映写室 in 映画館

第二部   (第一部はこちら)

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上映作品



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トラフィック

ミュージック・オブ・ハート

JSA コレリ大尉のマンドリン
冷静と情熱の間 アメリ
おいしい生活 忘れられぬ人々
ターン 耳に残るは君の歌声
陽だまりのグラン キューティ・ブロンド
少林サッカー パニック・ルーム
サウンド・オブ・サイレンス KT
活きる とらばいゆ
ピンポン バーバー
ハッシュ ノー・マンズ・ランド
ウインドトーカーズ 白い船
きれなおかあさん ジャスティス
海辺の家 月のひつじ
赤毛のアン アンの結婚 プレッジ
トンネル トリプルX
ロード・トゥ・パーディション チョコレート
刑務所の中 セレンディピティ
たそがれ清兵衛 マイノリティ・リポート
まぼろし イン・ザ・ベッドルーム
暗い日曜日 メルシィ!人生
太陽の雫




太陽の雫


(原題 sunshine)


これは、ハンガリーを舞台にした、一家一族の、
正味、なんと、5代に渡るお話です。
私にとってこの映画の主人公は、3代目の女性。
彼女の存在が、全編の重苦しい雰囲気を柔らかく支えています。


近代の目まぐるしいハンガリーの移り変わりが舞台なので、歴史の勉強になるかもしれない。
でも、はっきり言って、先に歴史を知っていないと、ついて行くのに疲れるかも(笑)
その上で、政治の世界で生きる事の難しさ、人類の過ち、人間の愛欲の強さ、人の弱さと強さ、愚かさ等などが、ずっしりと伝わってきます。


作者から私が受け取った事の筆頭に、
まず、民族の、人としての、アイディンティティの大切さがある。
自分の夢を叶えるために、生き延びる為に、3代目4代目が姓を変え、宗教を変えますが、
5代目が、その為、生きる道を探しあぐね、時代に翻弄されます。


二番目に、人が生きる本筋を見失わない事の大切さがきます。
それを示しているのが、主人公の女性。
彼女の青春時代が光あふれる画面を通して描かれているのが、
この作品の中心にあって、
いろいろな事に振り回される一族の中で、際立って、
生き生きとしています。
そうして、彼女の趣味が、写真である。
生きている人とその周りの世に降り注ぐ光を忘れないこと、
そして、それを大切にして欲しいというメッセージを強く感じました。
家の中庭一面に花が咲いた色彩鮮やかな光景と、
写真や映像の中のモノクロの画像とのコントラストに、
そのメッセージが込められている。


三番目に、人の愛欲を描いているのも、確かに重要。
人を一途にし、強くさせる人間の情感、その根幹にある愛欲をいくつかの角度で描き、
それが及ばないところにある虚しさも照り返すように描かれている。


荒れ狂う時代の中を生きている様を描いていることから、
チャン・イーモウさんの「活きる」を、思い出しました。
共通するものもあるし、全く異なるものもあります。
比較するより、それぞれをまるごと受け止めて、感じ取っていただきたいと思います。
学校の歴史が面白くない若い人には、これらの作品から歴史に少しは興味を持ってもらえるかな?(笑)
ちなみに、私が歴史に強く関心を持ち出したきっかけは、
高校生の時に起こった三島由紀夫割腹事件です。
ここを起点に、いろんな事を、世界を、人のことを、心底知りたいと願うようになり、今に至っています。
2002.12.28 記
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メルシィ!人生


某ゴム製品の経理部門に勤めるピニョン氏は、
気が弱く、陰の薄い存在です。
その彼にリストラの風が吹く。
図らずも聞き及んでしまったピニョン氏が、
世をはかなんで、自殺しようと自宅の窓の外に立つと、
隣人の老人が声をかけてきた。
そして、リストラ対策の手を案じ、手配してくれる。
さあ、ピニョン氏の運命や、如何に?


映画の予告で知らせているので、教えても許されるでしょう。
隣人が案じた策は、ホモとカミングアウトすることです。
無論、ピニョン氏は、ホモではありません。
そこから起きる騒動が、大変愉快で楽しく、おかしい!
同じような米映画をご存知の方もいるかもしれない。
でも、これは、フランス映画。
いかにも、フランスの大人が腕を振るって作りあげた仕上がりで、
話の収まりが、これ以上は無いくらいに、腑に落ちました。


他ならぬフランス映画でありながら、
素直にウンウンと頷き、大笑いし、堪能しました。
こんな映画、もっともっと見たい!


そう、一人よがりで、ウジウジしないで、
自分を前に出してご覧。
人が見る眼を変えれば、自分も変わる。
人生、なかなか捨てたもんじゃない。
精一杯生きれば、お返ししてくれる。
タイトル以上でも以下でもない。
メルシィ!人生。


劇場から、ロビーに出れば、
いつものシネマクレールとは全然違った気分!
快活に、ありがとうと、お姉さんに言えた。(笑)


例によって、わが身に引き寄せたお話しを…(^^ゞ


公立高校受験を落ちて通い始めた私立高校は、男子ばかり。
誰も彼もが気を張ってピリピリした緊張が走る毎日。
関わりあいたくない奴が多いのですが、(笑)
そこは退屈な青年たちですから、
おとなしくしてても、絡んできます。
「されるがままになっては、いかぬ」、と
ぼんくらな私でも分かる。
しっかりと組み合って、行く先はやはり、相棒と並んだ職員室前。(笑)
そこから、人生開けてきましたね。(爆笑)
信じられない交友関係のめくるめく世界。
昨日までは怖くてこちらから避けていた奴が、満面に笑顔をたたえて肩を組んでくれる。
いろいろ教えてくれたり、お誘いをかけてくれました。
遠慮したのも無論あります。(笑)
全然関係ないはずの、柔道部・剣道部の顧問の先生も何故か、こちらを知っている?
意外に退屈せずに高校生活を送れました。
退屈しててもそれなりに味があった。


けっして無理をしてはいけませんよ!(笑)
そう、少し積極的になるだけでも、結構違ってくるものなのです。

頑張ってね♪

2002.12.21 記
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暗い日曜日

1999 ドイツ・ハンガリー合作
ビスタサイズ 115分


「暗い日曜日」というシャンソンの名曲を組み込み、
第二次世界大戦前後のブダペストにあるレストランを舞台にした作品です。


冒頭、久方ぶりにレストランを訪れた客が、
食事の最中に、この曲をリクエストし、聞きながら死ぬ。
やはり、呪われていたこの曲…。
しかし、この死の裏には、「歴史に封印された激しくも切ない愛の物語」があって、
その物語が本編を占めています。


この作品の最大の魅力は、キャスティングとロケーションとにあります。
そして、地味ながら手堅いシナリオに拍手。


レストランのオーナー、その恋人、レストランに勤めるピアニスト、客のドイツ人。
一人の女性を巡り、二組の男が全く異なった様相で物語を紡いでいきます。
オーナーとピアニストが、女性を間において醸し出す濃厚な愛の時。
オーナーとドイツ人とが女性を間に挟んでなだれ落ちていくような歴史の軋轢。


太く濃い鉛筆で描いたように、くっきりとシナリオが表現されているのは、
この四人の顔と表情としぐさが、あっての事と、
ご覧になったどなたも納得されることと思います。
この四人が動き回るブダペストの雰囲気も、この世界を強固にしてくれている。


日本人等がフィレンツェで動き回るより、ズーッとしっくりしている。(笑)


非常に惜しまれるのは、この映画のポスター・ビデオのパッケージ。
あの作品をどうしたらこういうポスターになるわけ?(笑)
シネマ・クレールで上映されていなかったら、見なかったと思います。
時折、映画館で見た後に直ぐビデオが出て、ちょっと損した気分になること、あるけれど、
これは違いましたね。
レンタル屋さんで、その前を通り過ぎる人に、
「これ、意外にいいよ!」って、声をかけそうになるのを我慢して、
この文章に変えさせていただきました♪(笑)
2002.12.15 記
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イン・ザ・ベッドルーム


ルースを演じたシシー・スペイセクが、ゴールデン・グローブ賞最優秀主演女優賞を受賞した作品です。
しかし、私はトム・ウィルキンソンが演じたマットの方に心を揺さぶられました。


一人息子を理不尽な事件で失った夫婦の物語です。
見ていて他人事とは思えないような、やりきれない時代に私たちは暮らしており、
現実に様々なケースで子どもを失った親達を知っている。
例えば、少年犯罪の犠牲者、統合失調症の犠牲者、ストーカーに娘を殺された方々…。


犠牲者遺族のケアは、個々のカウンセリングの問題ではなく、
社会的課題として、もっと広く大きく深く取り組まれるべき問題になってきています。


昔、「デッドマンウォーキング」という作品があり、
その中に娘を殺された父親が出ていました。
残された犠牲者の両親は離婚したのです。


そして、今、この映画では
残された両親の、もう一つの道を描いています。
いかにもアメリカらしい展開です。


息子の死を受け入れられない妻への愛から、
行動に踏み切った夫の心中を思うと、
切なくてたまりません。


息子の死を受け入れようと覚束ない足取りで日々を過ごす父親の心象が細やかに描かれているのに対し、
母親の方は一途で、分かり易いといえば分かり易くも、やや単純に感じられる。


事件への怒りを押さえられず、
犯人と同じ町に住むやりきれなさでたまらない妻を思って行動に出た夫の心象が、
ものすごい奥行きの映像となって展開されており、見事でした。


次に何が起こるか知れない不気味さと、
起こしてしまった現実が信じられない思いの中で
眼前の街の風景はいつまでも胸にこびりついて離れられないであろう息苦しさが、
画面の隅々まで充満しています。


階下から妻の普段の暮らしの声が聞こえてきますが、
ベッドに残された夫はそれに答えれません。


いつしか一気に引き込まれてしまって、気がつけば脱帽の仕上がりというしかない。

2002.12.8 記
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まぼろし



主演のシャーロット・ランプリング、
フランソワ・オゾン監督の作品として、話題になっています。
が、この辺り詳しくないので何も書けず、相すみません。m(__)m


休暇で夫婦揃って赴いた海岸で、夫が突然、失踪する。
何故居なくなったのか?
残された夫人の日常・心理・幻想が描かれ、
次第に夫の事故死を受け入れざるをえなくなる様になっていきます。


ランプリングさんの顔立ち、身体、しぐさ、表情が映画を成り立たせている大きな要因です。
この作品は、身近な人の死を経験した人に、
共感を呼び起こし、深い感銘を与えてくれるでしょう。
そうでなければ、さっぱり分からない作品では、ないでしょうか?


私の感じ方で言えば、
彼女が見ている「まぼろし」は、
その人の死を受け入れられない時と、
受け入れた後とで、違っていると思う。
受け入れられない時には、遠ざかる、不可解な、追うまぼろしだけど、
受け入れた後は、親しみのある、迎えてくれるまぼろしではないか?


最後のシーンで彼女が追っているまぼろしが、この映画で一番描きたかったもののように思えます。


「チョコレート」とは全く違った意味で、人それぞれに受け取る作品です。
この作品の感想を語ることは、
そのままその人の人生・感受性を語ることと直結しているので、
読み応えする感想は、他の普通の映画作品評と違った風になってくるでしょう?


私には、ズーッと以前若い時のささやかな経験しかないので、
それだけのものしか書けません。
2002.11.23 記
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マイノリティ・リポート



S・スピルバーグ&T・クルーズで、期待して見に行きました。
20世紀フォックスのタイトル画面にひねりを入れてある。
おお、これは、期待できそう!
思わず座り直す。


時は、近未来。
プリコグの予知能力を活用し、犯罪を未然に防ぐ捜査官が、主人公です。
彼は、息子を誘拐され、妻と別れて暮らしており、
仕事帰りにスラムでヤクを買うほどのトラウマとなっている。
ある日、プリコグが彼の犯罪を予見してしまう。
システムによって、当然彼自身を逮捕・保護しなければいけないのですが、
無論本人としては納得しがたく、逃げ出します。
システムに間違いは無いのか?


ここまでの紹介でお分かりのように、何でもありの内容です。
SF・ミステリ・サスペンス・アクション・家族愛…。
何度か話の展開で驚かされるところがあったものの、
顧みて、どれもイマイチ、物足りませんでした。
(期待し過ぎたのか…)


約50年程の未来で、
車社会システムのプレゼンテーション作品かと見紛う場面が出、
さすが、トヨタのプレミア試写会と名乗るだけのことはある。(笑)
でもでも、
途中で作品の一舞台となる車の生産ラインは、不釣合いなほど進化して無いように感じられるし、
捜査官が使用するコンピューターの仕様も、ちぐはぐに思える。
網膜検査も、映画の小道具として使い過ぎ、というか頼りすぎではないのかなぁ〜?
最後まで使っていて、思わずため息が出た、「まだ、使えることにすんの?」(苦笑)
予知も映画の展開に合わせて、都合良過ぎるわぁ〜。


私のような素人でも、強引過ぎると、見なさざるをえない箇所がある。


これは、見方を間違えた!
試写会だからと、正座して見たのがいかん。
チョット、一杯、
そうだな、缶ビール一本ぐらいか、
飲んでボケーっと見るべきだった…。
退屈はしません、
が、映画のリズムに乗って楽しむ事を忘れないように。(笑)


何と言っても、正月娯楽作品ですから、
忘年会・新年会・初詣の帰りに、ほろ酔いで見るようにしてあるのでしょう。
でも、飲み過ぎないようにね。
度が過ぎると、眩暈を起こすかもしれません。
カットバックが多いし、チラチラした不明確な画面も多々あります。


ハリーポッターをねじ伏せるには弱いかもしれない。
でも、兄ちゃん姉ちゃんが見る分にはいい。
(未成年の方、アルコールはご遠慮ください)
大人が真面目に見るとしたら、
コンピューター化社会のあり方を考える手がかりには、なります。


未来社会、都会よりは田舎に住むべし。
未来社会を描いた映画作品には、こういう風に言わせるものが圧倒的に多いのを、
思い起こしながら、街中を、我が家へ向かった。

2002.11.21 記
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たそがれ清兵衛




感想を一言で言いますと、
良かった!
とりわけ、緩急を付けた話運びと演技とに、
ただもう頷かされるばかりです。
映画を見終えて真っ直ぐ家に向かう気にはなれず、
商店街を街角をぶらぶら歩いて帰りました。
心の中で藤沢さんと話をしながら…。(^^ゞ


(山田監督さんと話すと
ちょっと説教じみた風になるかなと思い、
ここはご遠慮願う(笑))
難を言えば、あそこまで画面を暗くしなくてもいいのではないでしょうか?
藤沢さんの文章は、清明です。
清貧という言葉も浮かびますが、
この映画では、赤貧という言葉を思い出してしまった…。


藤沢周平さんの短編3作を基に作られた話ということですが、
見ていて、他の幾つかの作品をも思い出しました。
「隠し剣」シリーズや、
出戻った女性が、思いを寄せる人の家に来て、
随分遠回りしたけれど、ここが私の来るべき家だったと思う短編等等…。
そういう意味では、藤沢周平ファンには見逃せない作品で、
文章からは得られない風景や言葉の響きが必見。
もう少し、あの辺りのお料理のことを入れても良かったなぁ〜。(笑)


それは、さて置き、
この作品で一番堪能したのが、殺陣。
二シーンあります。
最初は、引いて人物全景のまま、長まわしで撮っています。
二つ目は、屋内の切りあいで部屋の狭さを感じさせながらの撮り方。
この二つに痺れました!
山田さんが藤沢さんへ抱いている敬意をひしひしと感じました。
これが為に、他の家族や、宮沢りえ演ずる朋江さんが、一層引立つ!


公式HP内掲示板で、
宮沢りえさんの演技に踏み込んで言及している書き込みがあり、
一読感心する。
女性がご覧になってもいい様です。(笑)


この頃、日本の作品が海外で映画化される作品が続いていますが、
こういう時代劇を見ると、
どうだい!どうしたって、かなわねぇだろー!
と言いたくなる。(笑)


拙街での公開直後、字幕版の上映があったので、
いそいそと出かけました。
字幕版が無かったら見ていないと思います。
提供してくださった麒麟麦酒さん、作成の飯村さん、
そして、松竹さん、
ありがとうございました。

2002.11.10 記
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セレンディピティ



クリスマスの買い物客でごったがえす、ニューヨークのデパートで、
黒いカシミアの手袋を同時に取ったのが、二人の出会い。
しばらく共に過ごした後、
また、会いたくて連絡先を交換し合おうというジョナサンに対し、
サラは、この出会いが運命なら、またきっと会えると言う。
そうして、ジョナサンが彼への連絡先を書いた5ドル紙幣を通りの向かいの店で使い、
サラは、自分への連絡先を書いた手持ちの本を古書店に売ると約束をした。


こうして、別れた二人に数年の時が経ち、
互いにフィアンセのいる身となったものの、
結婚を前に、相手を想い、もう一度会おうと決意する。


これからが、この作品のメイン・ストーリー。
あの5ドル紙幣とサイン入りの本とは、どうなるのでしょう?


この映画は、楽しみに見に来てくれた観客の期待を裏切らない筋運びなので、安心して見られます。
だからといって、しらけたり退屈させてはいけないのが、この手の作品の義務。(笑)


舞台は、ニューヨーク・ストリート、流れる音楽は、サッチモの歌声を含め、素敵なメロディ。
出てきたのは、ジョナサンを演じて親しめるジョン・キューザックと、
サラを演じているキュートなケイト・ベッキンセール。
ウーン、たまんない!こういう映画、大好き!
気の利いた台詞や掛け合い、そしてちょっといいバイプレーヤーがいて、文句ありません。


どっぷりとセンチな気分に浸って、時が経つのを忘れました。
エンドクレジッドが出だすとそそくさと席を立つ殆どの客を見て驚く!
そんなに出来が悪いか?
それとも、私が異常にロマンチスト?


若い時は、こんな映画を見ながら、夢み、そしていろいろ学習する。(笑)
もう若いとは言えない歳になったけれど、なぜか未だにこんな映画、好きだな。
これまで経てきたいくつかの恋の岐路を、思い出しながら、
後悔はしてないけれど、ありえたかもしれない幾つかの人生に思いを馳せる。
私はもうちょっとこの映画の余韻に浸りたく、最後まで音楽に聞き入っていました。



セレンディピティ(Serendipity)って、ちょっと覚えにくいと思いません?(笑)
“偶然にも思いがけないものを発見する能力”という意味のあるこの言葉は、
「セレンディップの三王子」という寓話に由来する由。
(セレンディップはスリランカが昔そう呼ばれていた名前のようです)
この映画で出会った二人がまず赴いた喫茶店の名前が、
「カフェ・セレンディピティ3」です。
あなたの素敵な人といつかご一緒にどうぞ!
有名人に会えるかもしれません。
*試写会へ入る時にいただいた、小冊子「TABiL」から、引用・紹介いたしました。

2002.11.6  記
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刑務所の中



題名通り、刑務所の中が舞台の作品です。
刑務所といえば、洋画の方を多く見る私には、
「ショーシャンクの空に」などを思い出すのですが、
それに比べると、
日本の刑務所・作品であることを非常に強く感じさせられました。


刑務所内の決まりをはじめとした様子と、
そこに居るさまざまな服役者が繰り広げるくらしの様子とが、
山崎努が演じる主人公花輪の語りと視線とに沿って、描かれています。


この作品をご覧になった方の感想は二手に分かれるでしょう。
退屈するか、服役者の暮らしに引き寄せられるか。(笑)


雑多な情報・モノに囲まれている現代の市井に住むことと比べると、
刑務所の中は、大変健康的です。
早寝早起きで、身辺は常にきちんと整理整頓され、暮らしは単純。
生理的に歯がゆい思いをさせられることがありますが、
人とのわずらわしい葛藤もない。


食事へのピュアな関心、安らかで満ち足りた就寝、集中できる仕事。
作者の狙いか、図らずもか、現代の世相をくっきりと照らし返す内容です。
私が子どもの頃の、ありふれた食事が次々と出てきますが、
ファースト・フードやジャンクフードが盛りの今、とてもご馳走に見える。
便利な世の中になっているけれど、
こっち(刑務所)の方がよぽど豊かじゃないか?と、ありきたりのことをどうしても思う。


主人公が独房へ入れられた辺りに、私は一番引き込まれ、破顔一笑しました。


出演者は、地味ながら巧者といわれる役者が次々に顔を、演技を見せてくれます。
中には、えっ!ワンシーンだけなの?と言いたくなるほど人気のある俳優もいます。
一人一人の性格、一つ一つのエピソードがしっかり肉付けされているようですが、
声が聞きとりにくく、今一つ物足りなさを感じました。


私事ですが、12,3年前に拙街の郊外にある刑務所に入ったことがあります。
服役ではなく、仕事を依頼する会社の用でです。(笑)
きわめて整然としたところはそのままですが、作業中の様子は違っていました。
途中からのばたばたした雰囲気は、はっきり脚色されている。
一緒に来た上司が、
ウチの職場も、こういう風に私語無く、無駄なく仕事をしてくれれば、
捗るのになぁ〜と、言ったのには、返す言葉がありませんでした。


日ごろの暮らしに病んだ方には必見でしょう。
でも、この作品から、しかるべきものを受け取れるかどうかは、
見た人自身の感性次第です。

2002.10.31 記
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チョコレート



ハル・ベリーが、アカデミー賞を受賞した作品として見始めましたが、
話の主人公、大半はビリーが演じたハンクです。


父の感化で筋金入りの刑務所看守であるハンク。
しかし、彼の息子には、その仕事が耐えがたく、
父と祖父の目の前で自殺をする。
この息子によってハンクは、父の価値観に囚われていた自分に気づき、
次第に変わっていく。
その時に、ハルが演じたレティシアと出会う。
レティシアは、ハンクが担当した死刑囚の妻です。
やりきれない其々の気持ちを交わし、結ばれる二人ですが…。


脚本と二人の演技とが見事に合致して、
新しい人生に踏み出せたと思うハンクと、
ハンクが元夫の刑執行担当看守である運命に対峙したハルとを、
描ききっています。
作品の中の二人がこれからどうなるか?
見る人に展開を委ねた仕上がりに、作品の価値があります。


どこから、ハルの演じたレティシアが主役級になったのでしょう?(笑)


この作品を見て思い出したのが、
「野いちご」や、アガサ・クリスティーの著作「春にして君を離れ」。
いずれも、
人生の途上と言うより、大半を過ぎて、
自分の生き方に向き合わされた者の苦い思いを取り扱ったものですが、
この「チョコレート」は、ハンクの側でそれを描いているものの、
ハンクの傍らにレティシアを置くことで、
独特の味と言うか深みを持った出来上がりになっている。


延々と心情を説明描写してきたハンクよりも、
レティシアの方が存在感を強く感じさせられたのは、
シナリオの所為でしょうか、ハルの演技の所為でしょうか?


人生の価値観、運命、人との出会い、人の心、等など、
生き方についていろんな事を感じさせ、
暗く、静かで地味ながら、力作だと思います。
しかし、余りに特殊な状況設定なので、
共感しにくく、感動には至りませんでした。



原題 Monster's Ball
2001 米
シネマスコープ 111分

2002.10.23 記
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ロード・トゥ・パーディション



こんなに画面の良さが突出した作品はめずらしい。


期待のポール・ニューマンは、見事に応えているし、
トム・ハンクスのミス・キャストは予想通り、
子役のタイラー・ホークリンは手堅い。
そして、脇役ながら、大化けで唸らせた、ジュード・ロウ!


ストーリーは、極めてオーソドックスなもの。


どれもこれも、まとまり過ぎて、出来過ぎで、
何を楽しむかと、思いながら見ているうちに、
画面の出来栄えに心惹かれていく。


画面の作りも、オーソドックスで、
CGもアングルや動きの奇抜さもないけれど、
端正なシーンそれぞれが、
大事にしまっておきたいほど素晴らしい!


動く写真集みたい。(笑)
画面のコントラスト・色調から見て、
これはスクリーンならではの仕上がりで、
ビデオではずいぶん損なわれるなぁ〜と感じ入る。

2002.10.20 記
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トリプルX


今のスパイ・アクションを楽しむならこれ!
というのが第一印象。


CGの使用は分かっていても、如何に楽しませてくれるか?
「リターナ」や「スパイキッズ2」等を見た後に、
こんな事を思いながら出向いた試写会ですが、
イヤー、楽しかった!


この主人公がいい。
役者とキャラクターの重みを感じさせられます。
ヴィン・ディーゼルがザンダー・ケイジを演じているところに、
この作品の最大の魅力があるのです。
今の時代の気分を巧く取り込んだままヒーローに持っていくキャラクターの造型に、
匠の腕前を見せられた思いをしました。


CGに頼らず上手に利用し、
ヴィン・ディーゼルの肉体を体感させる撮りかたに拍手です。
よくは分からずに書くのですが、
ヴィン・ディーゼル君、かなり特訓したのでは?
エンドクレジッドで、大勢のスタントマンの名前が並んでいましたが、
それを差し引いてもそう思わせる演技と言うか撮り方に、脱帽です。


パラシュート、バイク、スノーボードで見せる今のセンス。
そこへ、ちょこっと
小細工を施した車を出し、007を思い出させて笑わせてくれる。
最後も、もろパクリというか、007への表敬と言うか…(笑)
いろいろなシチュエーション(状況設定)で、
スパイアクションもこういう風に変わってきたのだなと、
往年の映画ファンも納得の出来上がりではないでしょうか。


くだくだと書けば書くほどに魅力を損ないそう…(笑)

2002.10.15 記
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トンネル


1961年8月13日、ベルリンの壁が出来た直後、
その真下に145mのトンネルを掘って、
東ベルリンへ迎えに行った人、そこから逃れた人たちの、
実話に基づく作品。


上映時間の長さを感じさせない秀作です。
ハリーを主人公に据えた作者の狙いが巧く的をえており、
壁に敢然と挑戦した前向きな生き方を中心にして、
周りを見据えた視線がズーッと添えられている。
この主人公の視線を外してみると粗の多い作りですが、
壁が崩壊して10年余後に何故この様な作品を作ったのかちょっと考えれば、
そういう粗は無視してもいいでしょう。


見なれない顔ばかりでしたが、直ぐに惹きつけられました。
ブルース・ウィルスに負けてないハリーを始め、
彼の妹、マチスとその妻、それにフリッツィ等、
なんて素敵な面だろう、否、演技が巧いのか?
更に所々に散りばめられた端役のショットもいくつか印象に残りました。


ベルリンの壁が崩壊した後、
かっての東西に分かれていた人たちが、
それぞれにこの作品を見ることを思うと、
こういう作りが一番受け入れられるかもしれません。


酷いことだったけれど、
いろんな人がそれぞれに耐えがたい想いを持ってそれに向かった。
勇気を持って成功した人もいれば、
悲しみを抱いて亡くなった人もいるし、
後悔や後ろめたさを引き摺っている人もいるはず。
そういう人たちのことを決して忘れてはいけない。
壁を絶対に作ってはいけない。


(原題:DER TUNNEL)
2001年/ドイツ/167分/カラー/シネマスコープ/35mm/ドルビーSR

2002.10.14 記
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プレッジ


ジャック・ニコルソン主演
ショーン・ペン監督

主演のジャック・ニコルソンに再会し、
彼の最新の演技を堪能できただけでも見た甲斐が、
十分ありました。
「カッコーの巣の上で」の凄まじい出会い以後、
彼のうまさと臭さとの見分けがつかない演技を見続けた末の、
この作品の前半に、
私は彼の新境地を見たのですが、独り善がりかな?
意外に老けた風貌で、彼としては異常に普通の人を演じているので、
「おっ」と、見入ってしまう。
そうして、後半に入り、彼の真骨頂が出てくると、
ここで生きてくるんだなと、至極納得。


この前に見たのが「恋愛小説家」でしたが、
変わっていました。


ショーン・ペンが監督しているのも、話題です。
画面は美しく、シネマスコープを活かしたカメラワークも見事。
映画のチラシでは、「鳥のモチーフ」とか「釣り」の比喩に触れており、
言われてみればなるほどですが、
見ている最中は、そういう見方よりも、
主人公の心象風景として感じました。
これで、違和感が無かったのですから、巧みです。
脇役の手堅さもすごい。


再びチラシさんに登場していただくと、
「自らの妄想に飲みこまれていく刑事の運命を骨太に描き」
「狂気に取り憑かれていく男の生き様を」
「描ききった」作品となっています。
主人公が狂気に陥っていく様はこの作品の主眼ですが、
自分の人生体験から言えば、
その先も創造した作品をみたい。


私は以前の会社で、20人以上のスタッフを預かって、
一シーズン200万冊、一日あたり2万冊を100日作り続けたことがあります。
一ヶ月の残業が100時間を越す凄まじい仕事振りでした。
今顧みて、あれは狂気の沙汰だなと思える。
社をあげてのプロジェクトでもありますから、
かなりの権限を得れるのですが、その所為もあって
だんだんに、強引な人間になり、無茶もやりました。
シーズンが終ってもなかなか元通りに戻れず、
上司とぶつかる事も度々あり、
部下と気まずくなることもしばしば。
自分でも自分が分からなくなり、手が負えなくなる。


結局、5,6年して、退社し、
他の会社に移って出直し、立ち直れたようです。
その変わり目の一年に感じた生きている実感は、
その時の風景と共に今でも甦ります。


その立ち直りというか変わり目の感触は、
なかなか言葉には言い表せなく、
映画に向いているな、と思う。


この頃は、自分の人生や生活に引き寄せて、
映画を見ることが多くなり、
私の感想もちょっと強引?

2002.10.12 記

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赤毛のアン アンの結婚



この映画の副題をもう一つ、帰ってきたアン、戦場を駆ける 


休暇でプリンスエドワーズ島に帰ってきたアンは、
ダイアナ等幼なじみに迎えられ、ギルバートに再会します。
医者であるギルバートの就職でNYへ一緒に行くことになり、
作家になり本を出版する夢に近づけましたが、叶いませんでした。
グリーンゲーブルに戻ったアン達が見たのは、
戦争を迎え、様変わりした町の様子です。
そんな中で結婚したギルバートも従軍し、ヨーロッパへ出発します。
その後、ギルバートとの音信が途絶えたアンは、
じーっとしておれず、彼を探しに戦火のヨーロッパへ向かいました。


と、ここまでは要約できる展開ですが、
この後は要約不可能なすごい展開振り!
見てのお楽しみに、と逃げるしかありません。(^^ゞ


見始めて、
ミーガン・フォローズ等による「赤毛のアン」は、
モンゴメリー原作の傍らに立つ確固たる別世界になっていると、
つくづく思いました。
見ている最中、彼らとひと時を共にしている至福感で一杯です。
(戦場の場面になってから、そこまでやるの?とは少し感じましたが…)


映画の中のプリンスエドワーズ島、きれいです。
この風景もお目当てでしたが、何と前後にあるだけ!!
尚更、前作2作をスクリーンで見たい気持ちがつのってくる。




見終えていろいろ考えさせられる問題作です。(笑)


なぜ、アンを好きな風景の中にたっぷり置かなかったのか?
NYの場面を入れた目論見は、二つ見え見えじゃ無いか?
(本を出したいけど、訴訟は辞さないモンゴメリーの逸話と、
後半のストリーにおけるジャックとの出会い)
新聞社の老女性との絡みは、一つのパターンだな…。
ドイツまで行くかぁー?


あのサスペンス色は、モンゴメリーの世界から一番遠いもので、
今の観客に迎合しすぎてないかなぁ〜?


ダイアナもギルバートも直ぐにすーっと馴染めたけれど、
アンはちょっと変わり過ぎ?
話の進行につれ、表情豊かになって馴染み感を取り戻しましたが…(笑)


最後にあるドミニクとの再会場面で、はは〜ぁんと一人合点、
これが一番撮りたかったのかな?


強引に完結させた映画編という印象。
もっとのんびり延々と作り続けてもいいのではと思うのは、ファンの勝手と分かっていても、
そう思わせる不満が残りました。

2002.10.6 記





月のひつじ



1969年月面に人類が初めて降り立った様子を、
私もテレビ画面で見入っていました。
高校生の時です。


その時は無論、この作品を見るまでは、
あの画面の向うに、というより、
あの画面の傍で、こんなドラマが展開されていたなんて、
思いもよらない。


地の利を活かした協力をNASAから要望されたのは、
周りに羊がいるだけの、
オーストラリアの田舎にある天体アンテナ基地です。


この基地で働く5人と、
アンテナのある町パークスの町長さんを取り巻く人たちのお話が、
展開されるのですが、
コミカルさやシリアスさや馬鹿げたことなどが、
入り混じって描かれており、
余計に生々しさを感じさせられました。


そうそうと頷くほどに、
自分たちのまわりでも、
笑いたいことや居たたまれないことが、
混在してあります。
この作品は、そのブレンド具合がなんともいえぬ味わいで、
見終えてふと思いました。
そう、気持ちの持ち方で暮らしはこう味わえる…。


仕事をしている方たちは、
このアンテナ基地の責任者の気持ちに痛いほど共鳴できたのではないでしょうか?


諦めれば、それまで。
しかし、もう少し頑張ってみよう!
やれば、意外や道は開ける。
でも、それで当たりまえ。
誰も自分の苦労なんか知らないけど、それでもいい。


世の中は、こういう些細な苦労の積み重ねで、
あたりまえの顔をして動いている。
歳を経て知るこの機微を通して、人がいとおしくなる。
ね、シネマ・クレールのお姉さん!

2002.9.19 記
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海辺の家


この作品を見るべくシネマ・クレール石関館の前に立った人たちの中で、
ヘイデン・クリステンセンを目当てにした方と、
ケビン・クラインやクリスティン・スコット=トーマスに再会したい方とでは、
どちらが多かったのでしょう?(笑)


死に向き合う残された時間で家族の絆が強まる、
涙を誘う感動作…。
そういうコピーはもういい。
ケビン・クラインやクリステリン・スコット=トーマスが、
しっかりと仕事を見せてくれているのだから、
それに少しでも応えるようなコピーを作って欲しい。


段々と死に至るケビン・クラインが、私には印象に残りました。
クリスティン・スコット=トーマスと共に、
自分の至らなさで無為にしてしまった過去を振り返りながら、
それはそれで受け入れつつ、
今を生きる壮年の大人を見事に演じていると感じました。


「心ゆくまで涙を流してください!」って?(-_-;)
ちゃう(違う)ちゃう(違う)(>_<)


親の生き方が子に映るその機微が、なかなか思うに任せないのは、
重々承知している。
それでも、こういう作品を見ながら、
自分の父が祖父を見ながら生きてきた人生や、
その父を見ながら今まできた自分の人生を、顧みてしまう。
涙は出ないけど、ちょっと哀しいため息をつきながら、
ケビン・クラインに話し掛けそうになる。


親から子へ伝わるのは、なんなんでしょう?
絆や理解だと言いきってしまえない。
そこには、誤解も有るだろうし、どうしたって伝わらないものもあるはず。
その上で、子が受け取るものへの親の力量が問われているとしたら、
これは、本当に重い課題です。


自分達の人生から、子が一人の人間として何某かを汲み取ろうとしている。
その時の親の姿を見続けた、二時間余でした。

2002.9.15 記
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ジャスティス


第二次世界大戦末、1944年12月、
ドイツ軍の捕虜収容所が舞台。
収容所で、捕虜同士の殺し合いがあり、
捕虜達によって開かれる軍法会議の行方は…。


冒頭、寒さの表現から、カメラ良し!


捕虜収容所に入ってからのシーンで、ビリー・ワイルダーの傑作を思い出すも、
こちらのシチュエーションの方が、手が込んでいます。


事件が起こり、話が展開し出してからの流れが良く、
ぐーっと、引き込まれっぱなしで最後まで連れて行ってくれました。


話そのものに納得しきれるかは、人それぞれですが…。



後で、調べると、監督は、「真実の行方」のグレゴリー・ホブリットさん。
「真実の行方」も、試写会で見たので、この縁と言うか運の強さで見られたみたい。(笑)
エドワード・ノートンと衝撃の出会いをしたこの作品を思い起こせば、
この監督さん、手堅いタイプで、くせを感じさせません。


そして、原作がジョン・カッツェンバック。
サスペンスを得意とするミステリー作家で、
映画ファンは「理由」を思い出すかも。
「ジャスティス」は、ドキュメンタリータッチの話ですが、
話運びは、手の込んだミステリーです。
2002.9.12 記
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きれいなおかあさん


ピュアな母子のお話で、
珠玉の作品と言える出来上がりです。


子どもが聴覚障害を持っている事で、
暮らしの中の出来事や心のやりとりが、
数多くの他のドラマと違ったものになっています。


聞こえないが為に、
要領よくやるとか、ごまかすとか、いい加減にすます、
といった事が殆どありません。


又、伝わらないもどかしさで、
登場人物たちの伝えたいという気持ちや、
言葉にならない気持ちが、
いや増し、より強く表現されています。


聴覚障害者の一人として、殆ど違和感なく見終える事が出来ましたが、
それ以上に、こういう風に表現したら、
聞こえないことの大変さなどが、
見る人の多くにスーっと入って行けるんだな、と感嘆したくらい、
脚本が秀でています。


聞こえないのは誰の所為でもない。
聞こえないと、伝える事がこんなにも難しい。
聞こえない、ただそれだけで、取り残されてゆく。
「花」一つ、表現できるだけで、世界が広がる。
そして、聞こえなくても伝わる心がある。
2002.9.4 記
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白い船


日本海に面した小さな小学校で、
6年生になる男の子が、沖に白い船を発見して、
このドラマは始まります。


見えるか見えない船影に、目を凝らす少年の一途さを中心に、
彼を見守る先生、家族、町の人たちの心象が、
なつかしい風景の中で描かれて、
見る人をその世界に引き込む。


映画だけでは満足できずに現地へ訪れた人を、迎えたガイド記が載っている、
ロケ地MAP付パンフレットをロビーで手にした私もそう。


塩津は未だ見ぬ土地ですが、出雲大社へ行った時に、
松江を始め、一畑電車が走る風景も見ました。
そのなつかしさだけでなく、
自身の生まれ故郷を連想させるなつかしさも感じたのです。
自分のふるさとを、この映画に負けないくらい素敵に撮って残しておきたいと思う。


白い船がフェリーであることを知った子ども達と、
フェリーの船長との交流が始まり、互いに惹かれる。
それを見守る先生・親達が何とかしてやりたくでもなかなか出来ないうちに、
思い余った子ども達が、自分達だけで少しでもフェリーに近づこうと、
勝手に船を出します。
この後は、どうぞ作品でご覧ください。


あまりにも人がよく、のんびりした先生方に、
アイデンティティを捜し求めている若い女教師…。
最初戸惑った私がすれているのかな?と思う。(笑)


そんな大人たちより、子どもの方が良く描けているように見受けました。
ねだって我がままを言わず、自分ができる事で取り組む心意気にしびれたのは、日々子育てに悪戦苦闘している私ならでは?(笑)
それから、勝手な行動に出て迷惑をかけた子ども達を迎えた親達の暖かさの向うに、海の厳しさが透けていたのは、
とても優れた演出だと思い、その巧さに何度も頷いてしまった。


メジャーな作品がどうしたって敵わない、
地方発信のマイナーな作品の良さが魅力一杯の作品で、
もっと作られてしかるべき作品が星屑のようにあるんだろうな〜と、
見終えて思う。

2002.8.25記
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ウインドトーカーズ

 

ジョン・ウー監督、
ニコラス・ケイジ、クリスチャン・スレーター、他出演、
ということで、ハリウッドのメジャーな作品ですが、
一味違います。

1944年サイパンにおける激戦が舞台。

太平洋戦争で暗号が果たした役割について
真珠湾攻撃やミッドウェイ海戦、
それから山本五十六元帥撃墜などを通して、知られています。

ですが、ナバホ族の言葉が使われた事については、意外と知られていません。
事の性質上、公にされたのが遅かったことが一番大きい原因だと思いますが、
なにより、ナバホ族について、知られる事が少ない所為もあるでしょう。

ナバホ族については、トニイ・ヒラーマンの作品で、馴染んでいたし、
彼らの言葉が米軍で使用されていた事は、サイモン・シンの「暗号解読」で、知っていたので、
大いに楽しみにして見始めました。
しかし、間もなくとんでもない事を思い知らされる。
ナバホ族の兵士が最前線で活躍した事も然りながら、
彼らに一人米軍上官が付き添い、
いざとなれば暗号を守る為、ナバホの兵士を殺さねばならない…!

ニコラス・ケイジ、クリスチャン・スレーターが付き添ったナバホの兵士二人に直ぐ感情移入してしまい、手に汗を握り、涙してしまいました。

それから、戦場がサイパンなものですから、
出てくる日本兵士、飛び交う日本語などが、
強烈なディティールになっており、
自分達の祖父母に当たる兵士達が敵ですので、
見ててなんとも言えない気分にさせられる。

展開される映像の随所で、あっ、ジョン・ウーさんの作品だったと、
思い出させるほど、この監督さんのタッチがよく出ていますが、
総じて、図らずも新境地を開いたジョン・ウー作品となったのではないでしょうか?

2002.8.8 記
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ノー・マンズ・ランド

 

「ノー・マンズ・ランド」は、ボスニアとセルビアの中間地帯を指し、
そこで1993年に起こりえた状況の物語です。

互いの知人を共有する敵同士の間に交わされる、親しみや憎しみを、
戦争国の間で無力な国連防護軍の有り様を、
報道するマスコミの姿勢を、
明確に活写しながら、
ユーモアや皮肉を込めた台詞のやりとりで、
最後までひきつける語り口が、格段に優れています。

いろいろな感情を観る人に起こさせながら、物語の終局へ巧みに導く脚本から、
人間を見る目の豊かさを感じました。
一人一人の登場人物の書き込みもきちんとしていて、
観る人の興を覚ませない俳優達の演技も手堅い。

戦争映画作品としてのメッセージは、
戦闘シーンの多い映画以上に、
豊富に伝え得ているのではないでしょうか?

冷戦後、各地で民族戦争が起こり、
国連軍が参与し、それらの状況がテレビなどで報道されている
今日性を持ちながら、
今後いつまでも見られ続けられるであろう普遍性をも併せ持っていると思う。

最後の兵士の姿を通して伝わる
我々は一体何をやっているのか?
戦争とはこういうものである!
という主張の強さ・重さは、
「ジョニーは戦場へ行った」に勝るとも劣らないでしょう。

戦争が始まってからでは、遅い。

2002.8.6 記
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ハッシュ

 

ゲイの青年二人の間に、片方の子を産みたいと女性が割り込んで繰り広げられる日常のお話です。

この設定のどこが日常?って、つっこみ返されそうですが、(笑)
言葉にならない、心の揺れを描き、
此処彼処にどこにでもある感情がくっきりと浮き上がっているので、
あえてこの様な書き方をしました。

いろいろとっつきにくい出だしですが、
登場人物たちがいろいろな形で絡んでいくのに付き合っているうち、
あら不思議!、だんだん共感が持ててきました。
ゲイも悪くないというほどまでは、いきませんが、(笑)
涙が出るほど笑えたり、もらい泣きしたり、
虚しくなったり、苛立ったり。

人それぞれの思い込みを退いて眺める時の
人生に対する不可解さと切なさも伝わってきます。

人には、はっきりとつっこめても
突っ込まれる側としては、割り切れず、
自分の心をも持て余してしまうあたりが、
ストレートに伝わってくる田辺の演技で、
人の心の複雑さや広さや、豊かさを思う。

様々な見方ができる作品ですが、
言葉に出来ない思いを抱いて、映画館(シネマ・クレールね)を後にした時、
きっとあなたは、入るときよりやさしい人になっていると思います。

映画を見ながら、この作品感想はまとまらんな、と思い、
ちょっと観方を変えました。
一つ一つの場面、シーンを、短編小説のように楽しみました。
そうすると、これは映画代が安過ぎるくらいのいい映像作品です。
長回し等もありましたが、脇役にも力が込められているようで、
台本も、キャスティングも素敵なこの作品の世界が
隅々まで楽しめる事、請合います!

題名は、料理の「ハッシュド・ビーフ」と重なり、
人生はごった煮のようで、あらゆることが起こりうるという意味が込められているそうです。

2002.7.29 記
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バーバー

 

コーエン兄弟による9本目の作品で、
1949年の米西海岸を舞台にした、全編モノクローム映画。
 

義兄の経営する床屋で働く主人公エドは、
ある日客に来たセールスマンの話にのり、
その金策に、恐喝をする。
そこから、主人公の人生は思いも寄らぬ方へどんどん展開していきます。
コーエン作品の主調は、相変わらず健在で、旨みを増している。

それでいて、今回の作品も、
これまでとは違う仕上がりになっていました。

1949年という時代の、
床屋という市井の暮らしに大きく踏み込んでいます。
その結果、主人公の心の襞への入り方が深く、
今までに見たコーエン作品の主人公で、一番身近に感じられました。

可笑しい味もあるのですが、悲哀の方が濃厚です。
時代との対照も際立たせる巧みさには、見終えた後でアッと言わされました。

 自動車が飛ぶシーンは、予告編であったので、
これを言ってもネタバレにはならないでしょう。(笑)

このシーンの前がちょっとだれ気味ですが、
前半は、徹底したリアリズム手法に則り、この作品の世界へグーっとひきつけ、
後半は、コーエン兄弟お得意の展開を繰り広げる構成になっています。

主人公の無口が、至る所、キーになっており、
モノクロの画調や、クラッシックな音響と相まって、
展開の意外性に説得力を加えている。


コーエン作品の展開振りを、私はコーエン節と名付けているのですが、(笑)
普通ならやり過ぎで途中で覚めるところを、ぐいぐい引っ張ってくれる。
この鮮やかさには、毎回拍手喝采。
それでいて、作品毎に、趣向を凝らし、味付けを変え、
どこまでもコーエン作品ながら、どれも違う仕上げに収めている。

私にとって、現在の映画作家で一番裏切られる事のない作者達です。
主人公を演じたビリー・ボブ・ソーントンが、脚本を読む前から出演を快諾したという話は、
我が意を得たりと大いに頷かされました。

人にとっていい事には、悪いことが必ず伴う。
これは、自分が日常よく思うことですが、
コーエン兄弟にかかると、
喜びには哀しみや可笑しい味が伴う事、とても説得力があります。
人の愚かさや、人生の意外さを加味すれば、
人生には汲み尽くせないモノが満ち満ちている。
なにげない日常の此処彼処に、数限りない物語の入り口があるって、思えません?

 制作と監督とを分担しているコーエン兄弟は、私よりちょっと若い世代。
これからも、彼らの作品を待ち望み、楽しめるかと思うだけで、
とても幸せな気分になれます。

 

2002.7.25 記
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ピンポン

 

あの窪塚洋介が、
「ランドリー」に次ぐ作品として、
いそいそと見にお出かけの方、多いでしょう。

しかし、
この作品での窪塚洋介君、やばいぞ!

ARATAやサム・リーらに、食われるー〜ぅ。

これが、この映画の第一印象でした。

高校の卓球地区予選に出場する男子青年諸君が、
それぞれの卓球に対するこだわりを引っさげて、合間見えます。
幼なじみ、異国からの挑戦者、ライバル校グルミ、等々、
立場は違っても、
主演者に大きな顔をさせじと、演技のバトルが素晴らしい。

ええ、卓球ではなく演技のバトルです。(笑)

若き男たちのドラマで、
くれぐれも夏木マリさんを、目当てにしないように。
最初、久本かと思ったくらい、色気無し、
と言っても、夏木さん笑って黙認するはず。(笑)

個人的に、ARATAの存在感が強く感じられ、
窪塚洋介を食っていると思う。
(脚本のせいもあるか?)

見終えて、このストーリー・テーマ、
ちょっと子どもっぽい、と思わせるも、
見ている最中は、大いに楽しみました。

CGを適時、十二分に活かしたキャメラも、
音楽も、
メリハリを持たせ、
ノリの良さをここぞというところで、
見事に開花させている。

この出演者達、この監督、このキャメラ、
今後に期待を持たせ、応援せずにはいられない。

この原作・脚本には、もったいない腕達者たち、と見受けました。

この映画の上映情報を補記してみました。

2002.7.3 記
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(字幕版を見ての感想)


〉このストーリー・テーマ、ちょっと子どもっぽい
と、書いたのは誰でしょう?(笑)
前言訂正します。


ヒーローは、
ヒーローを取り巻くものにとってなんだろう?


青年たちにとって切実なテーマが、この映画のモチーフになっている。
ペコが一応主人公で、子どもの頃のヒーローが、再生する物語でもあるわけですが、
これよりも印象に残るのは、ペコを取り巻く青春群像。
スマイル、チャイナ、ドラゴン、アクマらが、
ペコのヒーロー再生に伴い、それぞれの人生を取り戻す物語として、
私はこの作品を強く推したい。


子どもの頃卓球を教えてもらったスマイルは、人生に覚めてしまっている。
中国からスカウトされるも、実は落ちこぼれエリートの、チャイナ。
ひたすらストイックに自分を制し卓球にのめり込んでいるドラゴン。
ペコ・スマイルらと共に小さい頃から努力精進してきた凡人のアクマ。


卓球の楽しみを取り戻すスマイル、
自分を受け入れたチャイナ、
卓球することの喜びに出会えたドラゴン、
自虐的なもがきから脱する事ができたアクマらを通して、
見る人それぞれに、人生の綾を感じさせてくれる。


日頃スクリーンではお目にかかれない腕達者たちが十分に表現してくれた、いい脚本です。(^^ゞ
この年代より上でも下でもずれてしまう、青春の切り口が鮮明。


自分の友人の誰彼を思い浮かべ、
自分にとってのヒーローである彼らに感謝する。
もっと、なにかに夢中になって誰かのヒーローでありたかったな…。(笑)


この映画の最大の魅力は、
私の一人よがりの見解に止まらず、
もっと多くの広い魅力を併せ持っていることです。


映画全編を通して感じられるリズム感がグッド。
細かいディティールで、
遊びごころや、様々な情感を、含ませた台詞の巧さに膝を打つ。
(例えば、ブルースプリングフィールドの曲名に引っ掛けたものや、
随所にある台詞の掛け合わせ等々)
他にも、見る人ぞれぞれにこだわりを促す要素があり、
リピーターが多そうなのに、納得!
あなた、もう一度見たいでしょう?(笑)
2002.9.8 記




 

とらばいゆ

 

このタイトルは、
フランス語で、仕事、職業を意味します。

将棋の棋士である姉妹とそれぞれのつれあいが主人公です。

共働きの夫婦・恋人が、それぞれの生き方を、
お互いに、貫こう、理解しよう、と手探りし、
見つけていくストーリーです。

仕事をもつ共働きの夫婦の会話というより、やりとりが、
自分も共働きなので身につまされました。(笑)

身近で、自然な作風ですが、
棋士という特殊な職業をいかして、
この作品のテーマを極めて巧く表現する事に成功しています。

私も、大学時代に囲碁に凝りまして、
プロ棋士の世界は、どちらかと言えば馴染みがある方。
そういう意味で楽しみにしたのですが、
楽しみは、半分叶い、半分裏切られました。
裏切られても、うれしい気分が残る。

脚本の巧さに、脱帽です。
若い大人の心のゆれを描いた秀作で、
結婚前後の方々に、特にお勧めします。

瀬戸朝香さん、いいですよー!
他の三人の主演者も、地味ながら、
いい味を出していました。

脚本とセットとの妙を、堪能し、
こういう作品があるんだよ!って、
強く紹介したい。
コミカルさも切なさもあり、
途中、なんでか涙が滲んで、
我ながら、ビックリしました。

見終えて、
夫婦って、結婚してなるものではなく、
ああやって、いろいろあって夫婦になっていくもんだな〜、
と、しんみり思いました。

2002.6.30 記
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活きる

 

チャン・イーモウさんによる、1994年の作品。
予告や原作を読んだ方の書き込みで、
見る前から辛い内容と分かっているけれど、
そこは、チャン・イーモウさんの作品ならと思い直し、
観に出かけました。

40年代の戦争直前の中国の街角、
裕福な家の家族持ち息子がサイコロの賭けに嵌っているところから、
物語が始まり、
50年代、60年代へと、
時代の波に翻弄されながらも生きていく家族のお話です。

次々と思いがけない事がふりかかる主人公達と共に、
時代を生きていく感じにさせられ、
一緒に泣いたり、笑ったり、腹を立てたり、
唖然とさせられたり、切なくなったりしてしまう。

筋書きを書いても、この映画の主旨は語れません。

次々と起こる事に、主人公達、とりわけ夫婦が、
どんな気持ちで、どのように対処していくか。
ここのところで、この映画はその志を、
俳優達の体と、巧みな演出で示してくれています。
いろんな人の生き方や、政治や、伝統等、
様々なディティールに、
こまかくメッセージを織り込んでもいます。

決して投げやりにならず、感情に押しつぶされず、
知恵を出し、助け合い、人への思いやりを忘れず、
辛抱強く生き抜いていく姿を見ていると、
なぜ、励まされるんでしょうね?

生きることはつらいけれど、
そんなに虚しくも無いし、しょうがない事でもない。
どんなことがあっても、生きていこう。
多くを望まなければ、人生捨てたもんじゃない。
今更でも、何度でも、そう思いながら映画館を後にしました。

2002.6.17 記
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KT

 

日本映画で、これほどのサスペンスあふれる迫真の現代政治ドラマを見られるとは、
思いも寄りませんでした。

1973年8月8日に、来日中の金大中・元韓国大統領候補が都内のホテルから拉致され、
5日後、ソウル市内で発見されました。
当時大学生であった私は、同時代を生きていたものの、
本当は何があったのか、さっぱり見当がつかず、
いろいろな憶測記事を読むうちに、そのまま流されて今日にいたっています。
(映画の終わり近くに、金大中さんが教会の十字架を見上げるシーンがあり、
当時のアメリカにおけるキリスト教信者有力者の力添えがあった説も思い出す)

なぜ金大中さんが殺されずにすんだのか?
「政治的妥協」の背後に隠されていた、
「真実」は、やはり知りたい!

金大中さんが大統領であり、
日韓ワールドカップが開催されている今でなければ、
スムーズに公開されないであろうことは、政治素人の私にもわかりますが、
それにしても、こんなに早くこの様な作品を映画で観られるとは、驚く他ありません。

映画を観ている内から鳥肌が立ってきましたが、
見終えた後も、街角を通り抜けながら、いろんな思いに圧倒されました。

主演の金車雲の役を演じたキム・ガブスさんを始め、
端役に至るまでの多くの方々の、演技も、素晴らしいの一言に尽きます。
(演技ド素人の私が申しても説得力ない事、分かっていても言い切ってしまう(笑))

話の展開も見事で、
多くの人物がそれぞれの思惑で動き、
誰もが思うに任せない状況で
あれよあれよと事態が急展開してゆく。
こんなに巧い製作者たちがどうしてもっと活躍できないんだ!
と、思わずうめきそうになる…。

筒井道隆さん演じる在日韓国青年の存在もきちっと活きている。

 

帰ってからも落ち着かず、
しばらくネットでKTめぐり。(笑)

原作は新潮文庫に入っている、中薗英助さんの『拉致』。
制作は、李鳳宇さんで、この方が手がけた作品の内、
『のど自慢』『シュリ』『JSA』は、既に見ていて、なるほどと感服。

監督は阪本順治さんで、『顔』で名前しか知りません…。(^^ゞ

音楽は、映画のクレジットで分かった布袋寅泰さんで、うまいな〜ぁ!

日韓を代表するスタッフが総結集です。

両国でのロケを敢行し、国際的なスケールで描かれた現代日本映画。
こういう志の高い作品、是非ご覧ください。

映画館では、相応の年配の方がご一緒でしたが、
若い人にも見て欲しい。

自分が生きている今を、歴史認識しながら生きることの重みが、
ここに描かれているのです。

考え方・立場は異なっていても、
自分が、歴史の中でどういう位置に居り、
振舞い一つ一つの積み重ねがどう関わり得るかを問うのは、確かにしんどい。

でもね、そういうささやかな積み重ねがあってこそ、未来は開ける。
そうでなければ、流されるだけ…。
顧みて、流されることの多かった自分にこんな事書く資格はないけれど、
こう書きたい気持ちの幾分かでも汲んでいただけたら望外の喜びです。

2002.6.8 記





 

サウンド・オブ・サイレンス

 

原題「Don't say Word」の方が、映画の意を良く表わしています。

久々に、誰彼に勧めたい秀作。
先週の「パニック・ルーム」も良かったのですが、
この作品を見た後では、ちょっとマニアックに見えてしまうほど、
凝っていましたね。

こちらの方が、ど真ん中の剛速球!という感じです。 

プロローグは、銀行強盗。
その約10年後の感謝祭の前日から、本編が始まります。
腕利きの精神科医ダグラスに診療の依頼が来る。
少女に会って職業柄非常に興味をそそられる。
その夜、川に水死体が浮かぶ。
翌朝、ダグラスの娘が誘拐され、彼ら一家は監視されていた。
そして、少女から番号を聞き出せと、脅迫される。

 この作品は、プロットが入り組んで、構成され展開されています。
巧い!と、何度膝を叩いたことか。
昨年の「トラフィック」に勝とも劣らぬ構成力です。
ですから、登場人物が多くても分かりやすいし、
意外な話の絡みも、納得。
ミステリーとサスペンスとが、旨くブレンドされて、
作品の展開を十二分に堪能できます。

そうして、キャスティングが素晴らしい!
ダグラスが主人公だけど、後は横一直線の優れた脇役陣が周りを固めて、
本当に手堅い出来上がりです。

この作品を見ると、監督や脚本家や俳優等よりも、
製作者の力がなんと大きいことかと思い知らされる。

 この映画を見終えたら、多分あなたはパンフレットを買う。
製作者から、一人一人の出演者に至るまで、プロフィールを見つめ、
今まで見ていない作品を見るべくレンタル屋さんへ走るのではないでしょうか?(笑)

 

 2002.5.15 記
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パニック・ルーム

 

久々のジョディー・フォスター主演で、
至極、真っ当な,犯罪サスペンスものでした。
脚本がきっちりしているし、カメラもしっかり腰が据わっている。
こういう作品,大好きです!

パニック・ルームは、緊急避難室と言ったらいいでしょう。
ジョディー母娘の新居には、パニック・ルームがあった。
引っ越したその夜、押し入りが入る。
侵入に気づいた母娘は、パニック・ルームに逃げ込む。
さあ、ここからパニック・ルームを廻る攻防が始まるのですが、
犯人達が望むものは?
パニック・ルームに閉じこもった母娘は、この窮地を如何にしのぐか?
なんと,犯人の一人は、パニック・ルームを熟知している!
娘の持病が…。

まだまだ,話のネタはあります!
アッという間の二時間弱でした。
これは,お値打ちものです。
帰りしなにお金を置きたいほど(笑)。
シャンプーなんぞも貰って、ひたすら頭を下げて退館しました。

2002.5.10 記
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少林サッカー

 

スポーツ・アクションとナンセンス・コメディとが
ミックスされた作品でした。

少林拳の身体能力をサッカーで生かしたらどうなるか?
これを軽いノリで発想して、楽しもうという作品ですから、
それなりの期待で見ないと悲惨です。(笑)
 

仕掛けられた八百長にのって、怪我を負い、身を持ち崩した、
元サッカー選手と、
少林拳を広めたい貧乏青年とが、
出会ったところから、話が進みます。

少林拳の身体から発揮されたプレーに惚れ込んだ元選手は、
青年にサッカーの全国大会へ出場するよう話を持ちかけます。
少林拳を広めたい青年の意にも添うので、
早速仲間に声をかける。
集まった変ちくりんなメンバーに、
元選手は、サッカーのイロハから教え,練習試合に臨む。
そこで、このメンバーに、かっての輝きが戻り、チームは一新。

膨らむ期待を胸に、賞金と名誉とを求め、
全国大会へ向かいます。

 

アクション漫画に、本気で対抗している気合を感じました。(笑)

しかし、ストーリーを如何につなげるか?
ここが見る人のノリを覚まさずに期待を盛り上げていく勝負所!
随分、荒波があります。
しらけてため息をついてしまうほどに,しょうもない所もあれば、
思わず腹を抱えて笑い転げてしまうところもある。

はっきり言って、今の料金で見るのはつらい。
レンタル料金ぐらいなら、家族連れで見に行って損はありません。
小中学生なら誘い合ってリピートしてくれるかも?(笑)

強いて言えば、ヘタなB級作品を上回る、C級作品といったところでしょうか?
もう少しつっこんで言えば、後味の悪いA級作品より、いいかもしれません。

2002.4.30 記
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キューティ・ブロンド

 

イヤー、楽しい映画です!
ファッションに凝ったキュートなブロンドの女性が主人公。

もうお遊びは止めと彼女を振った彼を追って、
エミーは、ハーバード大学へ向かう。
かの名門校にバッチリ決めた彼女が登場したところから、
笑いは、ノンストップです。

見ているうちにお話は次々と先が見え見えだけど、
それでも、細かいところ、丁寧に作って、
あきずに最後まで引っ張ってくれます。

いろんなステロタイプをどんどん破っていく痛快さと、
のりの良さが、巧み。

ハーバードといえば、法曹界の登竜門。
弁護士でもある教授のアシスタントとして裁判に臨むと、
殺人事件の被告は、エミーの先輩。
コチコチのエリート弁護士を向うにまわしての、
エミーの活躍が一番の見所でしょう。

女性の皆さん、これはあなた方への応援作でもあります。
いやな事があったり、暮らしがつまらない時に、
この映画を見て、うっぷんを晴らし、気分転換してみよう。

元気の出る映画ですよ。
この映画の主役の女の子、見ているうちにだんだん好きになっていきました。

2002.4.23 記
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陽だまりのグランド

 

バスケット賭博で負けが込んだキアヌは、
証券会社の友人にお金を借りようとしましたが、
週給で少年野球のコーチを頼まれます。
治安の悪い地区に住む黒人の子供たちが相手です。
賭博の金のことで頭がいっぱいのキアヌは、
コーチに身が入りません。
でも、子供たちはキアヌが気に入ります。
少しづつ、子供たちのために動き回っている内に、
彼の心は子供たちに寄り添うようになり、
バーでコーチであることをからかわれ、怒る程になります。
賭けの借金を、他の賭けで勝ち、支払うことが出来た時、
子供たちの元を去ろうとしましたが、出来ません。
それどころか、賭博から足を洗い、
学校の指導員になったり、
子供たちを大リーグのナイターに連れて行ったりします。
そうして、リトル・リーグの選手権出場がかかった試合に臨みます。
(この後は、作品をご覧になって下さい)
見ているうちに、
映画「ミュージック・オブ・ハート」を思い出しました。
どちらも治安の悪い地区で、
母親達は条件付で子どものやりたいことをさせる。
こちらの方が、
「ミュージック・オブ・ハート」で端折っていた、
子どもの劣悪な環境を細かく描いています。
家の周辺や中の様子、子供たちの不安や被害など。
そして、子どもと接している内に、
育てている大人(キアヌ)が子どもに育てられるのも、一緒。
「ミュージック・オブ・ハート」には、最後にカーネギーホールという、
光り輝く桧舞台があるのですが、
こちらは、そこだけが周りよりちょっと暖かい「陽だまりのグランド」があるだけ。

2002.4.17 記
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耳に残るは君の歌声


ロシアの寒村に住む父・娘がいる。
ある夜、村人が集まりアメリカへ行く話をしている。
眠れない娘が覗くと父が寄り添い、子守唄を歌う。
間もなく父は、村を出た。
その後、村人が襲われ、
娘は若い青年二人に連れられ難を逃れるも、
やがて青年達とも離れ離れになる。
娘がたどり着いたところはイギリス。
そこで養女に迎えられるも、彼女の心休まる居場所はなかった。
学校でジプシー一行を見かけ、心引かれる。
娘は成長し、養父母の下を出、芸一座に入り、ケイトに出会う。
二人は、パリで暮らし始め、
そこでジプシー旅芸人一行の一人ディップに出会います。
ここからが、映画の主要部分。
ケイトとともに暮らしながら、自分の生き方を探る内に、
ディップに心惹かれ恋をする主人公。
時は、第二次世界大戦前夜。
フランス人、イタリア人、イギリス人、ジプシー、
ドイツ人、ユダヤ人、アメリカ人、東欧人と、多彩な人たちにより、
繰り広げられる時代と生き方との間で、
主人公の娘は、自己を確立してゆくも、
揺れ動く気持ちの中で父を見失いそうになる。
反目しながらも支えあうケイトと、恋するディップとが、
図らずも、共に、主人公をアメリカへと押し出します。
そうして、やっと巡り会った父の枕元で、
娘は、父が最後に歌ってくれた子守唄を歌う…。
この頃は、派手な画像や賑やかな音楽が幅を利かせています。
でも、この作品ははっきりとそういう風潮に背を向けたもの。
随所に暗示で端折った展開がありますが、
あくまでも大事なのは、登場人物たちの心象なので、
そういう人と人とのふれあい・つながりをじっくりと描き出しています。
そして、音楽も又、多彩さを保ちながら、深く静かな曲が選ばれております。
「スリーピー・ホロウ」のあの子が、こんなに成長したんだ…。
ケイトさん、こんなに大柄だったっけ?
ディップの涙を初めて見たような気がする。
ストーリーに負けじと、俳優達も力演。
俳優一人一人が、脇役に至るまでこの映画をしっかり支えて、
久々に奥まで細やかな作品を見た気がします。
音楽は聞き慣れないものの、人の心に馴染んで揺さぶられるものがあります。
この映画を見終えた後、静かで平安な時間がとてもいとおしくて、
自分の人生で大事なものを見落としてはいないかと振り返させられる。
ただ幸せなだけでは、人は幸せになれないのでしょうか?
「アンジェラの灰」でも、惨めで貧しい暮らしを見せつけられ、
省みて、自分の幸せを痛感したのを思い出しました。
これらの作品の主人公達がくれた、深い充実した生きている実感を、忘れたくないと思う。

2002.3.10 記
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ターン

 

原作は、北村薫さんが書かれた同じ題名の、
<時と人>三部作第二作で、1997年に新潮社から出たものです。
交通事故に遭った主人公森真希が気づいたのは、
彼女だけしかいない世界。
周りの景色が、事故に遭った時のままで、
事故から一日前の時間からちょうど一日経つと、
再び同じ一日の始まりに戻るという状況になっている。
但し、真希の記憶は戻らずに繋がる。
そんな世界で、151回同じ日が繰り返された時に、電話が鳴る。
真希は、事故前の世界へ戻れるのでしょうか?
本は、一貫して、電話の相手、泉の、独り言を中心に書かれています。
このスタイルを引き摺って、映画でも真希に独り言を言わせていますが、
それは、ちょっと違うんじゃない、と思う。
原作に引き摺られたのは、それくらいで、
後は、きちっと原作に対峙して、
「ターン」のもう一つのバージョンとして成り立っています。
原作の真希さんに思い入れのある人には、
映画のストーリーでちょっと、イメージのずれを感じて、
ガクッとくるかもしれない。(笑)
でも、原作より、いいところもありました。
真希さんがしているメゾチントの実際の作業が、見てわかる事。
主人公が女性ですから、着ている服などでも、
真希の世界と泉の世界との対比が否でも目に映る。
本では、ここまでのインパクはない。
更に、真希にプールで泳がせたりしてもいます。
そうして、最後に、
原作での雨を、雪に変えていて、
これは、思わず膝を叩きましたね!
映画ばかりを誉めてきましたが、
原作の良さも残っています。
それは、最後の最後に起こる真希の心境の変化が、
映画ではさらっと流されている感じで、
今ひとつハッキリしにくいのに、
本では、そこを、読み返すことが出来ます。
原作を読んだ人も読んでない人もそれぞれ楽しめる出来上がりと、
私は思いました。

2002.2.23 記
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忘れられぬ人々

 

戦争の悪夢にうなされる元やくざの木島、
ひょうきんなところのある伊藤、
居酒屋を営む平八の、
暮らしの中にさざなみが立つところから話が進み出します。
木島が持つハーモニカは、戦場で最後を見とった戦友のものです。
その孫娘が、彼に会いたいという事で、
久しぶりに木島は戦友会へ出席しました。
その会場は、彼の戦友平八が営む居酒屋です。
平八の女房は、入院しているのですが、
先の孫娘というのが、その病院で看護婦をしています。
彼女と同居している若い男が新しい会社に入社しますが、
この会社が曲者で,
伊藤の一目惚れした戦争未亡人や、
余命幾ばくもない女房の最後を見据える平八を狙います。
そうして、思いも寄らぬ結末へなだれ込みます。

 

ひとり暮らしの木島に近所の少年がなつく。
やもめ暮らしの伊藤が、戦争未亡人に一目惚れをする。
憎まれ口を叩きながらもお互い愛し合う連れあいのいる平八は、病院へ見舞いに行く。
それぞれのささやかで平安な暮らしが、前半を占めて、
人との交情を愛しむ気持ちが伝わる場面が、見る人の心を和ませてくれます。
人の生活の中でかけがえのないものを描いている。

 

しかし、そんな彼らの暮らしに、人の心を食い物にする企業が、食い込んでくる。
彼らが戦ったあの戦争とはいったい何だったんだろうかという、
問いが、ここにはある。
逆に言えば、
あの戦争で失われた命を受け継いで、後の我々は、何をしているのか、
という問いでもあります。
この映画を見ているうちに、しばらく前に読んだ本を思い出しました。
どこでも図書館で紹介している「DUTY[デューティ]」です。
時を越え、世代を渡って受け継がれるべき人の情の大切さが、
ここでも描かれているのでは、ないでしょうか?
いろんな事が次々と立て続けに起きて慌しい日々を送る現代人。
その暮らしを長いスタンスで見直すと、おかしな事になっている。
去年起きた米国同時多発テロについて、ノーム・チョムスキーが重い問いかけを、書いています。
我々に欠けているのは、歴史意識といえるものだというメッセージです。
この映画には、そういうメッセージも含まれていて、
意外に中身が深く、豊かなものだと、受け取りました。
    2002.2.3 記

 


おいしい生活


ウッディ・アレンの最新作です。
本編前に、彼からのメッセージがありました。
あのテロ事件に関して、見舞いの礼などを述べています。
(このシーンは、作品をビデオにする時、どうなるのかな?)
饒舌な台詞と、粋な音楽、
そして手軽に作っているような軽いタッチの画面、
どれをとっても彼らしい作品です。
抜けたところのあるこそ泥と、
元ストリップダンサーである毒舌家の妻とが、
主人公です。
こそ泥の仲間達で銀行の金を狙い、
銀行から一軒置いた隣の、売りに出ている家を手に入れます。
通りに面した店でクッキーを売り、
その地下室から穴を掘って銀行の金を目指す段取りです。
しかし、意外や意外、クッキーがバカ受けして、商売繁盛。
こちらで、夫婦はお金持ちになります。
しかし、この新しい生活に二人とも馴染めません。
夫は、降りて、女房の親戚の女と共に、暮らし、
こそ泥へと向かいます。
女房は、成金趣味から脱するべく努力を始めます。
この時の、パートナー役を、ヒュー・グラントが演じています。
ウッディ・アレンの映画に彼が出てくるなんて…。
夫サイドでも、妻サイドでも、
「マイフェアレディ」からのエキスをふりかけて、
大いに笑わせてくれます。
そして、妻が最後にこそ泥をして、鮮やかな結末!
おいしい生活を手にしたはずの夫婦は、幸せにならず、
元の貧しさに帰って、おいしい思いをする、
と、いった感じです。
映画紹介のキャッチフレーズ、
NY式夫婦漫才!
は、よく言い得てます。
私は大いに楽しみましたが、
大人の茶目っ気たっぷりのコメディという触れ込みなので、
若い人にはどうかな?

2002.1.25 記            




 

アメリ

 

これほど、存分に楽しめたフランス映画は、ひさしぶり。
「アメリ」は、とてもおもしろい!
げらげら笑えて、心が暖かくなります。
神経質な母と、内向的な父との間に生まれ育った女の子が、アメリ。
想像力が深く、人と付き合うのは苦手なのだけど、
人に働きかけるのが凄く上手い!
いろんな人に興味を持つアメリは、思い立ったら直ぐに行動に移します。
嫌いな人には、意地悪をし、
行き詰まった人には、道を開いてあげます。
そんな暮らしの中で、一人の青年に出会って、
アメリなりの仕方でアプローチしていきます。
後は、やはり,見てのお楽しみ。(笑)
こんなにアップの顔を切れ目無いほどに見せられるのは、初めての様な気がします。
それでいて、画面は時にはスピーディーに、時にはスローに流れていく。
次々とアメリが繰り広げる仕掛けに、あ然としながらも、引っ張られます。
巧みに性格描写がされ、それを生かした展開が、見事です。
これは、英米映画の目論見が見え見えの、目的主導の作品とは全く異なった次元の作品。
人の性格が、ドラマを織り成している、の一言に尽きます。
この映画を見終えたら、
自分の性格に添って、素直に、思いっきり生きてみたい、
と誰もが痛切に思うのではないでしょうか。
もし、そうできたら、自分の人生がどのように展開されるのか?
この映画を見た後では、思ったよりも想像できて、
しばらく楽しめます。(笑)

                                                       2001.12.30 記
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冷静と情熱のあいだ

 

フィレンツェで絵画の修復士への道を歩む順正と、
ミラノの宝石店で働くあおいとの、
恋のお話です。

仕事上の事件でフィレンツェを去り、帰国した順正は、
学生時代の恋人あおいと別れるに至った経緯を知り、
彼女への思いを新たにし、深めていきます。
そして、再びフィレンツェを訪れる機会を得た順正は、
学生時代の約束を思い起こし、聖堂を訪れ、
あおいと再会します。
そこから展開される二人の愛を求めるやりとりは、
文字通りのクライマックスで、見てのお楽しみに…。

 

スクリーンで見て、良かったです。

これまでに映画で見たどのフィレンツェよりも
微細に描けているように見受けました。(行ったことが無いのですが…)
街の遠景から、横顔から、路地に至るまで、
行き交う人のたたずまいや、お店の中の雰囲気も然り。
修復士たちの仕事とそれを取り巻く雰囲気も、
陰影と、色合いとをしっくり馴染ませて撮っています。

これに見合う日本のシーンを撮るのに苦労しているように思えるぐらい。

それに、主演の竹野内豊が良かった。
「星の金貨」をカミさんが字幕版で見直している時に、横で見ていると、
どんどんうまくなって、最初と最後とでは全然別の俳優みたいだったのが、
まだ記憶に新しいのですが、
スクリーンでの彼も見応えが有りました。
これから、こちらの方で活躍して欲しい。 

勿論、ケリー・チャンや、篠原涼子、椎名桔平らも見事でした。

下手をすると、ありがちな恋の話でやっぱりと思わせられるのですが、
画面の造形と、役者の上手さと、ストーリーにおける最後の詰めとが相合わさって、
私は堪能しました。

若い時の恋には、後から振り返って、
いろいろ至らぬこともあり、又、他愛のない事もあって、
誰もが地団駄を踏む想いをするのではないでしょうか?

でも、縁というものを私は信じます。
ちょっとの事で壊れる恋もあれば、
不様なことが有りながら、続く恋もある。

その縁に、本人達の願いのこもった行動が伴って、
それぞれの恋が、それぞれの様相で実る。

この詰めが、真実さを加味して、
素敵な恋物語に、のる事が、出来ました。

恋の話が多く繰り返し語られ、
ありがち、作りすぎなどと、
すれっからしになりがちですが、
これは、素直に受けます。

帰り道、初冬のわが街を走り抜けながら、
夜景の中に自分の若き日の恋の後姿を見、
チョッと爽やかな気分になりました。(笑)

老若男女、それぞれに楽しめます。
あのポスター、私だったら、全く違った風に作りたい。


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ミュージック・オブ・ハート

 

メリル・ストリープ主演
ウェス・クレイヴン監督

 
 

実話の映画化作品です。

夫の不義で、
ロベルタは二人の息子を連れ、
実家の母の元へ帰ります。

生活の為、仕事を求め、
高校時代の友人の紹介で、
イースト・ハーレムの小学校に、
ヴァイオリン・クラスの臨時教員として、就職しました。

子どもの育つ環境としては、非情なところです。
生徒が殺されたり、親の離婚やDVの犠牲になったりします。

そんな中で、ロベルタは、様々な困難に直面するも、
自分を励まし、根気強く、真摯に、音楽教育を進め、
それが、次第に実を結び、多くの生徒が集まるようになりました。

でも、市教育委員会の予算削減で、クラス廃止の危機に陥ります。
彼女が、直ちに非営利財団を設立して行動を起こすと、
次々と、いろんな人たちの応援が連なって、話は急展開していきました。

カーネギーホールで、コンサートが開かれ、
彼女と、生徒たちと、世界的なヴァイオリニストたちとの、
見事な共演が、響き渡ります。

今は亡きアイザック・スターンさんが、
カーネギーホールで、ロベルタを迎えるシーンから始まる、
コンサートの場面は、本当にすごい!

この映画を見て直ぐに、
「陽のあたる教室」を思い出しました。
教育予算削減の為、
主人公の教える音楽クラスが無くなりました。

これは、音楽教育に関心ある多くの人たちの、思いがこもった作品です。
共演しているスターンさんも、グロリア・エステファンも、
常日頃から、音楽教育に熱心な方たちでした。

それから、
自分の子どもを含め、学校の子供達に接している内に、
次第に変わっていくロベルタの変貌も見どころの一つです。

子を育てる内に大人達が育つ、
そんな事に関心も有りますから、感銘を受けました。

この実話だけでも、大変素晴らしいドラマですが、
「スモール・ワンダーズ」という作品で、
アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされてからも、
映画製作として、さらに多くの人が参加する、ドラマを経て、
素敵な映画作品に仕上がりました。

映画製作にまつわるドラマの数々は、
オフィシャルサイトでたっぷり堪能してください。

 

 


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コレリ大尉のマンドリン

 
 

第二次世界大戦時のギリシャを舞台にした作品です。

戦下の恋物語が主であるかのようなポスターや、ジャケットの写真ですが、
恋物語としては、ちょっとノリ難いです。

ギリシャの島で、第二次世界大戦時に、
何が起き、
人々はどう死に、
いかに生き延びたのか?
という事を描いた作品として見る方が、見応えします。

風光明媚なギリシアの島での人々の暮らしが描かれた後、
戦争が始まりイタリア軍が侵入してきたところから、
物語が展開されます。

イタリア兵の中にいるマンドリンを背にした大尉がコレリ。
彼が進軍中にみそめた女性が島に住む主人公で、
既に同じギリシア人の夫がいますが、
その夫はレジスタントとなり、隠密行動で姿を消します。
女主人公とコレリ大尉とのランデブーが続いている内に、
戦況は移り、
イタリアは降伏、代わってドイツ軍が侵入してきます。

ここから、話は一気に速度を増して展開し、
意外な事件が次々と起きてゆきます。

このギリシアの島で起きた出来事をしっかりと見て下さい。
美しいギリシャの風景の中、人々の織り成す音楽や踊りそして暮らしの傍で、
対象的な事象が次々と起きるので、
平和と戦争とのコントラストが一層際立ちます。

戦時におけるギリシャ人の立場や、
そこに来たイタリア人、ドイツ人たちとの交流で、
同じヨーロッパ人と一括りにできない多様さを表現しているのは、
自然で巧みです。

とりわけ、イタリアとギリシャは直ぐ近くにあるのに、
こんなにも違うのか、と迂闊にも思い至ります。
お互い感化しあったものが全く無いのではないかとも思えるぐらい。

かっての戦争があった時、
ギリシャではこうであった、
そういうメッセージの強い作品です。

 

この作品を見ながら思い出したのは、
柳田邦男さんの「空白の天気図」です。
太平洋戦争時とその直後に、
広島ではどんな事があって、
その中を人々が、様々に死に、生きてきた様子は、
もっと多くの人に知られるべきだと思う。

あの時代を生き抜きた人々がもっとどんどん発言してくれたらと、
以前よく思っていましたが、
ボブ・グリーンが「デューク」で、
彼の父と、ティベッツについて書いているのを読んでいるうちに、
次第に自分の浅はかさを痛感しました。

あの戦争を経験した人たちが生きている内に、
大事な事を聞き出す勤めが私達に有るのです。

誰も耳を傾けないのに話すのは虚しいし、伝わる事も覚束ないけれど、
聞く耳があれば、話は生き、確かに伝わります。

 

2002.7.12 記
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JSA

 
 

JSAは、板門店の共同警備区域の事です。
そこで,発砲事件が起こり、北朝鮮側の兵士二名が殺されます。
この事件解明のために、中立国による調査が行われ、
事実を辿るのが,映画のストーリーになっています。

シュリを上回る観客動員のうたい文句に心躍らせて出向いた
ききみみずきんは,肩透かしを食らいました。
恋あり,アクションあり,何でもありの感あったシュリに比べ、
こちらは、男の世界が情感込めて描かれています。

二つに引き裂かれ対立する国の狭間で交わった男達の、
友情、緊張感,哀しみ、思いがけないめぐり合わせ等々が
畳み掛けるように、妙なる組み立てで、展開されていきます。

うれしい誤算は、ききみみずきんだけでないらしく、
半分近くの人がクレジット終了まで座っていました。

本当に、この映画の語り口は旨い。
言葉では説明できない,映画ならではの手法がいっぱいあるみたい。
トラフィックは,凄かったが、
こちらは,旨いと表現するしかない。

見てて,本当にあったことに思えます。
ここに描かれている登場人物たちの心情が、
かの国では他人事ではなく、わが事のように感じられたのではないでしょうか。

ききみみずきんも,すっかりこの映画の世界に引きずり込まれてしまいました。
あなたは,冷静に見る事が出来ますか?
サスペンスでもなく,ホラーでもなく、パニックでもないのに、
この持続する緊迫感は凄い。

これも、エネルギッシュな韓国映画の代表作品です。

 

 

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トラフィック

 
 

スティーブン・ソダーバーグ監督
(『アウト・オブ・サイト』(98年)・『エリン・ブロコビッチ』(00年)等)

映画の本編が終ると同時に、そそくさと立ち去る人の中で、
私はクレジットの最後が出るまで座り込んでしまいました。
本格的な社会派作品で、
このような作品が、アカデミー賞受賞とは意外でした。

一級の出演者が、尽くそれぞれの役に徹していて、
登場人物にリアリティを持たせ、
全編手持ちカメラのアングルで、撮影地がどんどん変わり、ドキュメンタリータッチ。
そうして、画面の場面場面で色調を変えて、
展開を分かり易くしながらも、臨場感を持たせています。
それから、編集の見事さ。
こんなに間口も奥行きもあるドラマが、二時間余りで見られたことにビックリします。
(それだけ、早く、いろいろな話が交差しているわけです)

アメリカの麻薬を取り巻く状況は、正直言って断片ばかりでよく分かりませんでしたが、
この映画で、その輪郭が見えたような気がしました。
数多ある実話をよく集め、うまく脚色しているので見ている最中に、実話と思ってしまいます。
言い方を変えれば、ここには多くの人が納得する真実がある。

最初は、話の展開が直ぐにのみ込めず、難しく感じますが、
だんだんそれぞれの登場人物が分かり出すと、一気に話が理解できます。

麻薬の動くところ、それを追いかけて刑事たちの日々の戦いがあり、
メキシコの刑事(ベニチオ・デル・トロ)と
アメリカの刑事(ドン・チードル)との視点から、話が始まります。
それから、麻薬に犯された青年男女の中の一人の父親が、
アメリカの麻薬取締最高責任者(マイケル・ダグラス)で、
彼等の家族の物語も動き出し、
更に、逮捕された麻薬売人の女房(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)も
自分の人生を守る戦いで、この物語に奥行きを作ってくれています。
乱暴に言って、この四人を主な登場人物として抑えておけば、
話の展開が分かりやすいと思います。
しかし、これらの人物達はこの作品の中でそれぞれの世界を繰り広げ、
すれ違うことはあっても、絡み合うことはありません。

この映画作品は、麻薬のはびこる社会を、
様々な視点で捉え、多彩な手段を用いて、描写しているのです。
多くの登場人物を通して、その全体像を示しえるのは、
この問題の複雑さを表わしています。

現在、政府の対応や麻薬売人の逮捕がマスコミで報じられていますが、
麻薬戦争と言われているように、多くの被害者が続発するばかりで、
先がなかなか見えてきません。

見ている最中に、これは今のアメリカであり、
近い将来の日本かもしれないと思うと、
ぞーっとします。
私達の日々の暮らしがいたるところで崩壊の危機にさらされ、
その暮らしを守るのに、又、麻薬の罠に陥ってから回復するのに、
どれ程の労苦を強いられるか…。

麻薬取締最高責任者が職を投げ、治療する娘に寄り添い、
メキシコの刑事は野球に興じる少年達を見つめ、
アメリカの刑事は再び麻薬売人に食らいつく。
ここに、作者達のささやかなメッセージを垣間見たような気がします。

最後になりましたが、
ここでの俳優さん、既知の方は尚の事必見の演技を見せてくれています。
私は、途中で何度も、やっぱりマイケル・ダクラスだよな、と見直すほどに、
いつもの雰囲気を消していました。
他にも、知っている俳優の方々、それぞれ今までのカラーと異なっています。
全員に最優秀助演賞を差し上げたい!

 

 

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