エーデルワイスホテル


2005年1月3日(月曜日)〜8日(土曜日)の5泊6日で、モンゴル・ウランバートルにあるエーデルワイスホテルに滞在した。

1月6日(木曜日)にモンゴル教育大学で開催されたシンポジウムに参加した日本人は5名であったが、このホテルに宿泊したのは、藤則雄さん(金沢学院大学)と私の2人だけであった。もちろん同室である。佐野智行さん(姫路獨協大学)と中川雅博さん(近畿大学)を含む他の3人は、調査隊長の○○さん(金沢学院大学)がウランバートル市内に購入したマンションに泊まっていた(1)。

「地球の歩き方 D14 モンゴル 2003〜2004年版(ダイヤモンド・ビッグ社)」によると、エーデルワイスホテルは全20室で「高級ホテル」という位置付けである(朝食込みのツイン料金はUS$90.00)。客の出入りは2階からで、フロント、ロビー、クローク、レストラン(フロントを正面に見て、右側にロシアンレストラン、左側にヨーロピアンレストラン)が併設され、3〜4階が客室である。各階へは、フロント横の螺旋(らせん)階段で昇り降りする。エレベーターはない。英語が「多少は」通じるスタッフが2〜3名いて、その中の1名が交替で勤務しているようであった。2004年7月に宿泊したホワイトハウスホテルと比べて、全体的に造りが、しっかりしているような印象を受けた。

1月3日(月曜日)のチェックイン後、藤さんと私の2人が通されたツインルーム(308室)は、こじんまりとして落ち着いた雰囲気のハイグレードな部屋で、バスルームの造りもコンパクトであった。もちろん、NHKの海外向け放送だって、ちゃんと入る。「備え付けのポットがないので、お湯をフロントまで貰いに行かなければならない。暖房設備が向かって右側の窓際にあるせいで、右側のカーテンが引けない」という2つの難点があったが、全体的に満足の行く造りをしているように思われた。

1月4日(火曜日)は、ちょっと遅めに午前7時50分に起床したのだが、まだ外は暗く月が出ていた。NHKを付けると、オオサンショウウオの番組「ふるさと発」をやっていた。午前8時5分、向かって左側のカーテンを開けようとしたら、カーテンがレールごと落ちて来た。見ると、天井に打ち付けてある釘ごと抜けていた。比較的しっかりした造りのように見えても、やはりウランバートルのホテルである。これは、自分では直せそうもない。午前9時15分、レストランで朝食を採る前に部屋にボーイを呼んでカーテンが外れたことを告げ、直すように言うと、驚いたような表情をしていた。

この日は午後からモンゴル教育大学生物学部で、サンショウウオ・チームのメンバーであるズラとタイワンに、ダルハディン湿地に生息するキタサンショウウオ個体群の年齢構成を調べるための、骨年代法の講義と実習をおこなう必要があった。終了後、藤さん、佐野さん、中川さん、それに私の4人でメルクリ(mercury)・ザッハという市場で買い物をし、午後4時45分に一緒にホテルへと戻った。部屋に入ってみると、まだカーテンは直っていなかった。「もしかすると、このまま放置されてしまうかもしれない」という危機感を抱きながら、午後5時55分にフロントに降りると、通訳のウンドラさんが来ていたので、彼女に事情を説明した。すると、彼女がモンゴル語でフロントに掛け合ってくれ、カーテンを直す代わりに、308室から412室への部屋チェンジが実現した。やれやれ、である。

この部屋も前の部屋と同じような造りではあったが、もはやカーテンレールが抜け落ちるようなことは、なさそうであった。しかし、どこも似たようなもので、この部屋にも「バスルームの便器のフタが取れている。ベッド脇のランプが点かない」という欠陥があった。また、全体を通して「アメニティーグッズの補充をおこなわない」という、ルームサービスの問題があった(2)。

1月7日(金曜日)の午後は、モンゴル教育大学生物学部でダルハディン湿地調査に関する会議があった。それが午後5時45分に終了すると、皆で外に出て夕食を採ることになったのだが、-27℃の外気温の中を少し歩いて着いた先のレストランは、結婚式で貸し切りだった。仕方がないので、皆でタクシーに分乗して、エーデルワイスホテルのレストランで食事をすることになった。午後6時23分、タクシーがホテルの玄関先に着くと、辺り一帯が停電で真っ暗だった。玄関先の暗闇の中で「こりゃ、どうなるんだ?」と不安に思っていると、5分間も経たないうちに灯りが点いたので、中に入ることにした。ロビー中央にあるテーブルの上には、最近の日本では仏壇の前くらいでしか見ることのなくなった、ロウソクが置いてあった。

ウランバートルでは停電が日常茶飯事なので、慌てる人は誰もいないようである。電気が復旧すると、何事もなかったかのようにレストランに案内され、すぐに食事にありつけたことには、ある種の感動さえ覚えてしまった。ちなみに、途中のレストランに入ったときには10人以上の人数がいたはずなのだが、ホテルのレストランで食事をしたときには、なぜか8人に減っていた。「移動の途中で人が抜ける」というのは、ウランバートルでは普通の出来事のようである。逆に、パーティー会場では「知り合いが知り合いをよんで、予定よりも人数が増える」というのも、いつものことらしい。

以上のように、色々と問題は多いけれども、おそらく-30℃以下の外気温の中、夜中でも暖かくして熟睡できるだけで、有り難いと思わなければならないんだろうなあ......(3)。

[脚注]
(1) 今回のシンポジウムに掛けられるファンドの問題もあるのだろうが、どうも藤さんと私だけが、グループの中では特別扱いされているようである。そういえば2人とも、2004年以降のダルハディン湿地調査に必要な専門家としてヘッドハンティングされた、新規のプロジェクト参加者であった。
(2) 色々と問題はあっても、ウランバートル市内のホテルの宿泊費の安さには、感謝しなければならないのかもしれない。1月8日の帰路、韓国ソウルの「仁川(インチョン)」空港近くの「ホテル(Hotel Sky)」に泊まったときは、ツインルームの宿泊費が一人当り日本円で8,000円も取られ、おまけに朝食も付かなかったからである。しかも、バスルームには浴槽がなく、シャワーのみ、というお粗末さであった(歯ブラシもなかった)。空港に近いというだけで、この程度のサービスなら、随分とボッタクリの感がある。ちなみに「ホテルまで空港から自動車で10分間」という宣伝文句は、乗用車やリムジンバスのドライバーが「100km/h」ものスピードで自動車を飛ばすからこそ可能な数字であった。
(3) 実は今回、困った問題があった。同室の藤さんの就寝時刻が余りにも早すぎて、それに合わせて私も就寝しなければならなかったのである。1月3〜7日の就寝時刻は、順に午後9時30分、午後11時、午後8時50分、午後9時20分、午後10時15分であった。しかも「睡眠の途中途中、藤さんの鼾(いびき)やトイレで目が覚めてしまう」という「おまけ」付きで、とても熟睡とは行かなかったのである。藤さんからは「先生は、いつも静かに寝てらっしゃる」という褒め言葉をいただいたのだが、さすがに30歳も年齢が離れたお年寄り相手に文句を付けることは出来ず、なんとか騙し騙し寝ていた次第である。まあ、それでも昨年末の睡眠時間の少なさと比べれば、天国であった(1)。

[脚注の脚注]
(1) 2004年7月に泊まったときは、湿度が低く空気が乾燥しているので、浴槽に10cmくらい水を張って寝ていたのだが、この水が翌朝には、すっかり乾いているのであった。日本では、空気が乾燥する季節は冬なので「モンゴルの冬は、もっと空気が乾燥するのだろう」と考えていた。ところが逆で、モンゴルの冬は湿度が高く、浴槽に水を張らないで寝ていても、喉がガラガラになるようなことは皆無であった。これは、私にとって新しい発見であった。ちょっと賢くなったような気分であった。


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