野護氏が参加した
  イベント特集
 
 
永野氏が公式に参加したイベントについてまとめてみました。
ガレキメーカー主催のFSSイベント特集と併せてごらんになっていただきますとよりわかりやすいと思います。

1980-1989・1990-1999・2000-20092010-と年代ごとにわけてまとめています。

  

 1990年
 
◆第1回日本パソコンゲーム大会 1990年5/4・5 東京都日野市民会館 主催:ゼネラルプロダクツ
 
ゼネプロが開催したPCゲームに関するイベント。参加案内書「プログレスレポート#0」の参加ゲスト紹介の中に永野護氏の名前がある。
 
ただし今の所、実際に参加したという記録は確認出来ていない
このイベントの協賛メディア誌「アスキー・コンプティーク・テクノポリス・ポプコム・ログイン」この時期の号に何か情報があるかも。
 
◆永野護香港サイン会 1990年7/29 香港中環地区アートセンター
 
1990年香港中環地区アートセンターにてトイズ初の海外イベントが行われた。永野氏のサイン会やFSS3巻主題歌を歌ったヴィンディーさんのステージや映画版FSSの上演が行われた。
このときの顛末はビデオ版「3159 MAKINGOF BABY SITTER」や「CHARACTERS5 MAKING OF BABYSITTER」・「P/5」に詳しい。
またサイン会の様子はニュータイプ1990年10月号P83にも掲載されている。
 
当時の現地新聞にも大きく取り上げられたらしい。
一度で良いから見てみたいものです。
 
◆Newtype5周年記念イベント「5周年サンクスギビングデイ」 1990年8/16 東京ベイヒルトン 主催:Newtype
 
創刊5周年を記念して行われ、永野氏もゲストとして参加している。
永野氏関連のイベントは以下の通り。
ボークスの生嶋氏(現WSC)&圓句氏とのパネルトーク
この時の内容はCHARACERSPLUS1に掲載されている。行われた場所・時間は不明。
WAVEの佐藤直樹氏(ミレニアムモデル)とのパネルトーク
この時の内容はCHARACERSPLUS1に掲載されている。行われた場所・時間は不明。
小田雅弘氏とのパネルトーク
この時の内容はCHARACERSPLUS1に掲載されている。行われた場所・時間は不明。
川村万梨阿さんとのトークイベント
メーンホールにて開催された。この時の内容のみTOYS他の書籍に掲載されていない。よってどのような話題だったかは不明。
そのときの様子を写した写真はCHARACERSPLUS1とニュータイプ1990年10月号P81に掲載されている。
永野氏のサイン会
イベント当日にチケットにあらかじめ印刷されていた番号で抽選が行われ、当選した40人には永野氏のサイン会が行われている。
 
TOYSのブースでは永野氏サイン入りの中国版ファイブスター1巻を販売したり、永野氏が模造紙に描いたイラスト(アパッチ)が飾られていた。
その他にもサイン入り貯金箱(ミラージュ騎士団)も販売されており、その中の一つには腹部に女性の顔も描かれていた(所有者ツイートより判明) 2013.9.8追記
 
アパッチの他にも静とClothoとくずれたラキシスとまりあが描いてあったとの事。また永野氏のイラスト展示も行われ、「GREEN and GOLD」などが展示されていたとか・・・。 (情報提供:やま様)
CHARACERSPLUS1に掲載されたP45のトイズブースの写真をよくみてみるとこれらのイラストを確認できる。
ただし、くずれた表情のラキシスイラスト以外は、残念ながらブースの前にいる人たちによって隠れてしまっている。
他にもアーレン・ブラフォードも描かれていたことが判明。
アパッチのイラストであるが、イラストの下にバイオラと書かれていたとか(ただしイラストは現行のアパッチのもの)。
当時はイアン・ケーニヒの乗るMHの初期イラストが現アパッチと同じデザインであった、もしくは当初ブラフォードの乗る予定だったMHの名前がバイオラだったと考えられる。
ブラフォードは当初より登場予定が合ったことを考えると後者ではないかと推察されるのだが・・・・(情報提供:K-5様)
 
その会場で永野先生はギターをかき鳴らして熱演していたらしい?(ネット書き込みより未検証) 2007.01.01追記
 
このイベントで配布されたパンフレットに永野氏のコメントが掲載されている。 (情報提供:やま様・K-5様)
 
 1991年
 
◆第3回アートプラ大賞展示審査会 1991年4/27〜5/6 東京都池袋サンシャインシティ 主催:海洋堂
 
海洋堂が毎年開催していたスクラッチガレージキットのコンテスト。
例年、読者の投票による賞の他に、著名人選定による特別賞も設定され、小田雅弘氏や出渕裕氏に交じって永野護氏も審査に参加し、この年も永野護賞が選ばれている
ちなみに、この年永野護賞に選ばれたのは水木氏の妖怪「まくら返し(他6点)」。
よく見ると佳作にはひげだるま氏のKANとかもあるのに、選ばれたのがこの作品なのが永野氏らしいというか・・・。
 
また当時の会場の様子を伝えた雑誌によると、最終日に小田雅弘氏と永野氏による講評とパネルトークが行われたらしい。
残念ながらどのような内容であったかは不明。 (参考資料:ホビージャパン1991年7月号)
 
 1992年
 
◆Wonder Festival 1992 Summer 1992年8/16 東京都立産業貿易センター 主催:海洋堂
 
このイベントにトイズが出店するという告知が「PUBLISHERS3」P23に掲載されているが、それによると永野夫妻が売り子として参加するかもとの記載あり。
ただし実際に参加していたかどうかは不明。
Newtype1992年9月号のトイズの広告ページにてパーセルショップの出展告知がされているが、それによるとすえぞうキット2種、キャラクターズ7先行発売がされたらしい。
 
このイベントに参加された御方からの報告により詳細が判明。
永野氏は売り子としては参加していなかったが、トイズのブースのそばでスタッフの人と談笑していたとのこと。
その際A3サイズの紙にラキシスの上半身(「商品かえよ.かってくんないと永野の給料出ないだよ」「今月スカートの中みせだだろ かえよ」の吹き出し付き)と、死体として腐ってハエがたかっているソープのイラストが描かれ、幟としてブースに掲げられた。 (情報提供:リュカイナ様) 2015.4.18追記
 
永野氏はその後のトークショーに参加して、小田雅弘氏と参加者からの質問に答えていた。
ミラージュの左翼大隊達の事を聞かれて、「レフトミラージュ?何それ、そんなのいたっけ!?」とすっとぼけていたらしい。
その他にも、キャラクターズ4で永野氏が最高傑作と書いていたナイチンゲールなどを公開する意思があるか聞かれ、「公開するつもりはない。なぜならこれらは様々な要素に分解され、すでにFSS本編中に登場してるから。もしデザインを見れば、『これは、このMHのこの部分になったのね』という事がわかる」と答えたりしていた。ちなみにナイチンゲールの足の部分は、のちのアシュラテンプルに転用されたとのこと。
その他にもFSSの一日版権についても言及(FSSに関しては高いレベルをディーラー側に要求したい等々)していたとのこと (情報提供:リュカイナ様) 2015.4.18追記
 
このトークショーの様子はHobbyJAPAN1992年10月号P48に写真が掲載されている。
写真には永野氏の他に、司会を勤めていた川村万梨阿さんや小田雅弘氏、速水仁司氏、生嶋毅彦氏も写っている。 2011.4.18追記
 
川村万梨阿さんが館内放送を担当されており、ワンフェスに来ている人達の違法駐車を注意する放送がとても面白かったとのこと。(情報提供:YASU様・K-5様)
 
◆モーターヘッドクランケンハウズ1992 1992年8/25〜9/30 吉祥寺WAVE 主催:WAVE
 
FSSのモーターヘッド模型コンテスト。永野護などの選者により各賞が決定された。
結果はHobbyJAPAN1992年12月号にて発表され、永野氏のコメントなども掲載されている。
なお同雑誌のWAVEの広告ページにも詳細が掲載されている。
告知記事は今のところ「PUBLISHERS3」P25にて確認。
 
なお8/23に模型制作講座と景品が当たるクイズなどが行われ、永野氏がクイズ大会が始まる直前に現れたとのこと。
そのときの写真がP/4に掲載されている。 (情報提供:K-5様 参考資料:PUBLISHERS4 P37)
 
 1994年
 
◆Wonder Festival 1994 Summer 1994年8/21 東京晴海国際見本市会場東館 主催:海洋堂
 
このイベント開催中に行われた海洋堂主催の「第5回アートプラ大賞」という模型コンテストに永野氏が審査員として参加。永野護賞として「CLOTHO4075」という作品を選んでいる。
 
この時の大賞の結果発表はMG1994年10月号ホビージャパンEXTRA '94秋の号にて発表され、永野氏の選んだ作品の写真が掲載されている。
ちなみに永野氏は佳作に選ばれた「ガミラス艦(宇宙戦艦ヤマト)」と「MBT W-85(ガルフォースに登場する戦車)をエラク気に入っていたとのこと。
 
またトイズも出店し、パーセルの在庫一掃セールを行っている。
ポストカード80枚セットやアラウンドワールドinフィリピン、シリアル入りテレカが封入されたすえぞうのキット等が販売された。 (情報提供:K-5様 参考資料:PUBLISHERS7 P21)
 
 1995年
 
◆バーチャファイターグラフィックス展 1995年5/22〜6/2 東京都銀座
 
バーチャファイターの開発スタッフである有井信孝氏が製作したCGイラストの展示会のオープニングに、永野夫妻といのまたむつみさんが駆けつけている。
 
その様子はニュータイプ1995年8月号やテールズオブジョーカー#5(P57)、CD-ROM「バーチャファイター・ザ・ビギニング」などに掲載されている。
 
◆Wonder Festival 1995 Summer 1995年8/6 東京晴海国際見本市会場西館 主催:海洋堂

このイベント開催中に行われた海洋堂主催の「第6回アートプラ大賞」という模型コンテストに永野氏が審査員として参加。
 
この時のパンフレットによると、永野護賞に選ばれたガレージキットをトイズプレスよりキットとして発売する計画があるとの事であるが、永野氏が選んだ作品が「ダメ怪獣たちの怪獣総進撃」というたくさんの怪獣が街を壊している非常にゴーカイなジオラマであったため、あえなく計画中止に・・・。
キット化を前提として選定しているはずなのに、FSSキットを選んでいないというのは一体ナゼ(笑)?  (参考資料:WONDERFESTIVAL 1996 WINTER OFFICIAL GUIDE BOOK
 
ちなみにこのイベントの公式ガイドブックには巻末ページにトイズプレスの広告も掲載されている。
 
◆バーチャファイター2 マキシマムバトル関東予選 1995年8/23 神奈川県新横浜プリンスホテル
 
1995年夏に全国大会が実施されたバーチャファイター2の公式大会関東予選に、当時バーチャにはまりまくっていた永野氏が参加している。
このエリア大会は、当時バーチャの聖地とされた新宿スポット21や池袋イルパリオといった有名ゲーセンのメンバーが多数参加した超激戦エリアだったらしい。
 
この予選大会のレポートが当時のファミ通に掲載され、永野氏の写真も掲載されている。ちなみに(珍しく?)良いところまで勝ち上がったとのこと。
 1996年
 
◆Wonder Festival 1996 Summer
 
永野氏が会場にふらっと来たそうな。その際の写真がMG1996年4月号に掲載されている。とある有名なブースの潜水艦を購入されたとのこと。 (情報提供:K-5様)
 
 1997年
 
◆MARIA&CHIEKO ANIMATION HIT PARADE 1997年11/9 ON AIR WEST
 
渋谷で行われた川村万梨阿さんと本多知恵子さんのライブイベント。
このライブにも永野さんが来ていたそうで、かなり早い時間に正面から入って来て、2階席から御覧になっていたとのこと。
 
ちなみにこのイベントのために作られ、販売されたTシャツには永野氏の描いたイラスト(絵柄は万梨阿さんと本多知恵子さんがレッシィとアムの格好をしているというもの)がプリントされている。またこのイラストはライブのパンフレットにも白黒でちっちゃく掲載されているとのこと。 (情報提供:やま様)
 
ちなみにこのパンフレットには川村さんや本田さんの写真が多数掲載されているが、その中の一枚にこっそりと永野氏が登場している(笑)。
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