会津松平家庭園 御薬園

福島県会津若松市

鶴ケ城追手門前の道を県立博物館、県立病院方面へ走ると千石通りにぶつかる。
城郭外堀の土塁を左手に見ながら北に進むとまもなく御薬園に到着する。
会津藩の殿様であった松平家の庭園で、戦国時代からの歴史がある名園は会津の
旅のおりに訪ねたくなる。駐車場の車を止めると、雪化粧した国指定の名園をのんびり
歩き始めた・・・・。

徳川将軍家の流れをくむ会津松平家。江戸幕府300諸侯のなかでも抜群の名門だ。
会津藩28万石として名城鶴ケ城を拠点に、有力外様大名(伊達、上杉、佐竹・・・・)
の多い奥州の要となった。
しかし、現在の会津若松には1868年(明治元年)の会津戦争で灰燼にきしたため、
会津松平家の栄華を探し出すのは難しい。御薬園は大名庭園、薬草栽培地として
会津松平家28万石の生き証人となって、数百年の歴史を刻んでいる。

東山温泉の新滝旅館から移築された重陽
閣。会津松平家から秩父宮へ輿入れした
勢津子妃殿下ゆかりの建物だ。
幕末の藩主であった松平容保は、孝明天皇
の信頼が厚かったにもかかわらず、不本意
にも会津藩を巻き込み朝敵の汚名をきせられ、
会津人は明治の時代には辛酸をなめた。
昭和3年のご成婚は会津市民を熱狂させた
らしく、町はお祭り騒ぎになった。
朝敵の汚名が晴れた記念と昭和3年の感動を
伝えるために、重陽閣は会津松平家ゆかりの
御薬園に移築保存されている。


庭園にも会津戦争の傷跡が残っていた。
御薬園は西軍(長州、薩摩、土佐など)の
野戦病院になったため、奇跡的に戦火を
免れた。
明治になり松平容保家も一時期住んだ
邸宅でもあり、会津若松の宝の一つとして
大切に保存してもらいたいと思う。

トップのページへ戻る
城下町会津若松
会津藩校日新館を歩く
トップのページへ戻る
会津戦争を歩く
雪の鶴ケ城を歩く