作成:2016/5
関東大震災の跡と痕を訪ねて
番号 : 秦野市 HN-00
秦野(はだの)市は神奈川県の県央に位置し、秦野盆地と呼ばれる凹地に発達した都市である。北側の市境には鍋割山(なべわりやま 1,272m)、塔ノ岳(1,490m)、大山(おおやま 1,252m)などの各ピークがあり、その中央部には三ノ塔(1,205m)や二ノ搭(1,144m)などの支脈が張り出している。
丹沢山塊を源とし、丹沢盆地を流れる河川には、西から順に四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)、水無川、葛葉川、金目川(かなめがわ)があり、秦野盆地内を源とする河川には室川(むろがわ)がある。四十八瀬川は秦野盆地の西端に沿って概ね南に流れ、松田町で川音川となって足柄平野で酒匂川(さかわがわ)に合流し、相模湾(小田原市)に注ぐ。一方、水無川、葛葉川、金目川、室川は小田急秦野駅の周辺で順次金目川に合流し、秦野盆地を抜けて相模平野に流入し、花水川となって相模湾(平塚市)に注いでいる。
秦野盆地の中央を流れる水無川の流路が示すように、秦野盆地は概略西北から南東に向かって傾斜している。
写真1
渋沢丘陵から秦野盆地と丹沢山塊望む
左の最大ピークが三ノ塔で右隣が二ノ搭、右のピークが大山
写真2
写真2 横野付近より南方向の秦野盆地(市街地)と大磯丘陵(渋沢丘陵)を望む
渋沢断層に沿ってその南側が上昇し、大磯丘陵が形成された。
写真3 今泉湧水池
水無川や葛葉川は豊水期には流水を見るものの、渇水期には伏流水となり、秦野盆地を形成する礫層中を流下して秦野盆地の東部で湧出する。これらの湧水は秦野湧水群と呼ばれ、環境庁により「全国名水100選」に選定されている。今泉湧水池は湧水群の中で最も湧水量が豊富である。
撮影:2016/5
秦野盆地は、北側に山地を背負い、南側は東西性の渋沢断層によって大磯丘陵と接している。大磯丘陵が形成される前の水無川や葛葉川などの河川は南に向かって流れていたが、約4万年前の渋沢断層の活動による大磯丘陵の上昇によって南流を阻止され、現在は東南方向に迂回する流路をとっている。特に室川の流路は水源域から渋沢断層の存在によって規制され、渋沢断層に沿って東に流れている。
秦野断層は、落合の八幡神社あるいは国道246号線の新九沢橋付近を通り、北東-南西方向に走っている。秦野断層の活動による地盤の上昇により、上流側の河川勾配の変化によって蛇行が促され、現在は蛇行した流路を保ったままに上昇した地盤を河流が下刻し、深い谷を形成している。蛇行によって大きなカーブが9つあることから、この付近は「九沢(くざわ)」と呼ばれ、現在は「葛葉川ふるさと渓谷」という緑地として保全されている。秦野断層などによる地殻変動と浸食により、周辺では数段の段丘(台地)が形成されている。
神奈川県地域活断層調査委員会の調査によると、秦野断層も渋沢断層も同じ時期に活動したと考えられ、「断層の長さに比べて平均変位速度が著しく大きく、起震断層の可能性がある。しかし、近くに存在する神縄・国府津-松田断層帯の影響を受けて活動する可能性もある。」とされている。神縄・国府津-松田断層帯は政府の機関である地震調査研究推進本部地震調査委員会によって再評価され、国府津‐松田断層帯は相模トラフのプレー境界からの分岐断層で、海溝型地震の発生に伴って活動する可能性がある断層とされる。国府津‐松田断層とともに渋沢断層や秦野断層も一体となって活動する可能性があることを意味している。渋沢断層や秦野断層の周辺は市街化している場合が多く、地震が発生したならば、大きな被害が予想される。
丹沢山地は新第三紀中新世(約1,700~600万年前)の海底火山の噴出物より成り、熱水変成作用を受けて緑色凝灰岩(グリーンタフ)に変質している。
丹沢山地は100万年以降に急激に隆起し、最近の数十万年の間にますます高く険しくなった。隆起と共に河川による浸食が激しくなり、山地斜面を源とする河川によって運搬された砂礫が秦野地域に堆積して扇状地を形成した。また、箱根火山は約40万年前に噴火が始まり、約18万年前のカルデラの形成後もカルデラ内部で噴火活動が起り、5万年前の激しい火山活動を経て新規カルデラが形成された。富士山は8~1万年前にかけて噴火したが、古文書にも噴火が記載されているように噴火活動の余韻は続いている。秦野地域は箱根火山や富士火山に近く、噴火によって飛来した火山灰や火山砂などが繰り返して堆積した。その結果、秦野盆地では山地側から供給された扇状地起源の礫層と火山性の飛来物質のローム層が互層として堆積している。盆地中央部ではその厚さは約150mと推定されている。
大磯丘陵は一部に丹沢山地と同じ地質時代の第三紀層が分布するが、それ以外の地域では、第四紀の海に堆積した地層より成り、この地層が厚いローム層に被われて比較的なだらかな丘陵を形成している。(なお、渋沢丘陵は秦野盆地に隣接する領域の大磯丘陵の呼称であり、渋沢丘陵も大磯丘陵に含まれる。)
秦野盆地は丹沢山塊の上昇や断層の活動などの地殻変動によって生まれた地形であるが、この変動は現在も続いており、プレートテクトニクスの考えによると、プレートに乗って北上した海底火山が丹沢山塊の源であり、さらに続いて伊豆半島が本州に衝突することによってこのような地殻変動が生じていると解釈されている。
参考資料
秦野市教育研究所(1994)改訂版 秦野盆地の地質,100p
地盤工学会関東支部神奈川県グループ(2010)大いなる神奈川の地盤 その生い立ちと街づくり,技報堂出版,214p
神奈川県環境部地震対策課(1999)秦野断層・渋沢断層に関する調査成果報告書の刊行にあたって,6p
地震調査研究推進本部地震調査委員会(2015)塩沢断層帯・ 平山-松田北塩沢断層帯・国府津-松田断層帯(神縄・国府津-松田断層帯) の長期 評価( 第二版 ),55p