For all good and evil, whether in the body or in human nature, originates, as he declared, in the soul, and overflows from thence, as if from the head into the eyes. And therefore if the head and body are to be well, you must begin by curing the soul; that is the first thing. And the cure, my dear youth, has to be effected by the use of certain charms, and these charms are fair words; and by them temperance is implanted in the soul, and where temperance is, there health is speedily imparted, not only to the head, but to the whole body.
For all good and evil, whether in the body or in human nature, originates, as he declared, in the soul, and overflows from thence, as if from the head into the eyes.
For を〔前置詞〕とみて読み始めたが、それでは〔主語〕がなくなってしまう。〔前置詞〕が前にある〔名詞〕〔代名詞〕は、原則的に〔主語〕とはならないからだ。
ということで、For は、〔接続詞〕。この文章には、よく出てくる。「というのは」
〔主語〕は、good and evil。今回 good, evil は、〔形容詞〕ではなく〔名詞〕。〔主語〕になれる。
whether...or 〜 で、「…であろうと〜であろうと」
good and evil を 〔主語〕とする〔動詞〕は、orihinates と overflows。いつものように割り込む as he declared, in the soul などには、もう惑わされない。thence は、there=the soul。
as if... は「まるで……」「あたかも……」。
「というのは、彼が言っているように、あらゆる善と悪は、体の中にあるものでも、人間の性質の中にあるものでも、魂の中から生まれ、そこから湧き出てくるのだ。まるで、頭が原因で目が悪くなるように」
the soul は、「魂」という訳が英和辞典の最初に出てくる。宗教などでは「霊魂」「霊」という訳もよく使うであろう。「精神」「心」「情熱」「真情」「気迫」「生命」「基本精神」など、さまざまな日本語が出てくる。場所によっては、「精神(身体に対して)」「心(やはり体に対して)」がふさわしいと考えられる箇所もあるが、私の乏しい哲学書の読書体験では、「魂」という訳語を使うのが一般的ではないのか、と考えた。途中ぶれるかもしれないが、特に心を動かされない限り、「魂」でいきたいと思う。
And therefore if the head and body are to be well, you must begin by curing the soul; that is the first thing.
are to be well の部分は、第22回の表題になっている〔意志・意図〕の〔to不定詞〕。
「そして、それゆえに、もし頭と体を健康にしようと思えば、魂の治療から始めなければならない」
And the cure, my dear youth, has to be effected by the use of certain charms, and these charms are fair words; and by them temperance is implanted in the soul, and where temperance is, there health is speedily imparted, not only to the head, but to the whole body.
A of B の訳の基本は、「BのA」である。a lot of people は普通「たくさんの人々」と訳しているが、厳密には「人々の多数」。a couple of girls も「二・三人の少女」と前から訳しているが、成り立ちから考えれば「少女の二・三人(本来は二人か)」が正しい。このように訳せといっているのではない。普通の訳でいい。だがそれにつられてか、どんな場合でも「AのB」だと勘違いしている人がいる。その認識を改めてもらいたいだけだ。
by them の them は、these charms でもあり、fair words でもある。
and where temperance is, there health is speedily imparted,
の where は、何なのか? 〔疑問詞〕ではない。前に and があるので the soul を〔先行詞〕とする〔関係副詞〕とは考えにくい。〔先行詞〕を含む、または〔先行詞〕を省略した〔関係副詞〕の可能性はあるが……。
多分そこから発展したんだろうが、where に〔接続詞〕の使い方がある。「〜するところはどこでも=wherever」「〜する場合には」という意味を持つ。
Where there is a will, there is a way.「意志のあるところに道はある」。
さて、where temperance is, there health is speedily imparted を考えたとき、there は何だろう? 出した例文の there is a way の there は、「〜があります」の there is... there are... の there だ。there health is speedily imparted も、there なしに〔文〕が成り立ちそうだが、is imparted の〔主語〕となりそうな health が直後にあるので、同じではない。
やはり意味を持つ〔副詞〕であろう。語調の関係か何かで前に来ているのだろう。where は〔関係副詞〕で、there は後ろにあるが、その〔先行詞〕ということも考えられる。そう考えてみると、ますますそういう気がしてきた。
not only...but... は、第15回の表題ともなっている。もう大丈夫だろう。
「そして、私の親愛なる若者よ、その治療法は確かなまじないの使用によって、効果を出されなければいけない。そして、これらのまじないは正しい言葉だ。そして、その正しい言葉のまじないによって、節制は魂の中に植えつけられる。そして、節制のあるところに、健康はすみやかに分け与えられる。頭だけではなく、体全体にまでも。
ソクラテス:
彼が言っているように、人間の体や性質の善と悪は、すべて魂(心)の中から生じ、そこから湧き出してくる。まるで、頭から病因が出てきて目に移るように。
それゆえに、頭痛や体を治したかったら、まず最初に魂から治していかなければいけない。
親愛なる若者よ、この治療法は正しいおまじないのことばによってなされなければならない。そのおまじないによって、節制が魂に刻まれる。節制のあるところ、たちどころに健康がもたらされる。頭だけでなく体全体に。