小京都という言葉に弱い。TVや雑誌でその言葉を見つけると旅をしたくなる。『小京都」
の引力に引き寄せられ、秋田の角館、飛騨高山、そして「山陰の小京都」津和野町を
山陰の旅の途中に訪れた。
島根県の西南部にある津和野町は、山間の人口6千人の小さな城下町。津和野川
沿いに落ち着いた家並みがある。津和野大橋から殿町通りに入ると、武家屋敷が並び
土塀沿いの掘割に沢山の錦鯉が泳いでいた。津和野の有名な風情であり、実際に散策
してみると「小京都」の雰囲気を充分に感じることができ、周りの山々の緑も美しい。
多胡家の屋敷に代表される武家屋敷と、カトリック教会のコントラストも絵になる風景だ。
本来は異質な教会も津和野の武家屋敷に溶け込んでいる。
津和野から明治の文豪森鴎外と西洋哲学の西周が生まれている。教科書に載るあまり
にも有名な人物であり、山間の小さな城下町の学問水準の高さが想像できる・・・・・。
「舞姫」「雁」に代表される森鴎外の墓は、東京三鷹市の禅林寺にあり太宰治の墓と向き
あっているいることは有名。話がそれましたが・・・・・。
津和野は想像していた以上に美しく落ち着きのある町で、またのんびり訪ねてみたい
町の一つだ。水の都松江から出雲大社、津和野から長州萩の城下町へドライブ。山陰の
旅は多くの懐かしい風景に出会える。
武家屋敷
森鴎外の旧宅
掘割を泳ぐ錦鯉も津和野名物
キリスト教徒殉教 乙女峠
津和野はキリスト教徒の悲劇の地でもある。
明治維新直後、政府はキリスト教徒を弾圧。政府からの命令で、旧津和野藩は
長崎浦上のキリスト教徒を幽閉して、津和野の乙女峠で厳しい拷問をかけた。
結果、36名が殉教した。山間の町での悲しい歴史。
内田康夫「津和野殺人事件」にも、乙女峠の悲劇が書かれている。
養老館
少年時代の鴎外も学んだ、津和野藩校。
藩校の充実した藩は、明治の世に多くの
人材を輩出している。
島根県津和野町
太鼓谷稲成神社からの城下町
城跡の一部である津和野高校裏手から
稲成神社に登ると、美しい町並みが眺め
られる。眼下を流れる津和野川の清流と
赤瓦の家並とのコントラストがいい。
白壁と鯉が泳ぐ水路が調和している。
観光客の少ない夕暮れに散策している
と、山間の城下町は急速に静寂に包ま
れる。
津和野は酒の醸造元が多い町でもあり
掘割や津和野川の水が澄み切っている。
清流の流れる音が心地よい。