太宰治は昭和14年から東京都三鷹市に住み始める。近くに井の頭公園があり
玉川上水の流れも気に入っていたらしい。その玉川上水に昭和23年6月、入水
自殺。
太宰が生まれた津軽半島金木町を訪れ、太宰の三鷹時代を想像しながら終焉
の地を歩いてみた。彼は三鷹市の禅林寺に眠り、6月19日の「桜桃忌」はあまり
にも有名。
太宰家族が住んでいた、三鷹市下連雀
2丁目。今でも閑静な住宅街だ。
行きつけだった美登里鮨
いつもウイスキーを買い求めて
いた伊勢元商店。
玉川上水近くの文学碑。
入水地点の青森津軽産の石と入水地。遺族が碑を建てることを
許さなかった。
墓がある禅林寺の山門
太宰治の墓。文豪森鴎外の
墓と向き合っている。
山本有三記念館
太宰の旧宅近くにある。
昭和11年〜21年までこの家に住む。
三鷹時代に代表作「路傍の石」戯曲「米百俵」
を執筆。「米百俵」は幕末維新の越後長岡藩
のエピソードとして、この戯曲で広く世に知られ
た。平成13年、小泉首相の初心表明で再度
スポットを浴びる。
山本有三、昭和33年(1958)三鷹名誉市民。
6月19日「桜桃忌」の会場
東京都三鷹市