薄暗い店内に通されたストラッツは、昨日の事について書店主――おそらくそうだろうと彼は思った――に話した。
「本の代金を見つけてくれましたか。あなたのところの店員は僕に払わせたくなかったようでした。他にも何人か彼に同じ事を言われたのでは。」
「彼は今日はいません。」書店主は書斎の電灯のスイッチを入れた。彼の皺だらけの袋のような顔は、照らし出されると大きくなったように見えた。両眼はたるんだ星状の皺の中に沈み込み、頬と額は逆にせり出すように膨らんでいる。その頭はまるで半分ほど膨らみかけた風船のように、肉の詰め込まれたツィードのスーツの上に浮かんでいた。
書斎には使い古された机が置かれ、その後ろには閉じられた扉があった。書店主は机を挟んで置かれた椅子の一つにストラッツを座らせると、その周りを歩き回りながら彼に話しかけてきた。彼は「何故この種の本を読むのか」を話すようストラッツに求め、いぶかる彼に対してさらに、本を読む時にその内容を心の中にありありと思い浮かべるというあの虚しい行為、しかしその虚しさに、自分自身でも思いもしなかったようなやり方で働きかけたある書店主を知っている事について語った。そして、彼に見せたい物があると言って店内の方へと向かった。ストラッツは机の後ろの扉の向こうを覗いてみたかったが、立ち上がる前に既に書店主はゆらめく影のように戻ってきてしまった。彼はラブクラフトとダーレスの著作の間から引き抜かれた一冊の書物を持っており、それがストラッツの求めるアルティメイトプレスの本と関係していると、入ってきた書斎の扉を閉めながら話した。彼によれば、その書物は来年アルティメイトプレスから出版されるヨハネス・ヘンリクス・ポットの(その一部分は原本のラテン語のままにされるという)著作も触れている、禁断の知識や伝承を扱っているのだという。
「あなたはおそらく『グラーキの黙示録』の事を御存知ではないでしょう。それは、超自然的存在への案内として書かれた聖書の一種です。そしてこれまでは、全部で11巻までしか存在していませんでした――しかし、これが12巻目です。マーシィヒルの上に住んでいたある男が、夢に導かれて書いたのです。」語り続けるに従って、彼の声色はより不安定になっていった。
書店主は、この書物がどうやって持ち出されたのかについては知らないと語る。おそらく著者の死後に家族が屋根裏部屋でこれを見つけ、数ペニーにはなるだろうと考えて古書店に持ち込んだのだろう。しかしその古書店の主人は「黙示録」について知っており、その本の価値が分かった。彼はそれを安く買い取り、そして読んだ――そして、あの虚しい行為に働きかける天与の機会を得たのだと言う。
書店主は再びストラッツのそばに来ると、「黙示録」を彼の膝の上に置いた。彼はあたかも何かの力に拒絶や抵抗の意志を弱められたかのように、促されるまま書物を開いた。
それは古びた元帳のようだった。表紙の綴じ金は壊れ、その黄ばんだページは痩せこけた手書き文字の不規則な羅列によって覆われていた。序文の独白に目を通して、ストラッツは困惑してしまった。
「黙示録」は禁断の知識について示唆しており、ストラッツは好奇心をそそられて幾つかのページを読んでみた。しかしその間、ロワー・ブリチェスターの古書店の裸電球の下にいるはずの自分が何故か、闇の中を大きな柔らかい足音に追われているような感じがしていた。彼が振り向いて見ると、白熱光を発する膨れた指が彼の頭上にあるのだ――これは一体何だ? 書店主は彼の背後に立つと「黙示録」のページをめくっていき、ついにはあるページの一節をその指でなぞって示した。
「地下世界の夜闇の深淵を越えて、一本の通路が堅牢な煉瓦の壁へと通じている。そしてその壁の向こう側では、ぼろをまとう眼の無い闇の従者に仕えられてイゴーロナクが立ち上がる。壁の向こう側で長きにわたって彼は眠り続けた。煉瓦を越えて這いずる者が彼の上を通り過ぎても、それがイゴーロナクだと知る事は決してない。だがその名が語られ、あるいは読まれる時、イゴーロナクは礼拝されるために、あるいは喰らい、その者の形と魂を帯びるために歩み出る。何故なら邪悪について読み、その姿を自らの心の内に探し求める者達は、邪悪を呼び寄せるからである。かくしてイゴーロナクは人の世を歩くために帰還する事が出来る。そして彼は待つ。地上の世界が一掃され、クトゥルフが海藻に覆われた彼の墓標から起き上がり、グラーキが水晶の落とし戸を押し開け、アイホートの仔が陽光の元に生まれ落ち、シュブ=ニグラスがムーンレンズを打ち砕くために身を乗り出し、バイアティスが彼の牢獄を押し破り、ダオロスが幻影を引き裂いてその背後に隠されていたものを暴き出す時を。」
背後に立つ書店主の変動する声が、ストラッツに感想を尋ねた。彼にはこの一節は戯言にしか思えなかったが、しかしそう答えるための勇気は衰えてしまっていた。震える声で適当に言い逃れようとするストラッツを、圧倒的な低音にまで深まった書店主の声が追い詰めていく。その身体は揺れる裸電球が生み出し消し去る多くの影と共に揺れ動き、より大きくなったように見えた。彼の顔の上の皺が創り出す陰影によって、その骨格はあたかも溶けていくかのようであった。
「聞いてください。以前ある書店主がこの書物を読み、そして私は彼に、お前はイゴーロナクの高司祭になるのだと言いました。お前は年に数回、イゴーロナクを礼拝するために夜霊どもを招く事になるだろう。お前はイゴーロナクの前に平伏し、その見返りに、地上が大いなる古きもの達によって一掃される時も生き延びるであろう。お前は光の外側で蠢くものとの間の境界を越えて進む事になるであろう……」
熟慮する前に、迂闊にもストラッツは言葉を漏らしてしまった。「私に話しているのですか?」彼は自分がこの部屋の中で、一人きりで狂人と対峙しているのだと考えていた。
「いえいえ、私はその書店主について言っているのです。もっとも、この提案は今やあなたに対してのものですが。」
「ああ、その……すみません、私はちょっとやらなくてはいけない事がありまして。」ストラッツは立ち上がろうとした。
「彼もまたそうやって拒絶しました。」書店主の声色がストラッツの耳の中で軋んだ。「私は彼を殺さなくてはならなかった。」
ストラッツは凍りついた。この狂人をどう扱えばいいのだ? なだめてみようか?「ちょ、ちょっと待ってください……」
「疑う事がお前の利益になるのか? 私はお前が耐え得る以上の証明を自在に行う。お前は私の高司祭となるか、もしくはこの部屋から二度と出る事が無いか……だ。」
生まれて初めてストラッツは、平常心を取り戻すべく、恐怖と憤怒の渦巻く感情を制御しようともがいた。
「もしよろしければ、私は会わなくてはならない人がいますので……」
しかし声は濃密さを増してきた。「お前も知る通り、私はその書店主を殺した――新聞に書かれていたな。彼は廃虚の教会に逃げ込んだが、しかし私は彼をこの手で捕らえた……そして、私は『黙示録』を誰かが読むように店の中に置き去りにしておいたのだ。だがそれを過ちから偶然拾い上げた唯一の者は、お前をここに連れてきたあの男だったのだ……馬鹿め! 私の口を見て奴は気が狂い、そこの隅で縮こまってしまったのだ! 私は奴を生かしておいた。何故なら奴が誰か友人を、肉体的にも禁忌に溺れ、そして真なる経験へ、魂にとっての禁断の領域へ堕落している者を連れてくるかもしれないと考えたからだ。しかしあの男はただお前とのみ接触し、そして私が贄を喰らっている間にお前をここに連れてきた……。ここにはしばしば贄が訪れる。秘められし真実に関する書物を求める若者達がな。彼らは私に確認したものだ、自分達が読んでいる書物が、誰にも知られていないものかという事をな!――そして「黙示録」を見るよう説き伏せるのも容易な事だった。愚かな奴らだ! もはやその稚拙な抵抗では私に背く事など出来はしないであろうに――そしてお前が再びこの店を訪れるであろう事も私には分かっていた。今、お前は私のものとなる。」
ストラッツはあごが砕けそうになるほど歯を食いしばった。立ち上がり、会釈をし、「黙示録」を手渡すのだ……彼は身構えた。しかし書店主の手が書物へと伸びてきた時、ストラッツは思わず書斎の扉へと突進してしまっていた。
「ここから出て行く事は出来ない、お前も知っているだろう。扉には鍵がかかっている。」書店主の身体は揺れ動いたが、ストラッツの方に向かおうとはしなかった。書斎を覆う影は今や無慈悲なほど鮮明になり、静寂の中に埃が舞い落ちていた。「恐れる事はない――お前は懐疑が過ぎる。もはや信ぜずにはいられないのではないのか? 良いだろう――」書店主は机の背後にある扉のノブにその手を置いた。「――私が喰らったものの残骸を見てみたいか?」
ストラッツの心の中でその扉が開かれ、その向こうにあるであろうものに彼は嫌悪の悲鳴をあげた。恐怖の感情が無意識のうちに憤激へと変わっていく。僕を嘲るこの男を黙らせる手はないか……。あの膨れ上がった身体だ、殴り合いになれば僕が勝つだろう。
「もう終わりにしましょう!」ストラッツは叫んだ。「冗談にしては時間を取り過ぎました! 僕をここから出て行かせるか、さもなければ僕は――」
しかしその時ストラッツは、自分がまだ武器になるものを持っている事に気付いた。彼は机の上にあったマッチ箱をひっつかんで火をつけると、持っていた「黙示録」のページを拡げる。
「これを燃やすぞ!」
書店主の身体が揺れ動くのを止めた。ストラッツは恐怖に寒気を感じ、火を書物に押しつける。「黙示録」のページはたちまちのうちにめくれあがり、またたく間に燃え尽きてしまった。ストラッツには揺らめく影と明るい炎の印象しか残らなかった程の素早さである。瞬間、彼と書店主はじっと向かい合っていた。炎が消え失せた後、ストラッツの眼には闇が急速に押し寄せてくる。その闇を通して、彼はツィードのスーツが大きな音を立てて裂けるのを見た。目の前の人影が膨れ上がり始めたのだ。
ストラッツは抵抗する書斎の扉の向かって身体をぶつけた。彼は拳を振り上げ、そしてそれが曇りガラスを叩き割る様を時間の無い奇妙な超然とした感覚の中で見つめていた。あたかも彼以外の全てがその動きを止めたかのように、その行為は彼を世界から切り離した。鮮血の飛沫がきらめくガラスの破片を通して、彼は雪片が琥珀色の光の中降り積もるのを無限の彼方に見ていた。助けを求めるにはあまりにも遠すぎる。背後から、圧倒的な恐怖が彼の周囲に満ちてきた。書斎の奥から音が聞こえてくる。ストラッツは振り返ったが、その眼は音の元凶と直面する恐怖に閉じられたままであった――しかし、ついに目を開いた時、彼は何故昨日曇りガラスに映った影に頭が無かったのかを知り、絶叫した。そびえ立つ裸の身体がその表面にツィードのスーツの切れ端をぶら下げたまま机を押しのけた時、ストラッツが最後に考えた事は、これは自分が「黙示録」を読んだが為に起こったのだという信じ難い確信であった。何処かで、何者かが彼の身にこの事実が起こるよう望んだのだ。フェアじゃない、こんな事をする資格はお前には無い――だが抗議の叫びが発せられる前に、ストラッツの息は止まった。両手が彼の顔の上に下りてきて、掌に付いていた濡れた深紅の口が開かれたのだ。