プロフィール

令和 1年 5月 9日現在



人生に大きな影響を与えた出来事!を追記した。
心不全になるまでと入院!を追記した。
薬の副作用と効能による問題!を追記した。


氏 名中村 淳一   (男)
住 所千葉県野田市
出身校聖美学園小学校、油面小学校(卒業)
目黒区立第四中学校
東京工業高校(電子工学科)
日本工業大学(電子工学科) 卒業
座右の銘

愚を知るを知者という。知を誇るを愚者という。
肝に銘じる言葉

すぐ役に立つものは、すぐに役に立たなくなる
わかったようなことを言っている輩は何もわかっていない
宵越しの情報は持たねぇ
気持ちの拠り所

諸行無常
仏教用語で全てのことは一定ではない(変化していく)と言うことです。
(諸行はこの世すべての事、無常は一定でない(常に変化している)と言うこと)
自分だけでなく周りのすべて自然も大宇宙も変わっていきます。
だから人生は面白くもあり生きがいもあります。
日本人は無常を無情と捉えてしまい栄枯盛衰を思うことが多いですが意味はもっと大きく広いです。
思うところ

興味あることを楽しく探求すればそれが世のためになる
<大事なこと>
・知的好奇心の探求
・創意工夫
・ただ足るを知る
・不便益
好きな言葉

・おもしろきこともなき世におもしろく
・情けは人のためならず(仏教用語の縁起・因縁に通じる)
・三日坊主でも、何回も繰り返せばよい
・上善水のごとし
・得た分を、相手に与えてはじめて、物事はうまく回るようにできている
・天網恢々疎にして漏らさず
・春来たれば草自ずから生ず
・本来無一物
・橋は流れて水は流れず
・行雲流水
・色即是空
趣 味

・アマチュア無線(JH1MIO)  ・カメラ(写真撮影・メカニカルカメラ・クラシックカメラ)
・読書         ・旅行(国内・海外)      ・散歩・ウォーキング
興味のあること趣味の延長です。
勉強・練習中のためまだ上手に出来ません。また、時間及び予算が無く苦戦しています。
・無線機、電子機器の製作     ・真空管式オーディオ機器、ラジオ等の製作、修理
・クラシック無線機の修理      ・マニュアルカメラの修理 ・古い機械の修理 
 
資格・検定等 *国家・公的資格
・第1級陸上特殊無線技士          ・第2級海上特殊無線技士
・航空特殊無線技士              ・第1級アマチュア無線技士
・初級システムアドミニストレータ
・普通自動車運転免許証

*検定
・情報処理活用能力検定 3級         ・ディジタル技術検定 5級
・ラジオ・音響技能検定 3級
・福祉住環境コーディネーター検定 2級   ・色彩能力検定 3級
・環境社会検定(eco検定)   ・認知症ライフパートナー基礎検定
 
その他検定等・歴史能力検定 歴史基本4級
 
現在 各種資格試験を受けています。
今後も新しい資格、上級の資格を目指します。
無線関連やコンピュータ・IT関連等の技術系以外の資格にも興味があり挑戦しています。
 知らないことを知ると言うことは大変面白いです。また調べたり確かめたりすることも面白いです。
 
会 員福祉住環境コーディネーター協会
ちばサイエンスの会
日本アマチュア無線連盟
 
その他ものづくり共和国
モノシティ
ものアイランド
ブログも是非見て下さい!WebryBlog及びスローライフと趣味・生活
 
協 力 家庭内(生活に関する)の作業や困ったこと(よろず修理:古い電気製品などの修理、照明の交換を初め簡単な修理、模様替え・配置換え、家具などの組立の手伝い、その他雑用など)、
パソコン・インターネットなどの相談、等々 。
お困りのことがありましたらボランティアと言うほど大げさではなく私で出来る事であればお手伝いします。
楽しく暮らせるように協力が出きればと思います。気兼ねなくご相談下さい。
(「結いの精神」でいけたら良いなーと思っています。)



クリックだけで募金が出来ます。また、クリックをされたユーザー様にはご負担がありません。(無料です。)
協賛企業がクリックされたユーザー様に代わって寄付をします。


理  念
人間生きていることは素晴らしい!
(色即是空)
*結いの精神!(助け合い、協調、尊重)
縁起・因縁:だから感謝・謙虚の心を持つ
*万物は常に変化する!
諸行無常:だから生きることは面白い
*人生を楽しむ!
四苦八苦:だから生きる価値がある
色即是空・空即是色、縁起・因縁、
諸行無常、四苦八苦は仏教用語
 
性 格
*フィールド・サービスエンジニア(最近は死語なのでしょうか?)/技術サポートへの思い入れ:
私は今までに”開発・設計、サービスエンジニア(設置、保守、他)、技術サポート、営業など”いろいろな仕事をしてきました。 詳しくは下記の職歴をご覧ください。
自分で考えてみるにフィールド・サービスエンジニア、技術サポート等が一番あっていると思います。 初めてサービスエンジニアを仕事とした会社は小さい会社だったこともあり営業の打ち合わせ(場合により最初の営業から行うこともありました)から参加して設置、保守まで行っていました。 プリント基板製造装置(ドリリング等のNCマシン、ラミネーター、露光装置、現像機、剥離装置、エッチングマシン、再生装置:現像液・剥離液・エッチング液等、メッキ関連:特に無電解メッキコントローラ、その他いろいろ)などの産業用機器から 計測器(メッキ厚等の膜厚測定器:高周波式・アイソトープ式)まで受け持っていました。 その為、私の専門は電子工学(弱電)ですがメカ(機械関係)、化学関係など幅広い知識(浅く広くですが)が必要でいろいろ覚えました。
また、産業用機器は10〜20年くらい装置を使用する上、海外の会社はすぐになくなってしまうことも多く入社した頃は初めて見、資料もろくにない古い装置の保守を行うことも多かったです。 そのため、当時はいろいろ考えて仕事が出来たので良かったと思っています。今思い出すと楽しかった思い出です。
保守ではラインを早急に復旧または取りあえず作業が一段落するまで動かすためにいろいろなアイデアを出しました。
その後、ハードディスクメディアの検査装置(サーティファイヤー、グライドテスター)の技術サポート。
そしてコンピュータ関連機器のサービスエンジニア、技術サポートをしました。 当時のコンピュータはミニコンでそれに使用する周辺機器でした。 その後ワークステーションの周辺機器そしてパソコンとその周辺機器へと移っていきました。 どちらかというと産業用機器の方が面白いと思います。
(仕事としての開発・設計はあまり得意ではありませんでしたがサービスエンジニア、技術サポートの仕事は好きでした。 もちろん保守ではトラブルが発生している事が多いので顧客に怒りをぶつけられ大変な目にあったことも多々ありました。)
顧客は日本中にあるのでいろんな処に行きました。観光が出来る余裕のあることはほとんどありませんが出張は好きでした。 もっとも、大きい装置の設置・調整などでは何ヶ月も掛かることもあるのでそう言うときには休みの日にいろいろ行きました。
思い返してみますと子供の頃にはいろいろな物(時計など)を分解していました。組みたたないことも多々ありました。
中学生の頃は屑屋(廃品回収業者?)からラジオやテレビを安く買ってきて修理したり、部品を取って新たにラジオなどを作成したりしていました。
高校生になってアマチュア無線の資格を取り無線機の作成や修理及びアンテナの実験をするようになりました。
大学の時はアルバイト代わりにテレビ、ラジオなどを修理、またアンプを作ったりしていました。

*いのちの仕事(天職?):
最近、倉林秀光さんの著書”イヤな仕事は絶対するな!”を読んで考えることがありました。
倉林さんが言われる”いのちの仕事(天職?)”について考えさせられました。
”いのちの仕事(天職?)”につくと人のため・世のために役立っているという実感がもて仕事が充実し楽しく仕事が出来る。 少なくても仕事が苦痛ではなくイヤなことがあってもそれほど気にならないとあります。
どんな仕事も人のため・世のためにならないことはないと思いますが、自分で実感できるかは別問題です。
また、仕事が苦痛では何のための仕事か分かりません。やはり楽しく仕事をしたいものです。
この本を読んでいろいろ考えてみたところ自分に向いているのは産業用機器・電子機器・コンピュータ関連など(ハードウェア・メカトロニクス)の 保守・メンテナンス(フィールド・サービスエンジニア等)、技術サポートに関する仕事ではないかと思います。
この程入社した会社の仕事が”いのちの仕事(天職?)”であると良いと思っています。 また、将来定年後は個人的に保守・メンテナンス関係の仕事あるいは近所に協力を出来ると良いなと考えています。
  
*職業病?(とっ言うより 性格?)
・機械のトラブルが気になる:
最近は工場などへ行くことが少なくなってしまったのですが、以前は仕事で得意先に行っているときに他社の装置が壊れたりするとどうなっているのだろうと気になったものです。 メカの場合ギヤーのねじを締めれば動くなど簡単な場合もありお客と話してその程度のことで有れば手を入れたこともあります。 工場の場合物が出来ないと言うことはすぐお金に結びつくので中小企業さんの場合には協力しました。 (随分昔の話です! 今では問題になりそうですね? でも、現場では・・・)
もちろん、精密な機器や問題が発生しそうな物には手を出しません。
事務所でもコピー機がトラブレばすぐ手を出す等。 おかげでパソコンなどに問題が出るとお呼びが掛かったりしました。
自分ではいろいろな機械をいじるのが性にあっているように感じています!

・飲食店で気になる:
大学生の時代にレストラン、喫茶店で長期アルバイトをしていました。
レストランではウェイター及びカウンターで飲み物を作り、喫茶店ではカウンターで飲み物や簡単な料理を作っていました。
それから随分立つのですがウェーターやウェイトレスの動きや客のことなどどうしても気になってしまいます。 また、オープンカウンターなどでは中で作っているのも気になり他の客の物が出ていないとか、忘れてるんじゃないかとか自分に関係ないのにヤキモキしたりして我ながらどうしようもないと思っています。
友人には飲食の仕事も私にあっていると言われています。

・古い機械や真空管式の機器が気になる:
これは職業病と言うよりは趣味(?)ですが古い機械式の装置や真空管式の無線機・ラジオ・オーディオ機器・その他装置には興味があります。
古い機械には今は電子機器で作るような物がメカで作られている物があり驚かされます! 私の専門は電子機器なのでメカは見ても良く分からないところも有るのですが製作した人の知恵には感心させられます!
また、真空管式の装置も同じように感心させられる物も多いです。 なにせ昔はマイコンはもとよりIC、LSIなど無かったのでいろいろなアイデアを駆使して作られているのが凄いです!
  
職 歴○民生製品の開発・設計会社
*カーステレオ/トランシーバー等の開発・設計
(製品の初期トラブル解決のためドイツ(フランクフルト)へ3ヶ月出張)
  
○専門商社
*プリント版製造装置のフィールド・サービスエンジニア
・膜厚測定装置(高周波式、アイソトープ式)
・ドリリングマシン(NC式)
・無電解メッキコントローラ
(無電解メッキコントローラの研修をアメリカ(ニューヨーク)で2回受ける)
・ラミネーター、現像装置、剥離装置、エッチング装置、その他
  
○システムハウス
*大手商社へ出向
・ロボットの営業
・ハードディスクメディア用検査装置関連の営業及び技術サポート
(サーティファイヤー、グライドテスター等)
*DEC用コンパチブル特殊ハードディスクのフィールド・サービスエンジニア
(保守のため研修をアメリカ(ワシントン)で受ける)
*5インチMO用オートチェンジャーの技術サポート
  
○情報機器関連の商社(大手商社の子会社)
*コンピュータ周辺機器、ハード・ソフトの受託開発等の営業及び技術サポート
  
○個人事業開業 (屋号はつけていません)
*開業届提出
*営業・技術サポート等の代行業
  
○通信工事関連の会社
*VoIPネットワークゲートウェイの設定・試験など、セキュリティ関係の工事
  
○個人事業開業に戻る
*営業・技術サポート等の代行業
  
○個人事業廃業
*廃業届提出
  
○食品関連エンジニアリング会社
*保守・メンテナンス関連の管理
*2016年8月末退職
*2017年10月に知り合いからの紹介でアルバイトを半年ほど行った。
今は仕事をやっていないが年金だけでは苦しいので新たにアルバイトを探している。

<ページのトップに戻る>


人生に大きな影響を与えた出来事!

私にとって大きな影響を受けた出来事はいろいろある。
たとえば小学校時代、小学校の時の転校、中学時代、高校生時代、大学生時代そして就職と転職、個人事業などなど・・・
ここでは自分で大きな影響を受けたと思う事柄を書く。
*その1:方向性を決めた趣味
趣味はいろいろありますが今までで一番長く続いている趣味はアマチュア無線だ。
電話級アマチュア無線技士の国家試験を昭和42年(1967年)に受けて合格し免許証の年月は昭和43年1月だ。
その後随時上級の試験を受けて今は1級アマチュア無線技士の資格を持っている。
無線局は最初の免許状の年月日は昭和43年(1968年)6月1日となっている。今年(2018年)の6月1日で50年になる。
途中余りできない時期もあったが今まで長く続いてきた趣味だ。これからも続けていくつもりだ。
電話級の免許を取ったのは高校に入ってからだがアマチュア無線には中学時代から興味があり中学時代にも国家試験を受けたのですが落ちてしまい高校になって免許を取った。
この趣味が好きだったこともあり学校も工学系に行き仕事も技術系がほとんどだ。
そういう意味では自分の進む方向性を決めた趣味だと思っている。

*その2:カルチャーショック
最初の海外旅行は1978年5月〜8月(3カ月弱)に仕事で行った西ドイツ(当時は西と東に分かれていた)のフランクフルトだ。
飛行は国内線も乗ったことがなかったのにいきなり国際線でそれも航空会社はアエロフロート(ロシア)だった。
フランクフルトに着き街に出た時には映画の中にいるように感じた。
やはり今までと違った思いや考えが浮かんだ。
同じ技術の言葉一つとってもドイツでは違う。(日本は電気系の言葉はアメリカを基準にしている)
ドイツにいるときにスターウォーズの1作目が発表されそれを西ドイツで見た。音声は英語(米語)だが字幕はドイツ語だった。
私は外国語は苦手だがそれでも音声と字幕の違いを多少分かった。これも良い経験になった。
国内旅行でも地域が違えばいろいろ違いその地域独特なことがあるのに国が違えば当然と言えば当然だがやはりいろいろ違う。
その後、仕事ではアメリカのニューヨークに2回、ワシントンに1回行った。
社員旅行としては香港・マカオ、中国の広州、シンガポール、サイパン、グアムなど行った。
個人旅行としては友人と行った香港、タイのバンコクなどがある。
やはり最初に行ったフランクフルトは大きく影響を受けたと思う。

*その3:命にかかわる病気
一つ間違えば命にかかわる病気をするとやはり考え方に影響を受ける。
2013年12月に心不全で入院して退院は2014年1月末で2カ月弱の入院だった。
具合が悪く行院に行ったらそのまま入院になった。中学生時代に足の骨折で入院した時以来だ。
入院して2週間ほどは点滴に薬を入れているため機械で点滴量を精密に行っている方式だった。
特に2日目から4〜5日ほど両腕に行っていたのは辛かった。寝ているときも余り動けないので腰痛にも悩まされた。
酸素もチューブを使って鼻まで持ってきているのも鬱陶しく、トイレに行くには看護師さんに車椅子を持ってきてもらい酸素ボンベを車椅子にセットして点滴も一緒に移動させなければならずお願いするのも申し訳なく感じた。
入院するときに医者は若いから(還暦はとっくに過ぎていたが:苦笑)大丈夫と言っていたが、入院後に若い看護師さんが心臓が弱っているのでと言われた。無理をするなと言うことだったのだろう。
心不全は不可逆性の病気と言うことで治療で症状は無くなるが薬は毎日飲み続ける必要があり、生活習慣に注意をして規則正しい生活をせよとのことだ。
入院中に胃潰瘍も併発してしまいそのために退院まで多少時間がかかってしまった。
入院中は小型だが心拍や簡易な心電計、血中酸素などを無線で送る一種のテレメーターのような装置を付けていた。
この装置のおかげで一日中心臓の状態を観測されている。初日の診断の時に脈拍が150以上あると言われ夜間にも脈拍数が落ちずに夜中に点滴へ別の薬を入れた。
脈拍数は落ちなかったが常に状態が観察されているので安心感がある。
病気や怪我をするのは大変だと言うことは良く分かった。だが、人によって考え方や経験その他いろいろ違うので他人に気持ちは分かるとは言えないことを実感した。

<ページのトップに戻る>


心不全になるまでと入院!

心不全は一度なると不可逆的な病気で完全に治ることはない病気だそうです。
(糖尿病などと同じだそうです。)
ただ、軽いうちに治療をすれば薬を飲み続けることと生活環境を良くすることで普通に暮らすことができます。
病気になって思うようになりましたが、心臓病だけでなく内臓器官に関する病気には注意をした方が良いでしょう。
私も若い時は病院は嫌いで健康診断も面倒と思っていました。
でも、毎年の健康診断を受けるのは当然として体調不良や異変を感じたら診療を受けることを進めます。

○心不全になるまで
2013年12月に心不全で入院しましたが、その時に医者から5月頃から少しづつ進んだのだろうと言っていた。
会社の健康診断が5月だったのだがこの時の結果には特に異常もなく前年と比べても大きな変化はなかった。
今思うと5月に父が癌を再発して入院し、母は認知症があり弟の嫁が面倒を見ることになった。
私と弟も月に1〜2回程度嫁さんに代わって母の面倒を見に行かなければならなかった。
ただ、秋には母も癌が再発して入院をした。
また、仕事でも仕事でも新しいことが増えたりした。
私のプライベートでも品川のアパートに住んで(24年くらい)いたが出なければならなくなり2013年1月に横浜に引っ越した。
などなどストレスもあったのだと思う。
また、新たに引っ越した先のアパートが丘の途中みたいなところにあり急な坂を結構な高さ上っていかなければならなかったのは体に負担になったにかもしれない。
アパートに帰るときの長い空坂を上るのは大変だったがそれでも休まずに上ってアパートに帰りついていた。
それまでは疲れても足に来ていただけだったが10月頃から体全体に響くようになり上っていく途中で立ち止まって1分くらい休むようになった。
歳を取ったものだと思っていたのだが・・・
会社で一緒に仕事をしている人によるとこのころから疲れたと言うようになったと言っていた。
仕事で外出をして外出先のトイレが和式だと座っていられなくなった。
尿意を催してトイレに行っても尿が出てくるまで非常に時間が掛かるようになりまた、尿が出たしたらで終わるまで時間が掛かるようになった。
また、畳に座るのも大変になった。
11月中旬位からは食事が食べられなくなった。
食べないとダメと思い無理に口に入れるが今までの1/3も食べられない状態になった。
夜寝るときに咳が出て止まらないようになった。
12月に入り病院に行ってみようと思うようになり会社を休んで病院に行った。
当初は近所にある内科の個人病院と思ったが考えることがあり総合病院に行った。
病院に行く前日の夜に風呂に入った時に気が付いたのだが両足がむくんでいてパンパンに張れていた。足の皮膚がピンと張ったような状態でツルツルしているように見えた。

○心不全で入院
12月11日に保土ヶ谷にある総合病院に行った。
この病院は駅に広告の看板が出ていたのを思い出して決めた。
病院の場所も良く分からないし駅から歩くのも大変そうだったのでタクシーをアパートに呼んで行ったが正解だったと思う。

病院には紹介状もなく行っただが問診票を書くだけで受診できた。
内科を受診した。
予約はなかったが40分ほど待たされて診療を受けその時の血圧や脈拍が異常だったようで血液・尿検査、心電図検査、胸のレントゲンを受けることになった。
血液・尿検査は検査項目をかなり多くしていた。
採血・採尿を終わり次に心電図検査を受けた。
心電図検査を受けているときに紙にプロットされた波形を見たら今まで健康診断で受けた時とずいぶん違うと思った。
心電図検査が終わり服装を直していると看護師が車椅子を持ってきてここからは歩かないでほしいと言われた。
目眩で倒れる可能性があるとのことだった。
看護師が次に受けるレントゲンのため放射線科まで車椅子を押して行ってくれた。
レントゲンを受けてまた別の看護師が内科診療の待合室まで車椅子を押して連れて行ってくれた。
ここでまた40分ほど待ってから診療を受けたが、心臓が弱っているので隣の診察室の心臓の先生に診てもらうと言うことになった。
また、待合室で30分ほど待ったところで診察室に呼ばれそこで心不全なのでこのまま入院と言われた。
心電図検査後に車椅子で移動と言うことになった時ひょっとしてこのまま入院かと思ったのが現実になった。
レントゲンの映像を見ると心臓が肥大化しており肺に水がたまっているように見えた。
また、後からですが医者から入院時にはNT-proBNPが3000以上あったと言っていた。
心不全で入院と聞いたときはピンと来なくて他人ごとに感じた。医者は私が若い(62歳になったばかりだったけど)から大丈夫と言っていた、
たしかに循環器で入院している患者を見ると高齢者が多かった。
しかし、外来診療から入院病棟までストレッチャーで運ばれるのは恥ずかしいような何とも言えない気分だった。
病室は大部屋を希望したが空いていなくて2日間だけ個室になった。
携帯メールで会社の上司や同僚に連絡、弟にも連絡、友人にも連絡をした。
ベットに寝かされて携帯でメールを打つのも結構大変だった。
上司はその日のうちに病院生きて当面のことを打ち合わせた。(上司も結構大変だと感じた)
治療としては点滴での薬注入と飲み薬によるものとなった。
同時に酸素吸入を行うと言うことで鼻チューブ(カニューレ)の使用となり、酸素はベットの頭側の壁からとれるようになっていた。
酸素吸入は点滴と同じで24時間食事や寝ているときも行っているので結構鬱陶しかった。
トイレに行くときも必要なので車椅子での移動となり点滴スタンドと酸素ボンベ(車椅子に積む)と一緒に看護師さんに押してもらうことになる。
看護師さんに頼むのが気が引けてしまう。看護師さんは遠慮しないで言ってくださいと言うが・・・
酸素吸入と点滴は2週間くらいで終了した。これで一人で歩いてトイレや売店に行けるようになって嬉しかった。
入院時に脈拍が150以上あり点滴で薬を入れたがこの点滴が機械を使用した点滴量を精密に行う方式だった。
看護師に聞いたところ薬が決めた量より多き入ると危険なためで薬が止まったり少なくなる分には問題ないと言っていた。
夜中になっても脈拍が落ちず点滴に別の薬を増やしたが結局朝になっても脈拍は150くらいあった。
(一種のテレメーターで体にセンサーを張った簡易な心電計と指にセンサーを挟んだ血中酸素濃度計で小さい機器を寝巻のポケットに入れ電波を飛ばしてナースセンターでモニターを入院した時から24時間退院するまで行っていた。)
点滴にも利尿薬を入れていたためその日の夜に出た尿の量は3リットル近くあった。
2日目から結構しんどくなってきて夜寝るときに苦しくなって看護師さんを呼んだるベットの背を上げると少しは良くなると言われて背を起こす形で何とか寝ることができた。
3日目から少ししんどさも取れてきたが治療であっても体に薬が入ると言うことは負担がかかると言うことだと分かった。
脈拍があまり下がらないので3日目くらいから精密機械を入れた点滴を両腕に入れることになり10日間くらい両腕に点滴をしていた。
同じ腕に点滴をすると薬が混ざるので危険なので両腕にすると言うことだった。
両腕に点滴をすると夜寝返りが打てねくなり腰痛が出て湿布薬を出してもらった。
入院期間は51日間になったがこれは途中で胃潰瘍を発生したためもある。
胃潰瘍を発生して貧血を起こし輸血までしてしまった。
それでもカテーテル検査で血管は綺麗だと言われたのが救いだった。

<ページのトップに戻る>


薬の副作用と効能による問題!

心不全は一度なると完治しない病気なので今でも薬を何種類か飲んでおりまた生活環境にも気を付けて健康を維持している。
勝手に薬を止めると心不全を再発すると言われている。
薬を飲んでいて副作用は当然として薬が効くために起こる問題もあることが分かった。

現在飲んでいる薬はβ遮断薬、ACE阻害薬、利尿薬2種類、血液をサラサラにする薬の5種類と胃の薬2種類の7種類飲んでいます。
胃の薬は他の薬から胃を守るだけでなく心不全に入院中に胃潰瘍になった経緯から薬剤師さんによると胃潰瘍予防もあるようです。

○副作用
β遮断薬、ACE阻害薬、利尿薬2種類の副作用として目眩などを起こしやすいため車の運転や高所作業を控えるようになっています。
実際に立ち眩みも増え、急に動いた時などにふらつくこともある。
畳に座っていて急に立った時に目眩がして倒れたこともある。風呂場で湯船から立ち上がるときにふらつくこともある。
また、急に振り返ったりなどしたとき軽いめまいがすることもある。
階段や坂道の下りは要注意だ。
(健康な人でも階段、坂や踏み台など上がるときはバランスを崩すことは少ないが、下るときはバランスを崩しやすくなる。
特に高齢者は余計だ。若い人でも駅の階段を駆け下りたりしてバランスを崩し落下して大けがをする人もいるので注意をしてほしい。)
危険なので車の運転免許証は返納した。

○効能による問題
・血液をサラサラにする薬
心不全になった原因の一つが不整脈(心房細動)で現在は慢性化していると言われている。
不整脈(心房細動)のため血栓ができやすくなっているのでこの薬を飲んでいる。
薬を止めると心筋梗塞や脳血栓になる可能計が高く命の保証はないと言われている。
血液をサラサラにする薬は血液を凝固させにくくする作用があるので血栓ができにくくなる。
そのため小さな傷でも血が止まるまで時間が掛かる。
血液検査で採血した針を抜いた後をガーゼなどで抑えて血が止まるのを待つが薬を飲んでいない人と比べると血が止まる前の時間が倍くらいかかる。針の傷でもこのようである。。
心不全で入院中に胃潰瘍になったがいカメラを飲んで直接患部の処理を行ったが最初の処置では出血が止まらづ再度処置をして出血が止まった。
胃潰瘍の症状が出て10日くらい絶食させられて栄養は点滴で補った。水分も喉を湿らせる程度であった。
心不全が良くなり退院した後、痔の手術を受けたが医者から手術時も薬の投与を続けるように言われ痔の専門病院にかかっていたがこの病院で手術ができなく大学病院を紹介されてそちらで手術を受けた。
大学病院の先生は血液をサラサラにする薬を飲んでいても大丈夫と言ってもらえ問題なく手術することができた。
手術を必要とする病気にはならないように自己管理が必要だ。
また、大きな怪我にも注意だ。事故に巻き込まれることもだが自分でも起こさないようにする必要がある。
現在は自転車に乗るのも止めている。

・利尿薬2種類
余分な水分は心臓に負担をかけるため利尿薬で体の 中の余分な水分や塩分を減らす。
現在、すべての薬は朝食後に飲んでいるが特に利尿薬は夜飲むと寝ているときに頻繁にトイレに行くことになると説明を受けている。
でも、朝食後に飲んでいても夜間に3回ほどトイレに行っている。夜飲むようにしたらどうなるか怖い・・・
利尿薬を飲むことによって軽い脱水状態にしているようで夏場の気温が高い時は熱中症にならないように体調・生活環境の管理が大切だ。
最近は猛暑日が増えている上、熱帯夜も増えているので注意が必要だ。
体の中の水分を減らすことで起こる症状があり結構憂鬱だ。
それは、寝ているときに起こる「こむら返り」、昼間でも起こる「足のつり」、足の痙攣や脹脛などがピクピクする症状、そして寝ているときに脹脛などの起こる違和感などです。
結構気になるので調べてみたら体中の水分が少なくなると起こる症状とのことである。
心臓の負担を減らすために軽い脱水状態にしているためいかんともしがたい。

処方薬を飲んでいて厄介だと思うことはまだあり一般に売られている市販薬の制限だ。
市販薬の箱に書かれている注意事項には心臓病の方は主治医と相談してくださいと書かれていることが結構ある、
市販薬の成分により処方されている薬が効かなくなったり、逆に効きすぎたりすることがある。
効きすぎると良いと思うかもしれないが命の危険が伴うことがある。
例えば血圧を下げる薬を飲んでいてそれを促進すれば当然危険だ。
逆に血圧を上げる薬を飲んでいる人に血圧が上がる傾向のある市販薬を飲めばやはり危険だ。
市販薬を使用するには主治医または薬剤師さんに相談する必要がある。
私は花粉症なので以前に薬剤師さんに相談して薬を選んでもらったが最近は薬を飲むのを止めた。
それ以外もほとんど市販薬は使用していない。
なにせ頭痛薬なども私のような薬を飲んでいると危険がある。
今のところ安心して使用できる市販薬は下剤と張り薬の湿布薬くらいだ。

食品も注意しないといけない場合もある。
例えば血液をサラサラにする薬は何種類かあるがそのうちの一つに納豆を食べると聞かなくなるという薬もある。
私が服用している血液をサラサラにする薬は納豆は大丈夫だが健康食品などに含まれていることがある西洋オトギリ草(セントジョーンズ ワート)を食さないようにとのことだ。
なので一般の健康食品だけでなくサプリメントやドリンク剤なども取らないようにしている。
薬によっていろいろあると思うが持病を持っている人は注意が必要だ。

人間は健康であれば薬を使用することはない。
しかし、病気になると薬を服用することになる。
特に心臓、高血圧、肝臓などの内臓関係や糖尿病など一度病気になると病状が無くなった後も薬を服用しなければなくなることも多い。
私も健康な時は気にしていなかったが心不全になり不可逆性の病気のため症状が無くなり一見健康な状態でも薬の服用を続けなければならない。
そのため薬の副作用だけでなく効能による問題も発生することになりいろいろな不具合と付き合っていかなければならなくなる。
高齢者になれば病気にかかりやすくなる。若い時から健康には気を付けて生活環境を整え健康診断や体調不良の時は診療を受けることを推奨する。

<ページのトップに戻る>

ホームに戻る
アナログ&ローテクそして感動:Webry Blog    スローライフと趣味・生活:ココログ