-20℃〜-30℃の世界


2005年1月3日(月曜日)、モンゴルへの入国手続きを終え、現地時間の午後4時47分、モンゴル教育大学の教員と一緒に、ウランバートル(ボヤント・オハ−)国際空港から外に出た。空港内は暖房が効いて暖かいのだが、一歩外に出ると、そこは厳寒の世界。外気温を尋ねると、-28℃という答えであった。外に出たとき「息が凍る」と言えばいいのか、なんとも不思議な「息をすると鼻が凍って詰まり、息が出来なくなる」という感覚を初めて味わった。但し、それも一瞬の出来事で、すぐに慣れて呼吸が楽になるのであった(1)。

さて、空港から宿泊するエーデルワイスホテルまでの約25分間の道のりをワゴンに乗って向かったのだが、道路を走る自動車の飛ばすこと、飛ばすこと、常時「80km/h」は出ていたようである。これが対向車を含めて全部が全部、同じくらいのスピードで行き交うのだから、こっちとしては生きた心地がしない。ウランバートルの冬の積雪は3〜4cm程度であるが、道路がガチガチに凍っているので、私たち日本人の感覚からすれば、スピードの出し過ぎは危険きわまりない行為に映ってしまう。だが、急ブレーキを踏んでも、自動車の制動が効かなくなることを心配する必要は、全くなかったのである。

実際に自分の足で道路を歩いてみて、驚いたのは「道路が凍っているのに、ほとんど滑らない」ということであった。-26℃〜-28℃くらいだと「気温が低すぎて、水がすぐ凍るので、滑らない」という、まさに「濡れた氷は滑る。乾いた氷は滑らない」の世界を、肌で感じ取ることが出来た。というわけで、せっかく購入したアシックスの靴が「厳寒の地での雪道に対して、効果的であったか否か?」は「判断を下せない」という、なんとも冴えない結果になってしまった(2)。

1月4日(火曜日)午後7時50分、佐野智行さん(姫路獨協大学)、中川雅博さん(近畿大学)、ウンドラさん(通訳)、それと私の4人で夕食を採った「北京飯店(Beijing Restaurant)」を後にし、外に出てタクシーを拾った。ウランバートルのタクシーは、燃費を稼ぐためなのか知らないが、ガソリンをぎりぎりでしか入れていないことが多いらしい。そのタクシーも御多分に漏れず、5分間も走らない内にガス欠になり、ガソリンスタンドに寄ってガソリンを入れようとしていた。ところが、外気温-30℃の寒さでは、エンジンを止めた途端に着火できなくなり、最初は回っていたセルも、とうとう回らなくなってしまった。完全なバッテリー上がりで、私たち一行は、このタクシーを捨てて、他のタクシーを拾うこととなった次第である。

うたい文句が「-20℃でも書ける」というボールペンは、野帳に記入する度にウインドブレーカーの内ポケットから取り出していたのだが、かすれることはあっても、全く書けなくなるようなことはなかった。記入時の外気温は、だいたい-18℃〜-30℃である。但し、これらはボールペンが懐で暖まっていたからこそ、書けていたのかもしれなかった。実際問題として、1月5日(水曜日)午後4時38分、モンゴル教育大学構内から外に出たときの気温は-22℃くらいであったが、そこからホテルまで歩いて約12分間の道中ずっとボールペンを外に出していたら、段々と字がかすれて来るのが分かった(3)。

1月7日(金曜日)、午前中はフリーで、通訳の「オトゴン(Dorjbal Otgontsetseg)」さんと一緒に買い物に行く約束を取り付けていた。彼女がホテルに現れる午前10時までの空き時間を利用し、20年以上も愛用している旧式の「一眼レフカメラ(Pentax MX)」を抱えて、付近の風景写真を撮ることにした。フィルムは「Provia 100F(Fujichrome, Color Reversal Film)」である。ウランバートルの1月は、午前8時半を過ぎないと明るくならない。まだ低い位置にあって、朝もやで霞んで見える太陽を背にし、-23℃前後の外気温の中、手袋をしないで写真撮影をおこなっていた。これは、15分間が限界であった。15分間、手袋をしないで外にいると、かじかんだ手が凍傷ぎみになることが分かった。大晦日に購入したユニクロの手袋は、それほど暖かさを感じるわけではないが、立派に役立っていたのである(4)。

滞在期間中、誰かが「昨日の最低気温が-50℃だった」と話すのを聞いて「それは、ウランバートルでの話なのか?」と尋ねてみた。どうもモンゴルの北のほうの話のようで「ウランバートルでは、最低気温は-40℃も行かない」というのが、真相のようであった。まあ、それでも「-20℃〜-30℃の世界」であることに変わりはない。

[脚注]
(1) 1月6日(木曜日)は午前6時に起きて、NHK海外向け放送で朝7時の「インド洋大津波」に関するニュースを見ていたら、北海道鶴居村のタンチョウの映像が流れ、外気温が-19℃で凍えるような寒さであることを盛んに強調していた。同室の藤則雄さん(金沢学院大学)と一緒に、この映像を見ながら「こっちは-30℃くらいあるんだがなあ」と言い合っていた。
(2) ○○さん(金沢学院大学)と藤則雄さんは、雪道対策として、同じメーカーのスパイク付きブーツを履いていた。そのことで「転ばぬ先の杖」といった程度の安心感は得られたのかもしれないが、道路が滑らないので、無用の長物と化しているようであった。
(3) ウランバートルの家屋は窓が二重構造になっていて、モンゴル教育大学の窓は内側のガラスは何ともないのに、外側のガラスには常に霜が張っているような状態で、いかにも「外は寒いですよ」というのが伝わって来るような光景であった。
(4) 1月のウランバートルは日中の最高気温が-20℃以下のことが多く、確かに寒いことは寒いのだが、ほとんど風が無いので、インナーウエアなどを着込んで防寒対策さえしっかりしていれば、それほど寒さを感じることはないようである。1月の体感温度は、最低気温が0℃以上あっても、海風の強い新潟大学周辺のほうが、むしろ寒く感じるくらいである。


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