赤牛岳-4/6

  7/30 上野−(夜行列車)−7/31 富山駅−(バス)−折立〜太郎平小屋
  8/ 1 太郎平小屋〜黒部五郎岳〜黒部五郎小舎
  8/ 2 黒部五郎小舎〜三俣蓮華岳〜鷲羽岳〜水晶小屋
  8/ 3 水晶小屋〜水晶岳〜赤牛岳〜(読売新道)〜奥黒部ヒュッテ
  8/ 4 奥黒部ヒュッテ〜平ノ渡〜黒部ダム
  アルプスに咲いていた花

2006年8月3日(木)

  【水晶小屋〜水晶岳〜赤牛岳〜(読売新道)〜奥黒部ヒュッテ】

 水晶小屋535〜619水晶岳630〜837温泉沢ノ頭842〜1014赤牛岳1050〜11297/8号目〜12066/8合目〜1603奥黒部ヒュッテ

 昨夜はゾウとライオンのようなすごいイビキに悩まされ、12時過ぎまで寝付けなかった。そしてやっと寝たと思ったら、早立ちの連中が3時ごろからガサガサ始まって起こされてしまい、寝不足で目まいがしそうだった。
 しかし、外へ出ると寒気に震え、いっぺんに眠気が吹っ飛んだ。

 東の空が薄っすらと明るくなった。
 やがて野口五郎岳の右肩から、眩しい光線が走り出した。今日もいい天気だ。


東の空が明るくなって来た。

野口五郎岳から昇るご来光
 

 今日は二日酔いと寝不足で、コンディションは最悪だが、5時半、小屋を出発した。天気は快晴、風が強く少々肌寒い。水晶岳へ向かう稜線はすでに朝日を浴び、 左手に見える黒部五郎や笠ケ岳も朝日に照らされて輝いている。
 右手正面には立山・剣岳がクッキリと見え、背後には槍ケ岳が穂先を金色に輝かせていた。ここは360度のパノラマである。何とすばらしい朝だろうか。

(写真左:朝日に輝く黒部五郎岳)

 今日は息切れが酷い。やはり寝不足のせいだろうか。ゆっくり行くことにする。

 水晶岳の手前で単独行の男性とすれ違った。彼は小屋から往復しているという。私の大きな荷物を見て、「読売新道ですか」と言いい、「今3、4人のパーティーが赤牛を目指して下って行きました」と言った。これで読売新道を下るのは私一人ではないことが分かった。

 誰もいない水晶岳の山頂へ立った。これで2回目の登頂ということになる。山頂からはこれから目指す赤牛岳が見えた。その奥には厳つい山容をした立山・剣岳が朝日に照らされて黒々と輝いていた。

 振り向けば、今登って来たばかりの稜線上に水晶小屋、右手に鷲羽、その奥に黒々とした槍穂連峰が屏風のように並び立っていた。いつ見ても槍穂はいい。まさにアルプスの象徴、いや日本の象徴と言った方がいいかも知れない。

【水晶岳からの展望、拡大できます】

稜線の奥に赤牛岳が見える。バックは立山・剣

水晶小屋と鷲羽岳、後方に槍穂連峰
 
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 水晶岳6時30分発。
 ここからは初めてのコースである。それは単に”今まで歩いたことがないコースを歩く”というようなものではない。それは、まるでこれから探検にでも行くような不安と緊張があった。

 しばらくガレ場を下る。左手の黒部五郎の右奥に佐渡らしいもの見えた。雲海か水平線かよく分からないが、遠くに浮かび上がっていた。

 途中で長袖を脱いだ。そして日焼け止めクリームをたっぷり塗った。朝の寒さがウソのようだ。

 すぐに温泉沢のかしらが立ちはだかって来た。そして、その奥にスケールこそ小さいがピラミダルな山容の赤牛岳が見えた。
 右斜面(東側)にはお花畑が広がっていた。この辺は通る人も少ないので自然がそのまま残っているようだ。キンポウゲやシナノキンバイが多く、ハクサンフウロもあった。

 大きな荷物を背負った青年と会った。黒部から登って来て昨夜は赤牛にテントを張ったという。

 温泉沢の頭には何の標識もなかった。高天原たかまがはら山荘の赤い屋根が見えた。その小屋の上空には薬師岳が堂々と聳え立っていた。薬師岳は今年は残雪が多いので、一層立派に見えるという。薬師岳がこんなにすばらしいとは思わなかった。もう一度登りたいと思った。

 ここで一服していると、空身同然の男性二人が追い付いて来た。そしてすぐ隣へ座り込んだ。二人とも私と同年代で、水晶小屋から往復だという。

 この二人より先に出発した。
 温泉沢の頭からわずかに下った所に分岐があった。
 右手には野口五郎から烏帽子までの稜線が見え、前方右手には鹿島槍や五竜、白馬など、後立山うしろたてやま連峰が並び立って見えた。

 途中に雪渓があった。手でほじくって食べた。冷たくておいしかった。
 途中にあった大きな石の影で休憩した。とにかく暑い。少しでも日陰がほしかった。一服していると、温泉沢の頭で一緒になった二人が追い付いて来た。私のすぐ隣へ腰を下ろす。

 私がミカンを食べていると、「いい匂いですねぇ・・」という。ヤバイ、分けてあげないといけないかなと思った時、「俺達もミカンを食べよう」と言ってザックから取り出したのを見て、ホッとした。単独行の私は自分の分しか持ってないから・・・。

 2803ピーク(と思われる)は、水平に巻くのかと思ったが、右側を巻きながらゴロゴロした大きな石に乗ったり跳ねたりしながら山頂直下まで登らされた。ここはガスに巻かれると嫌らしいと思った。

 登りきった所から赤牛が正面に見えた。そして、はるか彼方に黒部ダムが見えた。その黒部湖からそそり立った針ノ木岳がすばらしかった。

 砂礫地帯になると赤牛が大分近づいて来た。日差しが暑い。まるで灼熱の砂漠の中を歩いているようだ。

 本峰への登りも稜線沿いに登るのかと思ったが、左手から巻いて登って行った。そして、ついに赤牛岳山頂へ到着。10時14分だった。水晶小屋から4時間39分。

 誰もいない山頂へ立ち、赤牛岳の標識を写真に収めてから、腰を下ろして一服した。

 左手(西側)には薬師岳が大きく立ちはだかっていた。薬師岳はここから見るのが一番いいようだ。カールと残雪が手に取るように見えた。

 左手後方には個性的な黒部五郎が見え、右手には野口五郎から烏帽子の稜線が目の前に見えた。さらに正面(北)のはるか彼方には黒部ダムが見えた。あんなに下るのかと思うと先が思いやられる。


【赤牛岳からの展望、拡大できます】

薬師岳

黒部ダム、手前の尾根が読売新道

返り見た水晶岳

 山頂で、これからの長い長い下りのために昼食にすることにした。本当はラーメンが食べたかったが、今日は飲み水だけしか持ってこなかった。水晶小屋でラーメンを食べるために500ミリリットルを400円で買うことはない、と思ったからだ。そこで非常食に持って来たカステラを缶コーヒーで流し込んだ。

 私が侘しい昼食をしていると、例の往復している男性2人が登って来た。お互いに握手を交わし写真を撮り合った。

 ここでゆっくり休憩してから、2人に別れを告げ、10時50分、読売新道を下って行った。

 5、6分ほど下った時、大きなザックを背負った30代の単独の女性と会った。ニッカズボンを穿いた彼女から、「すぐ下で3、4人のパーティーにケガ人が出たのでお願いですが・・」と言われる。「怪我人を背負って下ってくれ」とでも言われたらどうしよう、と思ったが、「お宅の方が早く小屋へ着くでしょうから、小屋の主人にケガ人がいて遅れるパーティーがいることを伝えて下さい」と言われる。内心ホッとした。それくらいのことなら私にでも出来る。

 彼女は、「御用立てして済みません」と言って登って行ったが、一体何者なのだろう。遭難救助隊でもないだろうから自然環境保護員か。いずれにしてもハキハキして手馴れている。そもそもこの読売新道を女性一人で登って来ること自体がタダ者ではない。(もしかしたら高天原山荘の従業員だったかも知れない)

 とにかくここは長い長い下りである。コースタイムで下りっぱなしの5時間、休憩を含めると6時間ぐらいかかるかも知れない。

 しばらく下ると【東沢出合−赤牛岳 7/8】の標識があった。11時29分。
 所でこの7/8とは何んだろうと思った。そして、この読売新道というのは読売新聞社の山岳部が、奥黒部ヒュッテから赤牛岳まで切り拓いた道である。ならば赤牛岳を10合目にすればいいではないか。それをあえて8/8合目にしたのは、水晶岳を10合目とした時、赤牛岳が8合目なのかも知れない、と思った。

 大きな石がゴロゴロした所があった。所々にペンキマークがあったが、ルートハンティングをしながら進んで行った。こういう岩場はどこがルートか分かりにくいので厄介だ。それに浮石が怖い。石の上を飛んだり跳ねたり。絶対にケガをしないよう注意していたが、石に乗った瞬間、ゴロリとなり見事に振り落とされてしまった。幸いケガはなく苦笑い。

 この道を下りながら思ったことは、日本百名山といわれる山ならクサリやロープ、ハシゴなどがあるような場所でも、ここには一切ないということだった。ガレた登りでも階段などはない。

 小1時間ほど下って大きな石とハイマツの日陰で休憩した。そこから3、400m先に、例のケガ人がいるというパーティーが下っているのが見えた。私はケガ人というから捻挫でもして動けないのかと思ったが、あんなに早く下れるなら心配ないだろうと思った。

 12時06分、6/8合目を通過。6/8ということは3/4、つまり赤牛の山頂から1/4下ったことになる。まだまだ先は長い。

 左下に雪渓と小さな池が見えた。あ〜あ、冷たい水をガブガフ飲みたいなあ〜。

 12時25分、ダケカンバなどが生えた森林地帯へ入った。木道もあった。これでやっと日陰を歩けると思ったが、すぐに木陰はなくなりギラギラした太陽に照りつけられた。

 5/8、12時30分通過。しばらくすると、やっとシラビソなど背丈が高い森林地帯になった。風通しの良い所で休憩。水をカブガブ飲んだ。水はまだ500ミリ残っている。

 途中でコケが生えた石に乗ってスッテン、ついにイナバウア−をやってしまったが、かすり傷一つしなかった。
 左手から吹いてくる風が爽やかだった。3/8へ13時45分着。森林の痩せ尾根の中にあった。

 とにかく静かだ。前にも後ろにも人影はない。峡谷から吹き上げてくる爽やかな風を受けながら下って行った。

 途中にあった大きな木の根元に、ビニール袋とペットボトルが置いてあった。この道はアルプスを一通り歩いた人か、200名山狙いのエキスパートしか通らない。そんなベテランが堂々とゴミを捨てるとは何事だ。自分のゴミぐらい持ち帰れ!

 しばらくすると、右手から沢の音が聞こえて来た。東沢出合も近くなって来た。
 大木の根がタコ足のように張り出していた。その根っこを跨いだり避けたりしながら、黒姫山を思い出した。スキー場から稜線沿いに登った時、山頂直下はこれ以上の根っこだった。

 続いてクサリやハシゴが現れた。
 2/8へなかなか着かない。ハシゴやロープ、丸太の階段を下って鞍部へ出た。両サイドが切れ落ちた痩せたガレ。そこを慎重に越えると、1/8の標識があった。よっしゃ! あとワンピッチだ! あと30分でビールとお風呂が待ってるゾ!

 左手に上ノ廊下が見えて来た。コバルトの水が音を立てて流れている。

 16時03分。ついに奥黒部ヒュッテへ着いた。玄関脇のホースから水が溢れるように流れていた。それをゴクゴク音を立てて飲んだ。

 早速、受付を済ませ、ビールのロング缶を買って外のテーブルで飲んだ。うまい! 今日のビールは最高だ!

 ケガ人がいたパーティーはすでに着いていた。私はついに追い付けなかった。そのパーティーのリーダーと話をすると、○○山岳会だという。通りで足が速いと思った。近所のオジさんとオバさんのパーティーではなかった。ケガをしたのは女性で、右の手首を痛めたらしい。

 2本目のビールを飲んでいると、単独行3人が相次いで下って来た。その内の2人は野口五郎の小屋を3時に出て来たという。エライ健脚だと思った。もう1人は高天原から温泉沢の頭を登って来たという。

 明日、ここから登るという人が2人いた。2人とも3時に出発するという。私はここを登りに使わなくて良かったと思った。いずれにしても、ここを登ったり下ったりするのはツワ者ばかりである。

 今日の宿泊客は10人位だった。そのほとんどが60代で60半ばの人も3、4人いた。私はまだ若い方で、まだまだ老け込む訳にはいかない、と思った。

 お風呂に入って汗を流し、夕食までの間にまたビールを飲んだ。食事は山小屋とは思えないほど豪華だった。食事をしながら、話題は当然読売新道のことになった。野口五郎から来たという60代半ばの御仁は、「雪渓に誰かが掘じった跡があったので、私もほじって食べた」と言ったが、それは私がほじって雪を食べた跡だった。

 読売新道を総じていうと、単に長いというだけで特に危険な所はなかった。南アルプスの光岳から易老渡へ下るコースを少し長くした感じ、という印象を持った。本当の辛さは実はここから先にあった。