ももたろう・最近のNEWS!!2005
 (新しいことがおこったら更新です)

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2005年11月

 雑誌児童文芸に同人誌ももたろうの評がのりました。
 ももたろう23号
 河原潤子、赤羽じゅんこ、山本悦子、山田理加子……、すでに大手出版社から多くの作品を世に出している若手作家の集団である。うれしいことだ。「同人の研究会に所属していても、商業出版で作品が世に出ると、大物作家気取りになって、退会していく人が多いのです。」と各地のグループから耳にする言葉だ。
 謙虚さを失わずにコツコツ邁進する、「ももたろう」を始め、同人たちの姿を先輩たちは、じっと見ている。その心を忘れるに……。
 「今日にさようなら 三年生」(堀切りえ」
 三年生になったシンイチの姿を、一年間追い続けていく、教室を笑いながら歩く、トイレに住んでいるトイレま王など。無限に広がる空想、ユニークなネーミング、学校、家庭、自然、子どもたちの躍動感あふれる行動に引き込まれていく。小気味よい展開。加筆して長編にしたい作品のひとつ。
 こうした作品が誕生するのも、仲間たちの厳しい批評と、思いやりがあるからこそ。同人の批評会光景を想像している。どの作品もレベルが高くて粒ぞろい。感心している。(評 漆原智良)

2005年10月2日(日)

 ももたろう23号が完成。発送しました。発送を手伝ってくれたのは、清野、高林、水科、月野、松田で、赤羽家で行いました。
発送のあとは、かんりびとさんからいただいた、お菓子を、おいしい紅茶で食べました。
また、今号で、砂古口、藤木の両名が退会。竹内が、入会しました。(赤羽)

2005年7月20日(水)

 絵本『ハルばあちゃんの手』(文・山中恒 絵・木下晋 福音館)出版を祝う会に行ってきました。如水会館の「オリオンルーム」にあふれるほどの大勢の方が集まるという立派な会でした。土井たか子さんや映画監督の大林さんを初め、有名な方がたくさんいらしていて、わたしたちはここにいていいのと不安になるほど。
 会は祝辞に続いて、この絵本がどうしてできたかなどエピソードが語られました。
 会場には、木下晋さんの原画がかざられていて、鉛筆だけで書いたというその絵の迫力に、多くの人が見入っていました。
 ももたろうは、山田、清野、赤羽の三名が出席。体調をくずして急遽欠席した堀切さんの分まで、ごちそうを食べてきました。(赤羽)

2005年5月20日(金)
  
60000番のキリ番を見事ゲットしたのは、けいさんでした。
おめでとうございます!
キリ番賞は、赤羽さんから「くまざさ焼酎」と「なぞのたまご」(?)、seino3から「桃饅頭」とCD「桃源郷」、堀切からアロマグッズとおまけの本が贈られました。(→不思議な商品群ですねえ。でも喜んでいただけたようでよかったです)
鬼のののがみさんには、キリ番レースを盛り上げてくださった功労賞+前後賞として、信州ビール、おつまみ、生ビール一杯が贈られました。(すみません、生ビールはまだ手渡っていませんがしっかりツケてあります)
みなさんのおかげで「ももたろうHP」も6万番代に突入しました。
今後ともぜひ気楽にお寄りください。大歓迎します!(堀切)

2005年5月13日(金)

 リレー童話完成を祝って、打ち上げの会を開きました。場所は、水道橋の台湾屋台料理の店「台南担仔麺」(タイナンタイミー)。13日の金曜日にもかかわらず、リレー童話を書いた、酔う怪、高林、かんりびとさん、水科、三木、赤羽、、ののがみさん、に加え、応援団として、末吉先生、松田、堀切、緑陽社の武川夫妻なとが集まりました。お客さんがいっぱいのお店で、お酒を飲みながら、こうなると思ったのに、こう書いたとか、一度くらい別の場所に移ってもよかったとか、わいわいと意見がとびかいました。
 その後、同人誌ももたろうのこと、書き続けていくにはなど、鬼の先生に少し相談にのってもらい、なかなか白熱した話しが繰り広げられました。ただ、次回のリレー童話の話は、空中分解……、酔ってない時にしないとまとまらないと実感しました。(赤羽)

2005年4月17日(日)

 ももたろう総会が、横浜で開かれました。出席者は、赤羽、高林、月野、堀切、水科、森里、山田、清野の8名。
 晴天。海の見えるホテル。「お久しぶり!」「はじめまして!」と弾んだ声で挨拶が飛び交う。
 新人の森里さん、月野さんとは初対面の人が多い。お二人とも笑顔の素敵な人。ももたろうの可愛い度がさらに(!)アップしたかも。
 窓辺の席にほぼ定刻通り(11時半)全員着席。まずは腹ごしらえの後、コーヒーを前に、いよいよ会議のはじまり。満腹のお腹に、ピリリとかすかに緊張が走る。
 司会、赤羽さん、書記、堀切さんでテキパキと進められる。議題は、主に会の役割分担や活動について。前もってメールや電話で寄せられた欠席者の分も含めて、全員意見を提示した。積極的な提案もあって、しだいに活気を帯びてくる。
  なお、現在春と秋に西国分寺から発送されている「ももたろう」は、今後、春は横浜発となることに決まりました。
 勉強会もしたいという話もでました。
 場所をかえて、ホームページのことなども話し合い、延々5時間の会議の幕は閉じられました。
 有意義でしたが、疲れたのか、あるいは家族の顔が浮かんだのか、だれも飲もうとも、目の前の観覧車に乗ろうとも言わずに、春の夕暮れの中に消えていきました。(清野)


2005年3月27日(日)

  ももたろう22号の発送作業を赤羽宅でしました。来てくれたのは、砂古口、ツキノ、水科、山田の4人。赤羽家のむすめも加わって、名前を書いたり、シールをはったり。今月号から値上げをしたねなどと、作業しました。かんりびとさんお手製の封筒だと、住所を押す手間がなくなって、早くすみました。なので、山田さんがもってきてくれたワインを飲みながら、ぺちゃくちゃ。リレー童話の結末はどうなるんだろうとか、最近のおすすめ漫画は?とか、話題にあがりました。なぜか、いつもおすすめ児童書は?というのが、でてきません。児童書よりも、漫画のほうが。みんな興味があるようです。
 さて、ももたろうも11年目。同人誌として、少しまんねりになっていたらつまらない。なにかいい刺激になることができないかなどと、まじめなことも少し話しました

2005年2月11日

   佐藤さとる先生の喜寿のお祝いの会が、横浜桜木町駅前ワシントンホテルにて開かれました。佐藤先生ご夫妻、鬼が島通信、出版社、作家の方々にまじって、ももたろうからは赤羽、清野、堀切が出席させていただきました。佐藤先生はもちろん、居並ぶ方々の豪華な顔ぶれに、ももたろう3人はちょっとドキマギ。
 一人ひとりが佐藤先生やコロボックルとの出会い、思い出を心をこめて語りました。貴重なお話の連続で興奮しました。佐藤先生の作品は、ほんとうに読者にとっても出版社にとっても宝物なんだなあ、と実感しました。
 佐藤先生の奥様のスピーチには、会場が幾度も爆笑しました。佐藤先生の意外な素顔をかいま見せていただきました。(やっぱりチビ先生は奥様??)
 私が佐藤先生にはじめてお会いしたのは、1992年12月、箱根での鬼が島通信社の忘年会でした。あのときも昨日も「ももたろうにいてよかったなあ」と思いました。ですので、居合わせた方へ『ももたろう』を渡して、宣伝も怠らずしてきましたヨ。(堀切)

2005年2月3日(木)

ももたろうのホームページ三周年目をむかえ、プロフイールにアンケートを追加しました。これから、四周年目もめざしてGO!

2005年1月24日(月)

 鬼、ももの食いしん坊な有志で、第一回しゃぶしゃぶの会&新年会がおこなわれました。場所は、浅草の「四万六千日」という老舗のお店。変わった名前の由来は、ほうずき市がおこなわれる七月十日は功徳日で、この日観音様をおとずれると、四万六千日おとずれた分の御利益があるといわれていることからのようです。出席者は、鬼ののがみ、末吉夫妻、榎本、ももの堀切、山田、松田、赤羽、飛び入り参加として、ももたろうの印刷をたのんでいる印刷所「緑陽社」の武川社長夫妻でした。
 黒豚のしゃぶしゃぶは、お酒をいれたお鍋に火をともして明かりを消すなんてロマンチックなサービスから始まり、だれがしいたけをいれたとか、だれがお肉をたくさん食べたとか言いながら、ワイワイガヤガヤと盛り上がりました。お鍋の最後にうどんではなく中華麺が出たところも新鮮でした。私的には、しゃぶしゃぶの前にでた「さつまあげ」がおししく、管理人さんのぶんまでもらって食べてしまいました。次はどんなおいしいもののお店に行けるでしょう。これからも楽しみです。(赤羽)