槍・穂高・ジャンダルム縦走・・・5/6 奥穂高〜ジャンダルム〜岳沢ヒュッテ〜上高地へ

  1.プロローグ、上高地〜横尾へ
  2.横尾〜槍ケ岳へ
  3.槍ケ岳〜北穂高へ
  4.北穂高〜奥穂高へ
  5.奥穂高〜ジャンダルム〜天狗のコル〜岳沢ヒュッテ〜上高地
  6.槍・穂高に咲いていた花

(MAPは「ぶらり山旅」さんから借用)

 奥穂高9時30分発。
 胃が痛くなるほど気が引き締まる。岩尾根を下って行くと、三脚をセットしてジャンダルムを撮っているカメラマンがいた。私もザックからカメラを出して写真を撮った。カメラマンから、
「奥穂から槍が見えましたか?」と聞かれる。
「穂先は見えませんでしたよ」と答えて、下って行った。

 すぐに最初の難関が現れた。ウマノセである(写真右)。両サイドが絶壁になったナイフリッジ、幅は約1m。ちょうど畳を5、6枚並べたような感じだ。空身で無風なら立って歩くことも出来るだろうが、私は荷物で身体を振られるのが怖いので、四つんばいになって通った。

 そこからも難所の連続だった。槍穂の縦走コースや北穂から奥穂までのコースなら、きっとクサリがあっただろうと思われるような急峻な岩場でも、クサリやハシゴなどはほどはほとんどない。ここはエキスパートだけしか入らないので、その必要もないのだろうか。掴んだ岩や足場が崩れないことと、自分の技術だけが頼りだ。一時も気を抜けない。

 ここは、とにかくビビリまくった。顔面蒼白で必死の登下降が続く。

 後からヘルメットを被ったザイルパーティーが下って来た。
 (写真左、下っている2人が見えるだろうか? 見えない人は→こちら

 そのザイルパーティーが途中で追いついて来た。若い男女で前の男性はどうもガイドのようだった。そのガイドにジャンの登り口と天狗沢について尋ねると、全く予期せぬ言葉が返って来た。

「天狗沢ですか。あそこは雪が多いと斜面が急で、ピッケルかアイゼンがないと下れませんよ。アイゼンを持って来ましたか?」
 と言われ、一瞬息が詰まってしまった。アイゼンは持って来ていない、と言うと、
「雪渓がどこまであるか確認して来ましたか? とにかく急峻ですから雪渓があったら下らない方がいいですよ。滑落が一番怖いですから・・。ただ、私も雪渓がどれだけあるかは確認していませんがねぇ・・・」
 と、ショッキングなことを言われて落ち込んでしまった。

 今回はジャンダルムを登って天狗沢を下ることも目標の一つだったが、天狗沢が下れないとなると、このまま縦走を続けて西穂高の山荘まで行くか、引き返すしかない。西穂まで行くには時間切れで日没を過ぎてしまう。暗くなった岩場を歩くのは自殺行為である。

 残る方法は奥穂へ引き返すしかないが、こんな嫌らしい所を引き返す気にもなれない。そこで、とにかくジャンダルムまで行って、そこでじっくり考えよう、ということにした。

 ジャンダルムまで来ると、さっきのザイルパーティーが岩場の途中で弁当を広げていた。(写真右、見えない人は→こちら)。
 そこは昔、私がコースが分からずに登ってしまった時に下って来たコースだったが、今はペンキで×の印が付いていた。

 そこから左へ20mほどトラバースしていくと、以前、登り口が分からずに登ってしまった所があった。そこは絶壁で、よくもこんな所を登って生きて帰れたものだと思った。そこはどうも冬山ルートらしい。

 さらに20mほど進むと、ザックが2個デポしてあった。そこがジャンダルムの正規のコースらしく、ペンキで「ジャン」と書かれ、クサリがぶら下がっていた。そのクサリを女性2人が降りて来た(写真左)。そして、「ジャンの上から全部見えましたよ」と弾んだ声で言う。

 私もクサリの下へ荷物を置いて、クサリを登って行った。このクサリは私が登った20年前には無かったと思う。
 クサリを登ると白いペンキと黄色いペンキが入り混じり、右へ行ったり左へ行ったりしてしまったが、結局はどちらからでも登れるようだ。

 正しくはクサリを攀じ登るコースと、10mほど西穂側(飛騨側)へ進んだ所にも登り口がある。どちらを行っても、ほとんど変わらない。現に私はクサリを登って飛騨側から下って来た。
 ジャンのテッペンへ11時35分着。誰もいない、たった一人の山頂だった。ガスって何も見えなかった。一服しながらガスが切れるのを待った。

 5分もすると、隣(西穂側)にあるコブ尾根の頭(かしら)にいる人が見えた(写真左)。逆に彼らはジャンのテッペンに私がいるのを見て、「おー、ジャンダルムだ!」と歓声を上げているのが聞こえて来た。

(写真右はジャンから見た奥穂方面。こんな所を下って来た。これがビビらずにいられるか?)拡大写真は→こちら

 ザックをデポした所まで戻り、さて、これからどうするかを真剣に考えた。
 あのガイドは雪渓が多ければ天狗沢は下れないと言ったが、彼も雪渓を確認した訳ではない。
 さりとて奥穂へは戻りたくない。そこで思いついたのが携帯電話で小屋へ確認することだった。早速、岳沢ヒュッテへ電話をしたが圏外で通じなかった。穂高山荘も圏外だった。「あ〜あ」、ため息が出た。

 西穂へ行くのは時間的に無理である。あとは引き返すか天狗のコルまで行ってみるか、選択肢は二つに一つしかない。天狗のコルまで行ってみたいが、もし、行ってから下れないとなった場合は、引き返すのも容易ではなくなり、最悪の事態になってしまう。

 メモ帳に、「やはり奥穂へ引き返すことにする。12時10発」と記して立ち上がった。その時、隣のコブ尾根の頭で休憩している人達が目に留まった。「そうだ! 彼らに聞いてみよう!」と思い、大声を張り上げた。

「すいませ〜ん。天狗沢に雪渓ありましたか〜」、と聞くと、
「わかりませ〜ん」という声が返って来た。そして、4、5秒おいて、
「天狗沢を登って来たという人がいますから、ちょっとまっててくださ〜い」という声が聞こえて来た。

 そして、岩の陰で見えなかった人が顔を出し、
「天狗沢を登って来ましたよ〜〜、雪なんてなかったよ〜〜」と、嬉しい言葉が返って来た。
「ありがとう〜〜」とお礼の言葉を返す。ヨシ!これで天狗沢から下れる。今日中に岳沢ヒュッテへ行けるゾー。

 コブ尾根の頭へ登り、彼にお礼を言って、意気揚々と下って行くと、西穂側から登って来る2人に会った。彼らは何か珍しいものでも見たように、
「これから西穂まで行くんですか?」
 と声をかけて来た。その言葉には、これから西穂まで行ったら日没を過ぎてしまうぞ、という意味が含まれている。
「いや、天狗のコルから天狗沢を下るんです!」
 というと、そんな道あったかなあ? という顔をした。

 その後、人影がなくなった。誰もいないというのは心細かったが、しばらくすると上高地が見えて、ほっとした。
 天狗のコルへ向かって下る途中で、ドラヤキとミカンを食べた。さっきまでは不安と緊張の連続で、昼食も忘れていた。ジャンの近くでラーメンでも食べようと思って水まで余分に持って来たが、そんな余裕はなかった。

 小さな岩場を攀じ登ると、正面がパーと開け、眼下に天狗沢が見えた(写真左)。しかも雪渓などなく、登山道がしっかりとついていた。それを見て本当に助かったと思った。

 ここへ来るまでは、もし雪渓が多くて下れなかったらどうしょう、西穂へ行くのも奥穂へ引き返すのも時間的に難しくなる。最悪の場合はビバーク(野宿)も覚悟しなくては、と思っていただけに本当に救われた思いだった。今度こそ自分の目で確認したので間違いはない。

(写真右は、畳岩の下りから見た西穂の稜線。拡大写真は→こちら

 天狗のコルの30mほど手前で単独で登って来る人に会った。こんな遅い時間に登って来たので驚いた。私から声をかけ、天狗沢を下る予定だが問題ないかを尋ねると、「私も天狗沢から登って来たんです」という。何とその人は長野県警の山岳パトロール隊員だった。

 隊員から、「ガレているので特に最初の下りに注意するように。なるべく左側を下った方がいい」とアドバイスを受けた。

 天狗のコルへ14時15分着。コルから天狗沢を見下ろす。半分位が岩礫でその下には緑の草地が見えた。雪渓などひとかけらも見当たらない。

(写真の左側のV字になった空間から下って行く)

 ここから見る天狗岩が凄かった。垂直のような岩壁にクサリが1本ぶらさがっていた。見るからに恐怖を覚える岩壁だった。こんな所を登るより天狗沢を下った方が安全だと思った。

 いよいよ天狗沢の下りである。ここでストックを出し、手袋をはめた。ガレ場で転んだ時に手を怪我しないための用心だ。
 下り出すとすぐに石室跡があった。屋根がなく、石積みの側壁だけが半分残っていた。周りにテントを2、3張ほど張れるスペースがあった。

 石室から下は、まさに石と岩のガレ場で、足を一歩出すたびにガラガラと崩れる。こんなガレ場は初めてだ。瓦礫は天狗岩と畳岩の岩が崩れたもので、一抱えもある岩で埋め尽くされていた。

 ペンキの標識も付いていたが、標識通りには下れない。足元から崩れてしまうからだ。崩れるというよりも流されてしまう、と言った方がふさわしい。

 15時を回った時、眼下に赤い屋根が見えた。岳沢ヒュッテの屋根を見てホッとした。さあ、あと一息だ。頑張ろう!

 下るにしたがって、足元が少しずつ安定して来るようになった。斜面がゆるくなったからかも知れない。

 途中から、右手の草原へトラバース。ここからは普通の登山道になった。もう何の心配もない。
 草原だと思ったところは、実はお花畑だった。ハクサンフウロやハクサントリカブト、シモツケソウなどが咲いていた。ツガザクラやダイモンジソウなどもあった。

 16時21分、岳沢ヒュッテ着。
 やっと岳沢ヒュッテへ着いた。気持ちの上では「着いた」というより「生還した」という感じだった。とにかく今日は一日中緊張の連続だった。特に奥穂から天狗のコルまではビビりっぱなしだった。
 それに「天狗沢が下れないかも知れない」、とガイドに脅かされたことで、より緊張するハメになってしまった。

 岳沢ヒュッテのテラスに荷物を置いて、ゆっくりとビールを飲んだ。今日一日の疲れを癒すひと時だった。

 ここは最高のロケーションだった。今下って来たばかりの西穂の天狗岩から穂高連峰、明神岳までズラリと並んで見える。

 (写真右はヒュッテからの穂高と明神岳)

 私はこのロケーションが気に入って、今回の最後の宿にここを選んだのである。

 しばらくすると、昨日、北穂高山荘で一緒にビールを飲んだ横浜の戸塚から来たという御仁が、赤い顔をして隣へ座り込んで来た。この御仁とは昨日、「明日は岳沢ヒュッテで祝杯を挙げよう」と話していたのであるが、前穂高から下って来たのでかなり早く着いたのだろう。もうすっかり出来上がっていた。


2005年8月6日(土)

 今日も朝から好天だった。朝食は5時30分からだが、4時頃に起きてしまった。
 ここは最高のロケーションなので、外のテラスから山を見ているだけで退屈することはなかった。だが、朝日が当たるのが遅いので写真を撮るのは厳しい。

 今日は最終日で家へ帰るだけなので、ゆっくりと朝食を頂いてから帰ろうと思っていたが、2順目になってしまい6時になってようやく朝食にありつけた。こんなに遅いなら上高地へ下ってから食べれば良かったと思った。

 上高地へ向かって下っていると、すぐに女性の親子連れがいた。その親子を追い抜こうとした時、声がかかり、「ぜひ山の名前を教えてほしい」と言う。私の分かる限りを得意になって教えてやったが、ここから見る奥穂と前穂はよく分からなかった。余りにも近すぎて、手前の名もない岩峰が、みんな立派に見えているからだ。

 続々と登山者が登って来た。きょうは土曜日なので今日から入山する人が多いようだ。
 空には青空が広がっていた。河童橋から穂高が見たい一心で、一気に駆け下りた。穂高は期待通りバッチリ見えたが、写真はモヤのせいか露出のせいかイマイチだった。

 これで今回の「槍からジャンダルムまでの縦走」は完結となった。
 久しぶりに歩いたアルプスだった。今回は大キレット越えと天狗沢の下りが初めてだったので、とても新鮮な山旅となった。が、かなりビビったことも事実だった。

 槍から北穂、奥穂までは適度な緊張があっていいとしても、奥穂から天狗のコルまでは、「私が来る所ではない」と思った。ここはいつ事故が起きても不思議ではない。やはり岩登りの技術がない人は入らない方が無難だ、と思った。