歴史の中に米内光政、山本五十六、井上成美と3人の海軍提督が埋もれて
いる。山本五十六は「真珠湾攻撃」で映画やドラマで有名だが、歴史の暗部
である太平洋戦争と軍人にはとかく蓋をされてしまう。この3人の提督にスポッ
トを当てたのが作家阿川弘之であり、自分も海軍提督三部作を読んで3人に
強い興味をもった。(阿川氏は阿川佐和子さんのお父様)。
太平洋戦争直前に米内海軍大臣、山本海軍次官、井上軍務局長は左派トリ
オと呼ばれ、陸軍が進める日独伊三国同盟に猛烈に反対した。海軍教育、米
英の滞在から米英の巨大文明国を敵にするリスクを、3人は熟知していて、米
英寄りとして右派から命を狙われた。殊に山本は米内大臣の命令で緊急避難
的に洋上勤務の連合艦隊司令長官へと中央から離れ、そのまま不本意に米
英との戦闘に突入するのだから皮肉な運命だ。(1943年4月18日、南洋ブー
ゲンビル島上空で戦死)
米内は総理大臣まで勤めた軍人政治家として、戦争末期には再び海軍大臣
として井上海軍次官とのコンビで今度は終戦に生命をかけて反対派と闘った。
阿川弘之の著作を始め、様々な本を読むにつれ、やはり海軍トリオが歴史に
埋もれてしまうのはおかしい。米内の故郷である盛岡、山本の故郷長岡、井上の
仙台と旅をすると、益々、教科書にない歴史、埋もれた歴史、人物の当然の
ことながら多さにびっくりする。微力ながら、趣味のホームページとはいえ旅の
途中で発見したモノ、人物をピック・アップしてみたい。
米内(南部藩士の子)、山本(越後長岡藩士の子)、井上(仙台藩士の子)と
雪国の苦学生が海軍のトップに上り詰め、幕末・維新で戦った薩摩閥が作った
帝国海軍の中枢で、長州閥の流れをくむ帝国陸軍と政治的に闘うという因縁。
歴史は益々面白い。
米内光政も終戦工作に全身全霊で臨んだため、終戦後、昭和23年4月に亡く
なった。墓は故郷盛岡の円光寺にあり、盛岡八幡宮には背広姿の銅像が立って
いる。井上成美は昭和50年まで存命し、戦後公の席に出ることも無く、横須賀市
長井で地元の子供に英語を教えながら細々と暮らした。井上は海軍兵学校の校
長時代、陸軍士官学校では廃止になっていた英語教育を最後まで続けさせた
エピソードは有名。終戦後の日本の復興の事を考えていたのかもしれない。
これからも、旅の中で海軍トリオの軌跡を訪ねてみたい。
長岡市の山本五十六
生家と胸像。
山本五十六に影響を与えた幕末
の長岡藩家老河合継之助のページ