赤牛岳-5/6

  7/30 上野−(夜行列車)−7/31 富山駅−(バス)−折立〜太郎平小屋
  8/ 1 太郎平小屋〜黒部五郎岳〜黒部五郎小舎
  8/ 2 黒部五郎小舎〜三俣蓮華岳〜鷲羽岳〜水晶小屋
  8/ 3 水晶小屋〜水晶岳〜赤牛岳〜(読売新道)〜奥黒部ヒュッテ
  8/ 4 奥黒部ヒュッテ〜平ノ渡〜黒部ダム〜信濃大町
  アルプスに咲いていた花

2006年8月4日(金)

   【奥黒部ヒュッテ〜平ノ渡〜黒部ダム〜信濃大町】

 奥黒部ヒュッテ718〜954平ノ渡1020−(船)−1035平の小屋〜1425ロッジくろよん〜1510黒部ダム

 今日もいい天気だ。ブナ林に覆われた山小屋は、のどかで爽やかである。
 最終日の今日は、まず平ノ渡まで行って10時20分の船で対岸へ渡り、黒部ダムへ出る。平ノ渡まではここから2時間、遅い人でも2時間半だという。

 6時半からの豪華な朝食を済ませ、出かける準備をしていると、廊下で、昨日、腕にケガをしたパーティ−とご主人が何やら大きな声で話し合っているのが聞こえて来た。

「45mもある梯子を片腕だけで登れるんですか。垂直の梯子ですよ!」という主人に、
「後ろの人に押してもらいます」と右腕に包帯を巻いた女性が言い返す。
「下りはどうするんですか。下りは! 梯子は登ったらその分下るんですよ。垂直に! 片腕なんかで下れませんよ。もし、そこまで行って下れないからと戻るようなことになったら、もっと大変ですよ!」

 という話が聞こえて来た。どうも最終的にはご主人と一緒にここを8時に出ることになったようだ。

 私は7時18分に小屋を出た。
 自然林に朝日が差して爽やかだった。
 まずは東沢(写真左)へ出て、丸太で作った橋を渡り、そのまま沢沿いに下って行く。

 丸太で作った梯子が連続する。手を負傷した人が心配になった。ただ階段に付けられた丸太の欄干が、ほとんど左側にあったので、右手を負傷している彼女には救われるかも知れない、と思った。それにしても、ここを片手で上り下りするのはかなりシンドイだろう。

 途中から立山と龍王岳が見えた。私より1、2分先に出発した40代前半の単独行が写真を撮っていた。私もしばし山を見つめる。

(写真左:立山と龍王岳だと思う)

 道は東沢と上ノ廊下が合流した黒部川の右岸を行く。道端にはオオバギボウシなどがいっぱい咲いていた。

 ついに来た。45mの梯子!と思ったが、45mはなさそうだった。これから現れるのだろうか。

 (写真左:こんな梯子や階段が連続する)

      

 支流が幾つも現れる。登山道に滝のようになって流れ落ちる所もあった。滝のしぶきを浴びながらガレ場を一気に通り抜けた。

 この道を歩きながら、大台ケ原から大杉谷を下った時のことが思い出されて来た。大杉谷は「何でこんなところで」と思うような所でも毎年のように遭難者が出ている。ここは遭難するようなことはないだろうが、峡谷を巻いたり、登ったり下ったりの繰り返し。

 1時間半も歩くと、少しずつ峡谷も変って来た。今までの川底を見せながら流れていた清流も、段々、湖のようになって来た。水の色もコバルトからモスグリーンになった。(写真左)

 途中で水分補給ならずニコチンを補給した。水といえばここはいたる所に沢があるので水分補給には困らない。冷たい水が有難い。

 もう2時間半も歩いているが、まだ乗船場へ着かない。「遅い人でも2時間半」と聞いていたが、私はその遅い人よりもさらに遅いのだろうか・・・、と思った時、目の前に見たことのある人達が腰を下ろして休んでいた。そこから下った所が乗船場、平ノ渡だった。うっかりすると船乗場に気づかず、真っ直ぐ行ってしまいそうだった。最初に着いた方はやはり真っ直ぐ行ってしまい避難小屋から戻って来たという。

(写真右:右の階段を降りると平ノ渡)

 4人で船を待っていると、5、6人が乗った船が下って行った。どうも右手を負傷したパーティーがヒュッテのご主人の船に乗って行ったようだ。ケガ人救助ということになるのだろうか。

 ここは船に乗るのも大変だった。桟橋などというものは元々ないようだが、増水していることもあってドロだらけになってやっと船に這い上がった。

(写真左が乗船場、船が杭の右側へ付けられたので杭を潜って船に這い上がった)

 対岸までは約10分間の乗船(写真右)。料金は無料。

 平ノ小屋の下で下船し、急なコンクリートの階段を登り、再び山道へ入って行った。
 私はもうここまで来ればダムの湖畔を楽に歩けると思った。遊歩道とまではいかなくても、登り下りはあるまいと思った。それが甘かった。

 平ノ小屋からも4人はバラバラに歩いて行った。私は当然最後尾を歩いて行った。

 しばらく歩くと、軽装の若い団体さんに追い付いた。こんな所に団体さんがいるなんて信じられなかった。団体さんはディーバッグにスニーカーというお嬢さん達を含めて20人位だろうか。登りの階段で詰まっていた。私は一服しながら順番を待ったが、驚きを隠しきれなかった。多分、五色ケ原から下って来たのだろうが、こんな軽装で雨にでも打たれたらどうなるんだろう、と心配だった。見るからにツアーのようだが、ツアーも困ったものだ。

 ここからも階段や梯子が連続する。(写真左)

 今日は昼食にラーメンを食べようと思い、ヒュッテから水を1L持って来たが、ラーメンなど食べている余裕はなかった。モタモタしていると今日中に帰れなくなってしまう。非常食に持ってきたドラ焼きを缶コーヒーで流し込んだ。昼食はこのドラ焼き1ケだけ。

 坂道を登ると、遠くに黒部ダムが見えて来た。やっと最終ゴールが見えた。
 そして、すぐに「ロッジくろよん」が見えた。

(写真右:森林の中にポツンと岩のように見えるのがロッジくろよん)

 しかし、ここからが本当の地獄の始まりだった。まさにサバイバル。沢を越え、梯子と階段を登ったり下ったり。クサリあり、ロープあり、「これが黒部だ! 思い知ったか!」とでも言っているようなコースだった。

 ある人のHPに、「たとえアスレチックのサバイバルコースでも、これほどまでのコースは作れまい」と書いてあったが、まさにその通りだと思った。読売新道は単にコースが長いだけだが、本当にシンドイのは奥黒部ヒュッテからロッジくろよん間である。地図では水平にしか見えない湖畔の道であるが、実際はまさにサバイバルコースである。渡渉あり、丸太橋あり、梯子あり、階段あり、さらにクサリ、ロープ、岩場、ガレ場と、要は”何でもあり”のコースである。

 ロッジくろよんの手前で2人のオジさんに追い付いた。40代の単独行はさすがに足が速く姿は見えなかった。
 平ノ小屋からロッジくろよんまでのコースタイムが3時間となっているが、これには問題があると思った。本当にこの時間で歩けるのか検証してほしいと思った。

 それに、腕を負傷したパーティーが奥黒部ヒュッテのご主人の船で下った(たぶん救助ということになるのだろう)が、大正解だと思った。ヒュッテからここまで下って来るには、両手、両足が絶対必要だと思った。ケガをして片手が使えなかったら絶対に無理だろう。

 ということは、赤牛の下りで会った単独の女性が、ケガしたパーティーに「黒部ダムまで下るのは無理だから水晶小屋へ引き返すように」と言ったらしいことも、ヒュッテのご主人がキツク言っていたのも当然だったということになる。

 ここからは遊歩道になって安堵した。ここまで来ればもう着いたも同然だった。

 黒部ダムへ着くと、観光客で溢れていた。ワンピースを着たお嬢さんが眩しかった。

 今回は夜行4泊5日という長旅だったが、実に充実した山行だった。それは読売新道から黒部ダムまでの”サバイバルコース”を歩いたことに尽きる。これほどまでに変化に富んだコースは、他に知らない。

 赤牛岳の山頂へ立った時も読売新道を下っている時も、「二度と来ることはない」と思っていたが、帰って来てから1週間もすると、「あの読売新道を登ってみようか」とさえ思えて来るから不思議だ。これも黒部の魔力だろうか。

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