キレる大学院生


「男にヒステリーはない」と思っていた。数年前、その光景を目の当たりにしたとき「これが俗に言う、若者の『キレる』という症状なのか?」と、相手を冷静に観察している自分がいた(まず最初に、お断りしておかなければならないのは、この文章の目指すところが、自己防衛の手段だということである)

1996年あたりから私がいる大部屋を、農学系の大学院生が凌駕するようになった。その初期の頃、博士課程の大学院生の中に、私の苦手なタイプの全てに当てはまる人物がいた。「世の中には、こんな人間もいるんだ」という感慨を、新たにしたものであった。

自分の非を認めず、常に自分を正当化しようとする。自分に都合が悪くなると、権力を傘に圧力をかけてくる。自分の思い通りにならないと、癇癪を起こす(キレる)。そんな人間であった。余りにも言動がひどいので「そんな他人の悪口、言ってる暇があったら、論文の一本も書いたら?」と注意したこともあった。

彼は「自分ほど研究している人間はいない」と豪語し、常に自分の研究のやり方を自慢していた。しかし私の目から見れば、たかが大学院生の彼に研究能力が備わっているとは、とても思えなかった。例えば、彼は「この結果得るのに、電気泳動50回も繰り返したんですよ。普通の人、ここまでやりませんよ」と自慢するのだが、私が「慣れた人で20回もやれば同じ結果が得られるのなら、あなたの場合は30回も無駄にしていることになるんだよね」と言うと、急に口ごもり、反論もできない状態になるのであった。

また、彼の行動には危険なものが多かった。例えば、彼は、やかんを火にかけたまま忘れて他の部屋で仕事を続け、私の知る範囲では少なくとも3回、空炊きをしている。空炊き寸前という事態に陥ったことは、数え切れないくらいある。しかも自分の不注意を護摩化そうとし、謝りもしない。取っ手のエボナイトが熔け、嫌な臭いのするやかんを、私たちは使い続けなければならなかった。鍋を空炊きし、木製の取っ手が燃え上がったことを隠蔽しようとして、工作している現場を私に見つかったこともある(1)。

何度、本人に直接注意しても聞き入れないので「この部屋で火を使用する人は、その場を離れないで下さい。このことを守れない人は、この部屋で火を使用しないで下さい」という極めて常識的な張り紙を出すと、今度は「ある人のせいで自由に利用活動し難くされている」と彼の指導教官に進言し、私の行為が研究科会議の審議事項に上る始末であった(2)。

彼は完全に自由を履き違えていた。自由には責任が伴うものである。彼が自由に利用活動することが、他人に迷惑をかけているのだから(これを「傍若無人」と言う)、規制するのは当然である。この部屋は、彼の研究グループだけのものではない。火事が起きてからでは遅いのである。そんなことも分からず、自分の意のままに動かない人が身近にいたからといって、自分の行為を正当化するために、嘘八百を並べて他人の行為を非難し、彼の指導教官まで動かそうとするのは、言語道断である。

そんな彼が見せた「男のヒステリー」を、私の胸の中に仕舞っておくこともあるまい。それは、だいたい次のようなものであった。

その当時の大部屋には、どこかに出掛けた人は必ず、お土産を買ってくるという習わしがあった。お土産は菓子折であることが多く、私は甘いお菓子が大の苦手で、誰の勧めにも断っていたくらいである。あるとき、彼が買ってきた菓子折が不人気で、随分と売れ残っていたことがある。たまたま彼と私が二人だけのとき、彼の勧めに私が「甘いものは苦手だから」と断ると、彼は突然、癇癪を起こして菓子折を床にたたきつけ、足で踏み散らかして「こ、こんな、こんなこと、されて、いいと、いるのか。お、おまえ、おまえが、なくなら、ないんだ」と、意味不明な言葉を、金切り声で叫んだのである。

彼を落ち着かせてから、何が言いたかったのかを聞き出すと、それは彼、お得意の常識論であった。「人に食べ物を勧められたら、とにかく受け取る。もし食べられないなら、その人に見つからないように、後でこっそりと捨てればいい」というのが彼の常識で、それに反する人を、彼は許せないのであった(「後で捨てるくらいなら、食べられる人に食べてもらったほうがいい」と、私なら考えるのだが......)

彼の軽いキレ方なら、数え切れないくらいあった。例えば、彼のグループが所有するパソコンのプリンタで印刷された用紙が一度に何枚か、下方から排出されてコーヒーカップを直撃し、キーボードにコーヒーをこぼしてしまったことがある。そのときも彼は、自分がそこにカップを置いたことや、用紙経路レバーの位置を確かめずに印刷したことを棚に上げ、以前の印刷でレバーの位置を変更した、誰かも分からない人に対してキレていた(彼のことだから、自分でやって忘れている可能性が高い)。また「一緒にご飯、食べに行きませんか?」という彼の誘いに私が断ると、彼は「こっちは、わざわざ誘ってやってるんだ」とキレる始末で、私にとって彼は、はた迷惑な存在であった。

普通の人なら、お菓子が売れ残っても、また誘いを断られても「しょうがないね」で、簡単に済ませられる問題である。それが出来ない彼は、本当は可哀想な人間なのかもしれない。彼をみていると、彼以外の世の中の人間がみんな「いい人」に思えてくるから不思議である。そんな彼の人間性を一言で表現すると「出来るなら一生、関わり合いになりたくない人物」ということになる(3)。

[脚注]
(1) 「空炊きをしたくらいで、やかんや鍋の取っ手が燃えるのか?」と疑問視する人もいるようだが、彼はやかんや鍋を火に掛けるとき、コンロの真ん中に置いたためしがない(雑な性格だということ)。また、部屋に誰か他に人がいれば、お湯が沸いているなら火を止めることもできるのだが、彼は夜中やることが多いので、誰もいない部屋で空炊きが起きてしまうのである(1)。
(2) 事の真偽を確かめもせず、問題の人物の主張を真に受けて、研究科会議に諮ろうとする、彼の指導教官も指導教官である。おかげで、私の知らないところで「ある人のせいで自由に利用活動し難くされている」という私に関する悪い噂が一人歩きし、それが他大学の研究者の耳に入って、その情報が私にもたらされる(私の知るところとなる)という、なんとも複雑怪奇な経緯をたどることになってしまった(2)。他人にこれだけの迷惑をかけておきながら、関係者の誰からも、一言の謝罪もないのは道義にもとるのではないか?
(3) ここで述べて来たことの正しさは、インドからの留学生が保証してくれるだろう。問題の人物の常軌を逸した言動に、彼も随分と苦しめられたようである。彼からは「torturing mentally(いじめる), blame(非難する), insult(侮辱する)」という言葉を、よく聞かされたものである。その度に、私は「endure(我慢しろ)」という言葉を繰り返し、彼を励ましていた。

[脚注の脚注]
(1) 1998年3月、誰も来ない理学部の一室で、私は夕方6時から明け方6時まで、クロサンショウウオの繁殖行動の実験をしていた(Hasumi, 2001)。某日の明け方6時半頃、実験が終わって自然科学研究科に戻り「さあ、コーヒーでも飲んで、帰って寝るか」と誰もいない部屋のドアを開けると、そこら中に焦げくさい臭いが漂っていたことがある。臭いの元を探ると「やかん」で、みれば取っ手のエボナイトが熔けて蓋から何までそこら中にこびりつき、おまけに底は穴が開く寸前であった。シンクにある束子(たわし)にエボナイトが付着していることから、やかんにこびりついたエボナイトを束子で擦り落とそうとして、落とし切れなかった跡がうかがえた。「また護摩化そうとしているな」と思いながら、そのやかんで沸かしたお湯がくさく、いつものレギュラーコーヒーが飲めなくて、悲しい思いをして帰宅したことを覚えている。
(2) ここまでされたら仏の顔も三度まで、いくら寛容な私でも黙っているわけにはいくまい。問題の人物が、私に関する悪い噂をでっち上げ、それが結果的に他大学の研究者にまで広まってしまったという事実がなければ、私も彼の「人となり」をここで暴露するようなことはなかっただろう(これを「自業自得」または「因果応報」と言う)。


Copyright 2002 Masato Hasumi, Dr. Sci. All rights reserved.
| Top Page |