第八章

 かくして半助は、再び加賀の城へと戻ってきた。
 ふえと半助は相談の上、例の半助の友人が、母親捜しのためにもう少し残ることになったので、事件のことが気になっていた半助は加賀に戻ってきたということにした。(実は半助は、友人に安住での情報集めを頼んでいた)。そこで偶然にふえに出会って、ふえは自分の仕事を手伝ってもらうことにした、というシナリオを作り、ふえは一清のもとに半助を連れていった。
 一清はふえの態度の変わりようを不思議に思ったが、
「利用できるものはなんでも利用するのが忍びの仕事です」
というふえの言葉に、妙に納得してしまったのだった。
 半助は、人を物扱いするなと抗議したのだが、半助が忍者として優秀であることを、ふえもさすがに認めたのだろうと、二人の様子を見て、一清は察していた。
 半助が力になってくれるというのなら、もとより一清に異論のあるはずもなく、城に逗留してくれるように喜んで申し出たのだった。そして、仕事の合間にまたぜひ、自分にいろいろ教えてほしいと、嬉しさを隠しきれない様子で頼んでいた。
 そんな一清を見て、ふえは初めて、一清をだましているのだという思いに胸がキリキリと痛んだ。
 その夜、大喜びの千沙と一清にもてなされ、一清を酒を酌み交わす半助を城に残し、ふえは一人家に帰った。
(ったく! どういう神経してるんだろう、あいつ!)
まるで何事もなかったように一清を笑顔で話していた半助を思い出し、ふえは腹が立ってきた。
(こっちがどんなにつらい気持ちでいるかも知らないで!)
 だが、そのことで、身内に裏切り者がいるかもしれないという重苦しさが、少し軽くなるような気がした。


 翌日、ふえも半助も、極秘に例の事件の捜査と称して、こっそりと今後の方針について話し合った。
 二人が相談する場所として、ふえが指定したのが、ほかならぬ例の北の庵であった。ここはすでに徹底的に調査したので、城の者は近づかないだろう、というのがふえの案であった。
 はじめ、半助はそこでふえに会うことを嫌がった。
「これじゃまるで密会してるみたいじゃないか」
「当たり前でしょ! ばか!」
ふえは、半助が鋭いことを言うわりには呑気なように思えて、つい怒鳴ってしまう。
「だれかに聞かれたら困るんだから、こういうのを密会と言うのよ!」
「だけど、よりによってこんなところで。万一だれかに見られて、また逢い引きだのなんだのと言われるのはごめんだぜ」
「こっちだってごめんよ! だからこそ、見つからないようにここを選んだんじゃない!」
切れかかったふえに対して、半助はあくまでもマイペースだった。
「だいたいこんな所で男と女が二人っきりで会うっていうのが間違ってないか?」
途端にふえは冷ややかになった。
「ふん、おあいにくさま。あたしは身持ちが堅いのよ。第一、あたしの理想は一清さまのように強くて、頭が良くて、優しい男が理想なの。あんたみたいな無神経男なんか思案の外よ」
「そういう問題じゃないと思うんだが……。ま、いいか。とにかく仕事の話をしよう」
 結局半助のペースに振り回されるふえは、心の中で
(この仕事が終わったら、絶対シメてやる!)
と決意していた。
「それで例の……怪しいやつなんだけど……」
半助はふえに気を遣って“内通者”とは言わずに遠回しの言い方をした。
「ふえ殿に心当たりは?」
「あるわけないでしょ!」
ふえはそっぽを向いて答えた。
「じゃあ、比較的最近になって城に仕えるようになった者は? 下働きの人も含めてね」
「いいえ。下働きの者でも、どこの家の者か、一清さまは全部分かっているわ。いちばん新しいのは、千沙姫についてきたあの二人(かえこときえこ)ね」
 ふえの、ちょっととげのある物言いに、半助は苦笑いを漏らした。
「まあ、あの二人は除外していいだろう。それじゃ次、出入りの商人や何かで新しい人や、鷲尾の勢力下の国とも商売しているような者は?」
「ないわ」
「そうか。なら家臣団の中で、安住との同盟を快く思っていないのは?」
 冷徹な、と思えるほど論理的に話を進める半助に、ふえは頼もしさと不快感の両方を感じた。
「それだけで疑うなら、あたしや、隆房だって含まれちゃうわよ」
「なるほど、あんたもね」
そう、面白そうに言って、半助はアハハと笑った。
「それじゃあ、ふえ殿も含めて、安住に反感を持っいる者のリストを作ってくれ。とりあえず、一通り身辺を洗ってみる」
「わ、わかったわ」
ふえは不承不承うなづいた。
「あとは任せてくれればいい。あんたは内偵がばれないように気をつけていてくれ」
「任せてって、でもそれじゃ……」
「仲間を疑うのはつらいだろ?」
 ふえははっと、半助の顔を見た。
半助はまっすぐにふえの顔を見ていた。わずかに微笑みさえ浮かべた、優しく、温かい表情だったが、その中にも、この人に任せれば大丈夫だという確信を抱かせる何かが、彼の瞳の奥にあった。
 ふえはようやく腹をくくった。
「ありがとう。でも、これは本来あたしの仕事よ。一緒にやるわ」
半助はふっと笑った。
「そう。それなら手伝ってほしいことができたら、その時遠慮なく頼むことにるすよ」
 そんな半助を見ているうちに、ふえはなぜか泣き出しそうな気分になった。
そしてあわてて、わざと怒った顔をして、トントンと肩を叩いた。
「はぁ〜、全く気苦労だこと。あの純粋培養のおのんき姫がうらやましいわ」
「へーえ、そうなの?」
立ち上がりかけた半助が、さも意外そうに言った。
「なによ。その反応は」
「だって千沙さまはふえ殿をうらやましがっていたよ。ふえ様みたいになりたいって」
「千沙姫が?」
 それこそふえには意外だった。両親のもとで大切に庇護されて育ち、政略結婚した先でも愛されて。それでいてただわがままなのではない。一清の奥深くの思いを、だれよりも理解している千沙だった。
 冗談抜きで、ふえのほうこそ千沙をうらやましく思うことがないと言えば嘘になった。
 半助がにこっと笑った。
「わたしの受け持ちの組には、11人の生徒がいるんだが……」
またいきなりわけの分からない話を、と、ふえは眉間にしわを寄せた。
「それぞれみんな、個性も得意科目も境遇も違うんだよ。だからとても楽しいし、一人一人が優劣なく、大切な子供なんだよ」
「それで?」
ふえは切り口上で聞き返しながらも、半助の話に興味を持ち始めていた。
「ふえ殿にはふえ殿にしかできないことがあるでしょ?」
 縁側から、さやさやと風か入ってきた。
 風鈴がちりんと鳴った。
「それじゃあ、まだ明日ね」
半助はそう言うと、さっさと帰って行った。
 ふえはしばらくほうけたように、その場にすわりこんでいた。




 

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