこれで」
と短く言って歩き出した。
 ふえはまだ、内通者がいるということが信じられなかった。いや、信じたくなかった。
 それでも、ふえの中のプロ意識が、半助の忠告を無視すべきでないと判断していた。
「待ってよ!」
 ふえは自分でも驚いたことに、半助の背中に向かって叫んでいた。
 半助も驚いて足を止め、振り返った。
「なによ! 勝手なことばかり言って! こんなこと、一清さまに言えるわけないでしょ! あたし一人でどうしろっていうのよ! あんたが余計なことを言わなきゃ、だれも疑わずに済んだのに! 責任とってよ!」
「責任って……」
 半助は困惑した表情で戻ってきた。
「あんたが千沙姫に近づくからいけないのよ! 本当に下心がないなら手伝ってよ!」
「むちゃくちゃ言うなあ」
ふえは自分でもそう思っていた。自分らしくないと思っていた。だが、自分一人で仲間を内偵しなければならないという事態に直面し、いつもの気丈さも冷静さも、どこかにぶっとんでしまっていた。
『プロなら判断を誤るな』
今までふえに、そんな偉そうに忠告した人間はいなかった。個人的感情とは別に、この人なら頼れるかもしれないと、ふえは直感していた。
 必死の表情のふえとは反対に、半助は拍子抜けのするほどあっさりと、
「ま、いいか。乗りかかった舟だ」
と承諾してくれたのだった。
「ほんと?」
自分で頼んでおきながら、ふえは目を丸くして聞き返した。
「ああ。本当はこのまま帰るのは心配だったんだ。なんだかあの殿様、ほっとけない気がしてね」
「そう……ありがとう」
 初めてふえは素直に、心から礼を言って、かすかに微笑んだ。
 そんなふえを見て、半助もにっこりと笑った。優しく、温かく、深い眼差しだった。
 ふえは、『目を見れば分かるもの』という千沙の言葉を思い出していた。悔しいけど、たしかにそうなのかもしれない。
 金山の頭領の娘として、一清の右腕として、皆の敬意を集めるふえに、こんな笑みを向けた男も、今までいなかった。
 いや、一人だけいたのだ。もう何年も前に、切ないくらいに優しく、微笑んでいた人が……。
 一瞬、ふえはその人の面影を半助の瞳の中に見つけ、そんな自分にとまどい、あわてて否定した。




 

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