槍・穂高・ジャンダルム縦走・・・3/6 槍ケ岳から北穂高へ

  1.プロローグ、上高地〜横尾へ
  2.横尾〜槍ケ岳へ
  3.槍ケ岳〜北穂高へ
  4.北穂高〜奥穂高へ
  5.奥穂高〜ジャンダルム〜天狗のコル〜岳沢ヒュッテ〜上高地
  6.槍・穂高に咲いていた花


キレット越しに見る穂高岳

2005年8月4日(木)

槍岳山荘542〜700中岳〜807天狗原分岐〜826南岳835〜842南岳小屋855〜1005長谷川ピークの一つ手前のピーク1016〜1111A沢のコル(昼食)1130〜1314北穂高小屋

 3時40分起床。こっそりと床から抜け出して外へ出てみると、満天の星だった。久しぶりに綺麗な星を見た。
 同じように星を眺めている人が4、5人いた。ラッキーなことに流星まで見ることが出来た。

 目の前には黒々とした槍ケ岳がそそり立っていた。余りにもデカく怪獣のようだった。

 眼下では、もうヘッドランプの明かりが輝いていた。殺生ヒュッテやテント場からご来光を見るために登って来る人達だ。


 4時半を過ぎてから荷物を持ってテント場の岩塊へ行った。もうすでに三脚が幾つもセットされていた。その三脚の間を陣取ってご来光を待った。今朝は東の空に雲があり過ぎて、余り綺麗なご来光は期待出来そうもないが、槍が朝日に輝く一瞬を撮りたいと思い、小屋の朝食も頼まずに待っていた。
 4時57分頃、神聖な朝の輝きが常念岳の左側から走った。周りにいた人達から一斉に歓声が上がった。
(槍とご来光)
 ご来光を見る人達

 私はご来光を見てから、ゆっくりと湯を沸かし朝食を摂った。

 槍岳山荘前を5時42分発。

 10分も下ると飛騨乗越で、槍平(岐阜県)方面との分岐になっていた。槍平方面へ下って行く人もいたが、大喰(おおばみ)岳へ向かう人の方がはるかに多かった。

 大喰岳(写真右)の登りで一汗かいてしまったが、後は雲表の稜線歩きとなった。朝日を浴びながら、すがすがしい稜線を歩いて行く。お花もいっぱい咲いていた。

 それに穂高が見えるのが嬉しい。西穂の鋸歯のような岩峰と焼岳、先週登って来たばかりの乗鞍岳も見えた。中岳の登りで長袖シャツを脱いだ。
 ハシゴ2つとクサリを登ると中岳の標識があった。しかし、山頂はそこから30mほど進んだ所にあり、10人ほどが休んでいた。ここから見る槍ケ岳がいい。

 中岳の下りは良く整備された道で、石や岩をうまく積み重ねて歩きやすくなっていた。関係者に感謝したいと思った。

(写真左は中岳の登りから見た南岳と穂高連峰)

 岩場の下りで少し平らになった所があり、そこで15人位が休んでいた。通り過ぎようとしたら、そこが水場だった。私も荷物を置いて冷たい水を手ですくって飲んだ。上部には大量の雪渓があった。雪解け水は最高にうまかった。

 小さなピークを登ると南岳が大きく立ちはだかるように見えた。左手を見下ろすと天狗原の天狗池らしいものが見えた。私も秋の紅葉の季節にぜひあの天狗池へ行ってみたいと思った。
 前穂高の北尾根も見えるようになって来た。

 天狗原との分岐へ8時7分着。ここから天狗原へ下って行く人も多いが、ここへ荷物をデポして南岳を往復してから下る人も多い。槍岳山荘から来た人の7割がここから下って行くようだった。

 南岳へ8時26分着。まずは大喰岳と中岳、南岳の三山を登ったことが嬉しかった。いずれも3,000mを超す山である。ここで大休止とした。
 正面に見える穂高にガスが流れ出した。背後の槍にも薄っすらとガスが流れていた。双六は見えるが三俣蓮華は見えなくなった。

 南岳の小屋まで7分で着いた。せっかくなので一本立てて行くことにした。やっとここまで来たぞ、という感じだった。ここまでは、いわば槍穂縦走のアプローチみたいなもので、ここからが正念場である。ここでゆっくりとくつろいで、疲れをとって行こう。
 ストックをしまい、気持ちを引き締めていよいよキレット越えに挑む。8時55分発。

 小屋からすぐ一気の下りになった。私の前を歩いていた青年が道を間違えて岩塊の上でおたおたしていたが、下を歩いていた私の姿を見て引き返して来た。

 岩場の小さなピークを幾つも越えながら下って行く。最低のコルで休憩しようと思っていたが、どこが最低のコルか分からないうちに通り過ぎてしまった。

(写真左は南岳からの下り。正面奥の雲がかかっているのが北穂)

(写真右は南岳を振り返る。テッペンが獅子鼻)

 正面に立ちはだかったピークのテッペンで、シャツを脱いで裸になっている人が見えた。それが長谷川ピークだと思い、一気に登って行った。
 かなり広いピークだった。上半身裸になって甲羅干しをしていた単独のオジさんに、
「ここが長谷川ピークですか?」
 と聞くと、
「残念でした。長谷川ピークはあっちです」
 と、笑顔で北穂の方を指差した。そこにはこのピークよりもはるかに高いピークがあった。がっくりと力が抜けた。ここで休憩だ!

 (左の写真:手前のピークが長谷川ピーク、だと思う)

 このピークを下り、長谷川ピークを登って行く。これはピークという名前に騙されてはいけない。立派な岩稜の山である。大キレットはこの長谷川ピークの下りからが核心部といわれている。

 両側が切れ落ちた馬の背を渡ったり、側壁をへつったりしながら下って行く。この辺はもうメモを取ったり写真を撮っている余裕はない。一歩間違えばあの世行きだ。

 そんな下りでヘルメットを被った青年二人が後ろから追い着いて来た。ちょうど垂直に切れ落ちたいやらしい下りだったので、彼らに先に下ってもらった。彼らは慣れた手つきでスイスイ下ったが私は下れない。両手で岩をつかんで右足を伸ばしたが足場がない。足を交互に出してまさぐっていると、彼らが振り向いてアドバイスをしてくれた。この二人は長野県警のパトロール隊員だった。(この隊員が私が苦戦した岩場に短いロープを付けていた)

 やっとA沢のコルへ着いた(写真右)。ここで水をガブガブ飲んでから腰を下ろす。やっと腰を下ろすことが出来た。ここで昼食にした。昼食といっても行動食である。朝食のおかゆの残りと、コンビニで買ってきた一口サイズのドーナツを缶コーヒーで流し込んだ。缶コーヒーが最高にうまかった。

 私が食後の一服をしていると外国人2人のパーティーがやって来た。さすがに日本を代表する槍穂だけあって国際的だと思った。

 この辺からが「飛騨泣き」と呼ばれる所である。右側は1,000mも一気に切れ落ちた滝谷の絶壁である。
 この辺は何が何だか分からずに、ただ必死で登ったり下ったりを繰り返していた。

 飛騨泣きは凄いと聞いていたので、これから難所が現れるのだろうと思っていると、「北ホあと200m」との表示があった。え、あと200!、と驚いた。もう難所を通り過ぎたということだろうか。何か物足りないというか、肩透かしをくった感じだが、早く小屋へ着くことに越したことはない。

 あと200mとは距離なのだろうか、それとも高度だろうか、などと考えながら10mも進むと、頭上、まさに真上に北穂の小屋が見えた。
「おー、小屋だ!小屋が見えたぞー!」、と思わず声を張り上げた。

 小屋まで200mというのは、この急斜面なら距離も高度も余り変わらない。両手両足を使いながら一歩一歩登って行った。最後の最後で怪我でもしたら元も子もない。慎重に登って行く。

(左の写真は花を撮ったのではない。テッペンに小屋が見えるのだ!)

 だんだん小屋が大きくなって来た。テラスでビールを飲んでいる人が見えるようになり、小屋の庭先へ飛び出した。

 やった!やった!ついに槍穂縦走をやったぞ!
 張り詰めていた緊張感から一気に開放され、ついに成し遂げた満足感でいっぱいだった。ザックをテラスに放り投げ、何はともあれ缶ビールを買って来て飲んだ。たった今登って来たばかりの縦走路を見下ろしながら、勝利の美酒に酔った。

 夕食は名物の生姜焼きだった。山で生姜焼きが食べられるなんて最高の贅沢だったが、ご飯が茶碗に一口分しかなくて驚いた。まるでワンコソバのようだった。これなら4、5杯食わないと一膳にならない。いっそのこと湯飲み茶碗によそった方がいいのでは、と思った。

 「おかわりは自由です」というが、「なるべく食われまいとする戦略」が見え見えだった。もし、「残ったらもったいない」というなら、他の小屋のようにおひつでも置いたらどうか。私は遠慮せずに「おかわり」を申し出たが、私の前にいた2人のご婦人は、「おかわりなんて出来ないわ・・」といい、「後でお菓子でも食べよう・・・」と言っていた。
 2食で9000円近くも取っているんだから、女性に恥をかかせずにメシぐらい食わせてほしいものである。

 この小屋は収容人員が少ないので、かなり混雑するかと思ったが、到着時は布団1枚が確保できたのでラッキーだと思った。それが17時を過ぎてから続々と到着し、結局は布団2枚に3人になってしまった。まあ、この時期なので仕方が無いか・・・。