飯田覚士さん (元世界チャンピオン。以下飯田君、いつもそう呼ばせてもらっていた)は、ヨックタイ・シスオーと2度目の世界戦で勝利して、悲願の世界チャンピオンになることが出来ました。この時テレビを見て観戦している人達には、想像できない程のプレッシャーがあった事でしょう。 ゴイチア戦を入れると3度目の世界挑戦で、これに負ければ引退となる状況にあった。私生活では2人目の子供が生まれて1週間が経ったところでした。 世界チャンピオンになれるかどうかが、今後の彼の人生を大きく左右することは誰が考えてもわかりそうなことで、世界チャンピオンになれなければ、引退後の人生も全く違うものになっていたと思います。 「元気が出るテレビ」で、早くからテレビに出ていた分、知名度が高かったため、負ければ外を歩くのもつらくなるのではないかと思います。ボクサーの場合、世界チャンピオンになれたとしても、防衛戦をするようにならなければ大きな収入が入らないことが多く、他のプロスポーツと比べれば、ボクサーは収入面で相当きついそうです。 それでも彼は人気があったので、日本チャンピオンになってからはボクシングに専念していましたが、日本チャンピオンクラスではアルバイトしながら生活している選手が殆どで、金銭的な蓄えまでは出来ない状況であったと思います。 もう一つ大きなプレッシャーになっていたことがあります。初めてのヨックタイ・シスオー戦の時に、肩を試合中に亜脱臼しており、そのリハビリには8ヶ月を要したのでした。ヨックタイとの再戦が決まった時(ヨックタイとの再戦の三ヶ月前)は、まだ腕が挙げられない程痛みが残っていました。肩の脱臼はボクサーにとって致命傷になりかねないほどのケガで、肩の脱臼癖が付けば、ボクシングに限らず、引退するスポーツ選手は少なくありません。 日常生活程度の負担なら、まだ問題はありませんが、ボクシングは肩に相当な負担がかかっています。世界チャンピオンになったヨックタイ戦の3週間前まで肩の痛みでサンドバックが思い切り打てない状態が続いていたのでした。 しかし、試合も決まりそんなことも言ってもいられず、ヨックタイとの再戦一ヶ月前には東京に合宿に行き、スパーリングができるほどではなかったので、福田先生(飯田君が現役時代から一番尊敬し、師と仰いでいる名トレーナー)相手に、なんとかミット打ちに専念する事で練習不足を補っていたのでした。 ミット打ちを始めて、徐々に肩の痛みはとれてきていましたが、スパーリングが出来ない状況での世界挑戦でした。それでも、絶対に世界チャンピオンに成る事を信じて、一度も弱気になった彼の姿を見ることはなかったです。私には不思議なくらい弱気な部分を見せませんでしたが、もしこの時、弱気になっていたなら世界チャンピオンには成ってはいないと思います。 肩の痛みが試合までに治る保障はありませんでしたが、私も出来る限りの時間を割いて飯田君の肩のリハビリに専念しました。そしてメンタルな部分でのサポートが出来るように心がけていました。私にもプレッシャーがあったように思います。この頃、私も腰が痛くなったり、首が回らなくなって痛くなったりすることがたびたびあったのです。肩のケガが治ったのは試合ぎりぎりで、自然治癒力が急激に上がったような気がします。そして三度目の世界戦に臨んだのです。気力で治したとはこの事だと思います。 緑ボクシングジムの将来を背負い、たくさんの後援者やファンに応援されながら、家族の為、自分自身の為、プライドを賭け、身近な人達からはガンバレ・ガンバレと肩をたたかれ続け、思うような練習が出来ないうちに、ものすごいプレッシャーの中で彼は勝利してリング上で号泣しました。 そして私もリングの上で一緒に泣きました。控え室に戻った後も、しばらくの間飯田くんは福田先生と抱き合ったまま、ただただ号泣していたのでした。私にはこの光景がまぶしく映りました。 この日、念願の世界チャンピオンになる事ができ、人生最良の一日となったのでした。 |
ところが・・・この後が大変だったのです。。。 |
前置きが長くなってしまいましたが、飯田君はこの2日後に「ギックリ腰」になってしまったのです。全く動けなくなってしまったのです。試合後すぐになったのではなく2日後に動けなくなりました。私は3日位安静にしていれば治ると思っていたのですが、痛みが治るどころか徐々に痛みは増して、12月23日の試合2日後から正月も全く動けないままでした。 元旦には、救急で私と一緒に大学病院に行き、他の病気も疑っていろいろな検査をしてもらったのですが、検査では何も異常は見られなかったです。MRIによる画像診断もしましたが、何も異常はなかったのです。 一体、何がいけなかったのでしょう? この時の試合のビデオを持っている人は一度見て下さい、12ラウンドが終わり判定の結果、「ニューチャンピオン飯田覚士」とコールされた時、体の力が突然抜けて、後ろに倒れそうになった所をトレーナーに抱きかかえられているのがよく分かります。 ドーハの悲劇を思い出してください。サッカーワールドカップ予選で日本はイラクと戦い、終了間際のロスタイム、誰もが日本の勝利を確信し、初のワールドカップ出場が決まったものと思っていましたよね。ロスタイムに入り、残り数秒の時にイラクのゴールが決まってしまい、日本代表選手達のほとんどが、試合終了の笛が鳴った瞬間しばらくその場から立てなくなりました。この様な事は、他のスポーツにもよく見られます。飯田君にもこの時にグランドでへたり込んで動けなくなっていた日本選手達と全く同じ事が起こっています。 高校サッカーの選手権でも、PKを外した選手がその場から動けなくなるのをテレビでよく見ます。昔から驚いたときなどに「腰が抜けたと」言ったりしますが、まさにその状態です。 私も、飯田くんが初めての世界戦で、ゴイチアに1発KOされた時、飯田くんが倒れた時に、リングサイドで一緒に私もしゃがみ込むようにしてしばらく立てなくなったことがありました。「ぎっくり腰」のことを、地域によっては「びっくり腰」という地域もあるようです。 私は、この時のビデオを後から冷静に見ていて思いました。あまりにも喜びが強すぎた時には、強い悲しみに襲われた時に似た感じになって、しばらく動けなくなるものなのだと。 「ニュ-チャンピオン!」とコールされた瞬間からバーンアウトが起こっていたのではないかと思っています。2日位はまだ喜びが醒めやらぬままに、著しい顔の腫れや全身疲労は想像を超えるものでしたが、まだ、身体を動かすことは出来ていました。しかし、その後、何のきっかけも無く徐々に腰痛が出てきて、2日後には、歩く事が困難なほどの激しい痛みが彼を襲うようになってしまったのです。あまりにも激しい腰から足にかけての痛みで、この時の試合の状況を試合後に楽しんだり、喜びあったりして、ふりかえる余裕など全くなかったのです。 少し専門的な話をすると、人間は強い衝撃やストレスを受けた時、脳の視床下部(及び交感神経)を興奮させて副腎皮質刺激ホルモンを産生します。その視床下部から出たホルモンが更に副腎皮質を刺激して血中にコルチゾールやグルココルチコイド等のホルモンが急激に上昇し、学習や記憶を司る海馬に作用して、神経を脱落させる事があり、それによって神経系がだめになって全身の筋肉に力が入らない状態になる事があるようです。 ボクシングの試合等で攻撃している時には自律神経系の交感神経が働き、副腎髄質から大量のアドレナリンとノルアドレナリンと言うホルモンが分泌されます。その為、少々殴られたりしても、痛みを感じないほどの興奮状態になります。戦う為には、内臓に流れている血液を止めてでも、急激に筋肉に血液を大量に流し込む必要があります。運動後にも交感神経の興奮が続いたままになれば、心拍数や血圧を上昇させるだけでなく、強力な血管収縮作用があり今度は筋肉の血流不足を招きます。 余談ですが、慢性的な肩こりが治りにくいのは、自律神経の交感神経が副交感神経に比べ優位に働き続け、肩の筋肉が血流不足になっているからです。そんな時に、胃腸も血液の流れが悪くなり胃が痛くなったりする訳です。 |