O Critias, I said, no sooner had you opened your mouth, than I pretty well knew that you would call that which is proper to a man, and that which is his own, good; and that the makings (Greek) of the good you would call doings (Greek), for I am no stranger to the endless distinctions which Prodicus draws about names. Now I have no objection to your giving names any signification which you please, if you will only tell me what you mean by them. Please then to begin again, and be a little plainer. Do you mean that this doing or making, or whatever is the word which you would use, of good actions, is temperance?
I do, he said.
O Critias, I said, no sooner had you opened your mouth, than I pretty well knew that you would call that which is proper to a man, and that which is his own, good; and that the makings (Greek) of the good you would call doings (Greek), for I am no stranger to the endless distinctions which Prodicus draws about names.
O は、Oh と同じ。この使い方の O は、常に大文字で、感嘆符やピリオド・コンマはつけない。
“No sooner had S 過去分詞...than 〜”。「Sが……過去分詞するとすぐに〜」。No sooner と否定語が文頭に出て、〔過去完了〕の部分が倒置になっている。第3回は、表題は違うが同じ形。また、第10回は関連表現。
I pretty well knew の〔目的語〕は、that you would call that which is proper to a man and that which is his own, good;
もう一つの〔目的語〕が、(and) that the makings of the good you would call doings ではないか。
you would call that which is proper to a man and that which is his own, good; の部分の構文が分かりにくかった。
call の〔目的語〕が that節になっている第3文型ではないのかとも考えたが、which is proper to a man が〔間接疑問〕ならば、〔接続詞〕の that などは、不要なはずだ。
となると、which は、〔関係代名詞〕だ。そうすると、that は〔先行詞〕となる。何を指しているのだろう。
でも、そう考えると、call は〔第5文型〕を作る〔動詞〕で、S+V+O+CのCが good かもしれない。うん、きっとそうだ。Oは that which is proper to a man, and that which is his own。
and that the makings of the good you would call doings は何だろう。
この that は、〔関係節〕の〔先行詞〕ではない。〔接続詞〕であろう。knew の2つ目の〔目的語〕だろう。あれ? これは言ったか。
that は〔名詞節〕を導く〔接続詞〕。ということは、その後ろには、〔主語〕と〔動詞〕がある。普通は、一番最初に出てきた〔名詞〕〔代名詞〕〔動名詞〕などが〔主語〕となる。〔前置詞〕があるのはダメ。
そうすると、the makings (of the good) が、〔主語〕の第1候補となる。でも、〔動詞〕は、どう考えても would call。the makings would call では、おかしい。would call の〔主語〕は、you がふさわしい。
the makings は、前に〔前置詞〕がないので、〔副詞句〕ともならない。おそらく〔倒置〕であろう。S+V+O+CのOが前に出て、O+S+V+Cとなったのだと解釈する。C+S+V+Oじゃないよな。
for I am no stranger to the endless distinctions which Prodicus draws about names
stranger to で「〜を知らない人」。no がついているので、「知らない人では全然ない」→「知っている人」。
この endless は「数が多すぎてすごい」と好意的なのか、それとも「無駄に長い」と皮肉っているのかは、不明。
distinctions は「区別」。後ろにある names を「名称」「単語」と考えて、「名称の区別」「名称の意味の差」と使いたいのだろう。
Prodicus は、古代ギリシャのソフィストの一人。キオス島から大使としてアテネを訪れ、演説で有名となり、生徒をとって市民として家庭人としての教養を教えた。弁論術よりも倫理学を優先し、ソクラテスの先駆けとなった。
「おお、クリティアスよ。君が口を開くとすぐに、次のように言うだろうと分かった。人間にとってふさわしく、自分自身のものを善と呼び、善を作り出すことを何かをする、と呼ぶであろうことを。というのは、私は、プロディコスが名称について書いた数限りない区別を知っているからだ」
Now I have no objection to your giving names any signification which you please, if you will only tell me what you mean by them.
“have no objection to...”で「……に異存はない」。
giving names any signification は、“V+O+O”の型であろう。「名称に何らかの意味を持たせること」。
which you please は、〔関係代名詞節〕。please を〔他動詞〕として like と同じように使いたかったのではないか。現在、この使い方ができるかは不明。if you please の〔副詞節〕との混同か。
“if (...) only ...”は、「……でありさえすれば」。
「今、私は君が気に入れば、名称にどんな意味を与えるても、全然反対しない。君がそれらのことによって、何を意味しているのかを私に教えてくれさえすれば」
Please then to begin again, and be a little plainer.
to begin again の to begin は明らかに〔to不定詞〕。どんな働きだろうか。then は無視するとして、Please の後ろなので、〔命令文〕のようだ。だが、〔命令文〕ならば to は不要。and の後ろの be が〔命令文〕用の〔原形〕であろうか。それならば、to begin again は、やはり何らかの用法に分類できるはず。
まてよ、and be... と来ているからには、be... と前方の何かを並列に並べているはず。to begin and (to) be であろうか。そんなことにでもなれば、Please の立場がなくなるし、不定詞だけの句があるだけとなる。
わからない。推測は、to begin again は、to begin with と2語が共通という、根拠にも何もなっていない連想から、〔独立用法〕。意味は適当に訳す。そして、and は本来不要だが、乗りで書いてしまった。実質的に to begin again も〔命令〕だから。こんなところ。
「それでは、もう一度始めてくれ。もう少し簡単に。」
Do you mean that this doing or making, or whatever is the word which you would use, of good actions, is temperance?
Do you mean は、いいであろう。that 以降は、mean の〔目的語〕になる〔名詞節〕。この〔名詞節〕について考える。
〔節〕中の〔主語〕は、this doing, this making, whatever のいずれか。〔動詞〕は is で、〔補語〕は temperance。
whatever は、is the word which you would use, of good actions などを従えて、まとまって意味を成す。「君が良い行いについて使おうとする言葉である何でも」。
「この為すこと、作ること、また、君がよい行動について使う言葉は何だろうと、節度があると思うのかね」
I do, he said.
「はい、思います」
ソクラテス:
おお、クリティアスよ。君が話し始めると同時に、「人間にふさわしく、人間自身のことを善とみなしていること。善なるものを作ることが、何かを為すことだ」と君が考えていることはすぐ分かったよ。何といっても、私はプロディコスが書いた名称についての膨大な区別を、少しは知っているからね。
今は、君が名称にどんな意味を与えようがかまわない。好きな意味をあててくれ。私が知りたいのは、君がそうすることで何を言いたいのかということだ。
それでは、もう一度始めてくれ。もう少し分かりやすく。
今さっき使った「為すこと」でも、「作ること」でもいいが、よい行いについて、君が使いたい言葉なら何でもいい、それらは、全部節度があると言えるんだね。
クリティアス:
はい、言えます。