地震・防災関連用語集

カテゴリ:地震

貞観地震(津波)

貞観地震は西暦869年7月(貞観11年 平安時代)に発生した非常に大きな津波を伴う地震であり、この時の津波を貞観津波といいます。

この地震については「三代実録」という歴史書に次ぎのような記述があります。
「城郭・倉庫・門櫓・垣壁崩れ落ち倒潰するもの無数。人々は倒れて起きることができないほどであった。津波襲来し、海水城下(多賀城)に至り溺死者1,000。流光昼のごとく隠映したという。*1

貞観地震が意識されるようになったのは津波堆積物の研究からです。明治以降でも、三陸沿岸が大きな津波被害(1896年の明治三陸地震津波、1993年の昭和三陸地震津波)を受けて来たのとは対照的に、仙台平野(仙台、石巻)ではこれまで大きな津波被害が知られていませんでしたが、貞観地震の津波堆積物が広く分布していることが徐々に明らかになりました。津波が当時の海岸から3~4kmも内陸まで浸水していたことが解明されたことによって三代実録に記述されている津波が巨大であったことが指摘されました。津波の浸水域を説明できる断層モデル(長さ・幅・滑り量・マグニチュード)などから、宮城県から福島県にかけてのプレート境界で長さ200km程度の断層が動いた可能性があることが推定されました*2。また、同規模の津波は450年~800年程度の間隔で繰り返して起こっていることがわかりました。

貞観津波の津波堆積物が最初に確認されてから20年以上経て、いまだ津波堆積物の調査が必要な地域が残されているものの、ようやく貞観地震で発生した津波の概略がイメージがされるようになりました。貞観地震は巨大な津波を伴う連動型巨大地震が東北地方にも存在することを警告する地震でしたが、警告が社会に受け入れられる前の2011年3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生しました。東北地方太平洋沖地震は予想を大きく超える連動型巨大地震であり、東北地方は日本で知られる最大規模の津波に遭遇しました。福島第一原子力発電所は貞観地震の研究成果を対策に取り入れることなく、10mを越える津波に襲われてメルトダウンに至る原発災害を発生させました。

*1 新編 日本被害地震総覧(宇佐美龍夫) より

*2 宍倉正展他 平安の人々が見た巨大津波を再現する -西暦869年貞観津波- AFERC NEWS No.16 2010
断層の南北の広がりを詳細に検討するためには北の三陸海岸や南の茨城県沿岸での津波堆積物の調査が必要であるとされていることから、貞観地震の全体像が明らかになったわけではなくここに示されている断層モデルは暫定的で少なくてもこの程度の規模であるということを示しています。