共著へのクレーム


こんなもの、私だって、データがあれば、書けますよ!!

これが、羽角・懸川(1989)(1)の和文の原稿を私に返して寄こしたときの、指導教官の第一声であった。それから延々と30分近くも、研究室以外の人(この場合は、私の友人である懸川雅市さん。当時、東京都立本所高等学校)と連名で共著を出そうとすることに対して、他の学生や大学院生がいる目の前で、文句や嫌味を言われ続けなければならなかった。しかも肝心の原稿には、指導教官の手直しが全く入っておらず、その後は、また自ら文章の推敲を繰り返さなければならなかった(2)。

論文は、英文にしろ和文にしろ「データがあれば書ける」という代物ではない。仮に百歩譲って、指導教官の手元にデータがあったとしよう。

・それは、いったい何のためのデータなのか?
・言いたいこと、証明したいことがあるから、そのためのデータを採るのではないのか?
・どのような目的で採られたデータなのかも分からずに、論文が書けるのか(3)?

私が書いた原稿を読んだ後で、冒頭のようなことを言うのは、ジャンケンの後出しと同じである。私と同じアイデアが、指導教官にあるとは思えない。もしあるのなら、私が彼の研究室に所属する以前に、とっくに同様の論文が出ていてしかるべきである(4)。

[脚注]
(1) この和文が掲載された「両生爬虫類研究会誌」の発行日は「1989年9月」になっている。だが、私が懸川さんと共著で和文を書く話をしたのは、1989年11月に新潟大学で第28回日本爬虫両棲類学会大会が開催されたときであった(論文のアイデアを彼に話したところ「そういうデータならあるよ」ということで、そのとき初めて共著にすることが決まったわけである)。この原稿を日本両生爬虫類研究会事務局の◯◯さんに私が預けたのは、その年の12月に入ってからのことである(◯◯さんは「研究会誌を12月に発行する」と言っていたので、この和文の最後のページにある英文要旨には「December, 1989」の文字が入っている)。こういうおかしなことをするから、この研究会は信用を失ってしまったのだと思う。
(2) 文句や嫌味を言われるために、指導教官に原稿を見せたのではない。「少しでも原稿が改善されれば......」と思って、わざわざ頭を下げて頼んでいるのである。もし彼が、共著者に自分の名前の入っていない原稿を直すのが嫌なら、私が原稿を彼に預けた時点で、断れば済む話である。原稿に目を通してもらった手前、和文の謝辞には指導教官の名前が入っているが、原稿の改善に彼が何の貢献もしていないことは明らかで、何度、彼の名前を削除しようと思ったかしれない。
(3) これらは、本来の研究目的である「トウホクサンショウウオの形態形質の地理的変異・形質傾斜」の副産物として、自分自身の裁量で採っていたデータである。従って、このアイデアを指導教官に披露したことは一度もないし、そのような話を彼から聞かされたこともない。
(4) 私が指導教官の研究室に所属してから、彼が退官するまでの11年間(1983年4月〜1994年3月)、彼が研究している姿を一度も見たことがない。とっくに研究をやめていたような教授に、自分でデータが採れるはずもない。


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