テープがない


想定外の事件が起きてしまった。調査地に、テープが残っていなかったのである。

2005年8月5日(金曜日)の午後4時24分、ダルハディン湿地の第1調査地を対岸に臨む、キャンプ地へと到着した。すぐにトラックからリュックサックを降ろし、テントを張ると、胴長を履いてシシヘデ川へと入った。これは、既に増水して徒歩では渡れなくなっている川の対岸にロープを渡し、ゴムボートを設置する作業であった(私の他は、○○さんと中川雅博さん)。それが終わると、折り畳み式のナイロンメッシュトラップ10個を用意し、漸く対岸へと渡ることが出来た。これらのトラップは、5ケ所の水たまりに2個ずつ仕掛け、キタサンショウウオの幼生や他の水棲動物を捕獲するためのものである。午後5時47分、調査地潜入の第1陣は、中川さん、フルッレ、私の3人であった(1)。

調査地を歩き出して、すぐに頭の中が真っ白になった。昨年の予備調査で、道しるべとして設置した数多の「標識テープ(水色の蛍光テープ)」が、どこを探しても見つからなかった。それだけではない。キタサンショウウオの個体が日中、潜んでいる調査対象倒木40本に付けた「ナンバーテープ」が、ざっと見たところ、ひとつも残っていなかった。全部、持って行かれているような気配であった。これは、大変なことになったぞ(2)。

当初の計画では、到着した翌日から本調査に入る予定であったが、これでは調査もへったくれもない。まずは昨年、設置した調査対象倒木40本を探し出し、ハンドタッカーで新たなナンバーテープを打ち込む作業が必要不可欠であった。果たして1日間で探し出せるのか? 下手すれば、予備調査だけで2日間を要することにも成り兼ねない状況であった。

8月6日(土曜日)の午前中は、参加したメンバー全員が輪になっての、アルヒ(モンゴル・ウオッカ)による安全祈願で、それが終わって漸く対岸へと渡ることが出来た。時間は、午前10時5分を示していた。仕掛けたトラップから、捕獲された水棲動物を回収する作業がスムーズに進み、午後0時30分にはキャンプ地へと戻ることが出来た。サンショウウオ・チームのメンバー全員に「午後は2時からね」と伝え、すぐに昼食と相成った。私たちのチームを筆頭に、第1調査地で定点観測をする少数のチームは、このまま調査活動を続けるのだが、他の大部分のチームは午後2時頃からジープで他の調査地へと移動を開始することになる。そのためのジープへの荷物の積み込みなども、学生の仕事であった。

こうして予定より遅れること30分、ズラさんに「もう2時半だし、そろそろ始めないと、予備調査が終わらなくなるよ」と言うと「学生が、まだ昼食を食べていません」と言い出した。見ると今、料理の最中で「先生方の料理を先に作っていた」ということのようであった。更に、彼女からは「ご飯を食べないと、学生は働きませんよ」と、脅しとも取れる言葉を聞いてしまった。そう言われれば、こちらとしては黙って引き下がるしかない。荒れる予感であった。そんなこんなで、対岸の調査地へと渡ることが出来たのは、午後3時半をとっくに回った頃であった。

予備調査では、貴重な時間をやりくりして日本で私がまとめて来た昨年のデータをフル活用し、調査対象倒木40本の特定を試みた。だが、こういった事態は想定外だったこともあり、肝心の調査対象倒木の写真を携行することもなく、それらの特定は難航を極めた。「モンゴル人は記憶力が良いからメモを取らない」と豪語する、サンショウウオ・チームの他のメンバーの記憶力は、全く当てにならなかった。唯一の救いは、私の記憶力の正確さと、ナンバーテープを留めていたステープルが、倒木に残されていることであった。これらを頼りにする以外、方法はなかった。この日は、辺りが暗くなって来たこともあって、残り12本となった午後9時20分の段階で諦めざるを得ず、翌日もまた予備調査をする羽目に陥ってしまった。

8月7日(日曜日)、怖れていたことが、また起きた。朝食の段階になって、ズラさんから急に「今日はタイワンさん、炊事当番ね」と告げられたのである。サンショウウオ・チームのメンバーが抜けることは、作業効率の低下にも繋がる由々しき問題である。このことを前の晩にでも知っていれば、対策の立てようもあるのだが、これじゃねえ。まあ、まだ予備調査だし、その後の本調査では、もっと滅茶苦茶な出来事も当たり前のように起こるので、ほんの序の口といったところなんだけど......。

この日も午前中は、ナイロンメッシュトラップから水棲動物を回収する作業に時間を費やしたのだが、アクシデント続出であった。最初の水たまりでは、2個のトラップのうち1個でチャックが取れていた。これには、トラップを仕掛けるときに使う紐で口を縛って、応急処置を施した。3番目の水たまりでは「標識テープ(ピンク色の蛍光テープ)」を目印に付けていた棒が倒され、2個のトラップのうち1個が無くなっていた。4番目の水たまりでも、2個のトラップのうち1個が盗まれていた。5番目の水たまりでは、カラマツの木に付けていた標識テープが取られていた。更に、2個のトラップのうち1個が壊されていた。トラップは5〜6個ほど余分に用意していたので、新たなトラップを設置して、その場をしのぐことにした(3)。

その後、途中2時間弱の昼食休憩を挟んで調査対象倒木の特定に努め、午後6時30分には40本全ての特定が完了した。この時点で、サンショウウオ・チームの他のメンバーは、お役御免である。彼らをキャンプ地に帰し、私ひとりだけ残って、デジタルカメラで調査対象倒木40本の写真撮影をおこなうことにした。これらを昨年、撮影した調査対象倒木40本の写真と比べ、データを確実なものにして行こうとする算段であった。こうして午後8時20分、対岸のキャンプ地へと戻り、一息ついた途端に雨が降り出した。午後8時33分のことであった。

こうして「予備調査に2日間も掛ける」という前代未聞の試練をなんとか乗り越え、次の日からは待望の本調査に取り掛かることになるのだが、恐れ多くて、誰かさんのように「想定の範囲内」とは、口が裂けても言えないよね。

[脚注]
(1) フルッレはサンショウウオ・チームに従来からいるメンバーで、モンゴル教育大学生物学部の3年生である。彼は、倒木に潜むキタサンショウウオの個体を探し出す名人でもあった。その功績に報いる意味で、昨年の調査でソール部分が取れてしまった胴長(約2kg)を日本から持って来て彼にプレゼントしたのだが、まさに「情けは人の為ならず」で、彼が胴長を履くことで今回の調査がはかどったことは言うまでもない。ちなみに、フルッレを除いた従来からいるメンバーはズラとタイワンの2人で、今年は地理学部の2年生であるオーグナが新たにチームに加わっている。
(2) 対岸の調査地周辺には遊牧民が暮らすゲルが3基ほど並んで建っているので、遊牧民の誰かが持ち帰ったものと思われた。一昨年、設置した温度計のデータロガーが昨年の調査で忽然と消え、あるゲルから見つかって回収された例はあったが(当然、使えないデータなんだけどね)、まさか標識テープやナンバーテープまで持ち帰ってしまうとは、予想も出来なかった。テープの類いは、取り外された段階で意味をなさなくなる。日本国内の調査では、普段、起こり得ないアクシデントであった。
(3) この日は結局、トラップ3個分のデータが採れなかった。これは、本当に痛かった。一計を案じた私たちは、全ての水たまりから標識テープを取り外した。それからトラップを仕掛ける場所を変更し、完全にトラップを水没させることで、対処することにした。これが功を奏したのか、その後は本調査最終日の17日まで、トラップが盗まれることも壊されることもなく、無事に済んだのは不幸中の幸いであった。


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