野護氏が参加した
  イベント特集
 
 
永野氏が公式に参加したイベントについてまとめてみました。
ガレキメーカー主催のFSSイベント特集と併せてごらんになっていただきますとよりわかりやすいと思います。

1980-19891990-19992000-20092010-2019・2020-と年代ごとにわけてまとめています。

  

 2023年
 
◆新潟国際アニメーション映画祭 2023年3月19日 新潟市民プラザ
 
新潟市内で開催された映画祭でゴティックメードが永野護監督トークショー付として上映された。
当日は上映前に永野護氏・川村万梨阿さん・井上伸一郎氏が登壇し、30分程のトークイベント後上映された。

以下にトーク内容を列記する
※当時の記憶・記録を基に記載するため内容に誤りがある可能性があります。また文脈の辻褄合わせる為に一部の会話を入れ替えています。
※以下のサイトにて別途絵ックメード:20世紀のメカとGTMの違い 「新潟国際アニメーション映画祭」で永野護監督が秘話語る
 MANTANWEB 花の詩女 ゴティックメード:「第一声から言うことなし」 永野護監督&川村万梨阿が語る収録の裏側 「新潟国際アニメーション映画祭」
 MANTANWEB 花の詩女 ゴティックメード:伝説のアニメ 少人数の作画スタッフで制作 「新潟国際アニメーション映画祭」で永野護監督が語る
 MANTANWEB 新潟国際アニメーション映画祭:初開催の成功と課題 新潟ならではの特色を
 チークさんブログ「絶対秘密」 3月19日、新潟国際アニメーション映画祭でのゴティックメード
 
[冒頭あいさつ] 
MN:永野護氏 MK:川村万梨阿さん SI:井上伸一郎氏
井上氏が登壇し、上映前にトークショーが行われる事、トークショー後にマスコミ、一般客を含め撮影の場を設けることを説明。
トークの骨子をしっかり作ってきていらっしゃったようで、都度用紙を確認しながら進行されていました
(画像をSNSにあげてよいか、動画撮影は可能かの言及は特にありませんでした)
その後永野護氏・川村万梨阿さんが舞台袖から登場、お二人の服装については前述のメディア記事を参照ください。
トークショー開始前に、観客の「まもしん」「永野ぉー」と書かれた手作りうちわを持ってるお客さんについてマリアさんがさらっと言及してからトークショー開始。
MK「まもしんってゴチメの映画作ってる時のポッドキャストの番組なんですよね。」
MK「ゴティックメードを制作してた当時、ニュータイプの女性編集者たちがなにやってるんだろうとすごく不思議がってて」
IS「角川書店の社長室でやってたからねぇ。懐かしい。覚えていてくれて嬉しいですね。(※当時井上氏は角川書店社長)」
 
SI「こういったご夫婦のトークショーは久々ですよね?」
MK「渋谷のタワーレコードの時以来?違う?」
MN「多分新宿の柿落としの時じゃないかな?忘れたよ、一杯上映したから。あ、思い出した!カイゼリン持って出た時だよ(佐々木)望くんと。」
新宿こけら落としは2015年4月。佐々木望氏と一緒に出演した上野こけら落としは2017年11月。一番直近の共演は2018年12月のEJアニメシアター新宿特別上映時
MK「あぁ、あのカイゼリンをダイオウグソクムシって表現しちゃった時のw」
SI「こういった機会は貴重な場ですね。皆様きてくださってありがとうございます。」
MN「新潟来たの初めてなんだけど、来る時新幹線で日本縦断してるなーって。窓から雪山見ながら、おおぉーって。」
MN「あ、自己紹介忘れてました。ゴティックメードの監督その他沢山や、サンライズでもデザイナーやってた永野護です。」
SI「自己紹介してもらうのすっかり忘れてましたねw」
MK「ベリン役を勤めさせて頂きました川村万梨阿です。」
 
[ゴティックメード制作開始時エピソード紹介]
SI「それではトークショーを始めさせて頂きます。」
SI「ゴティックメードって最初30分位の話の構想だったのが、どんどん長くなって最終的に70分くらいになったんでしたっけ?」
MN「色々段階あったから・・・。ゴティックメード上映って十年前だよ。作りはじめたのはその数年前だし。覚えてると思う?」
MK「最初は短かったんですね。」
MN「齋藤優一郎君、当時マッドハウスで現在はスタジオ地図の。ゴティックメード立ち上げる時に業界離れて長いんでしょって心配して細野君の絵コンテを参考用に用意してくれて。」
MK「さっき偶然お会いしたんですよね。」
MN「それで思い出して。」
SI「当初、永野さんと、名倉君と門上さんの3人でスタートしたんですよね。」
MN「メカと世界観とかは全部1人でやったけどね。」
MN「マンガはトーン以外は1人の作業だけど、アニメは自分以外の人が描いてくれてるから雰囲気とか動きが少し違うから作品が深くなったと思う。」
MN「特にトリハロンとベリンのやりとりのシーンはそれが顕著だった。」
SI「私が感動したのは永野さんの絵がそのまま動いていたことですね。」
MN「エルガイムの時は大森君や北爪君、劇場版は結城くんが原画などを描いてくれたけど、あれから時間が経って、今なら自分でやれるかなって。あと名倉くんもいたし。」
MN「ゴティックメードのような人物の芝居を描ける人って本当に少なくて、人の仕草とか、参加してくれた彼らがいるならって。」
SI「ベリンは万梨阿さんにすごく似ていると感じました。」
MK「最初のデザインができるところからみていたので、どうなるのかなー?ってところから、役を実際にやらせていただけることになって!」
MK「いつ完成するのかも全くわからなかったですし。最初ナレーションだけお願いって話もありましたよね?」
MN「最初1人で作ろうと思ってて、幾原邦彦君に可能かなって相談して、そういうふうにならって話だったかな?」
 
[ゴティックメードアフレコ時エピソード紹介]
SI「声を当てる時に演技指導とかはありましたか?」
MK「いじわるだから何もなくて!」
MN「各キャラはキャスト決め打ちだったし、演技指導なんていらないじゃんってw。大正解だったよ。いうことなかったもん。」
SI「キャストといえば、万梨阿さんと望くんって仲ずっと良かったですよね。」
MK「事務所が当時は一緒で、新人から知ってて、おぼっちゃまで沙麻代ちゃんと柿野君演じてずっと4年くらい一緒で、当時の皆とはずっと仲良いんですよ。」
SI「最初からわかり合って演じてた感じでしょうか?」
MN「ベリンとトリハロンが言い争うシーンとかNGなしだったよ。」
 
[カーテンコールについて/ファイブスター物語とゴティックメードの関係性]
SI「ラストのカーテンコールで、あぁ・・・ゴティックメードってファイブスター物語だったんだってわかっちゃうシーンはいつから考えていたんですか?」
MN「アニメ作品って色々な人が関わって作るから、どうしても何かしら漏れちゃうことあるんだけど、皆んなその辺はきちんと守ってくれたから安心して出来たんだよね。」
MN「ファイブスター物語のMHをGTMに移行させよう、そう考え始めたのは、メカをデザインしてる時、ガストテンプルやカンをデザインしてた頃にあぁこのデザインラインは自分の中では終わったなと感じて。」
MN「あ、MH好きな人ごめんね。レッドミラージュとか好きで、ダッカスやカイゼリン認めねーってのも僕は怒りません。好きでいてくれるのは本当に嬉しいです。」
MN「作品の中でロボットの比率は僕にはとても大きくて、それに満足出来ていないのはとても大きなストレスだった。このままでは作品がダメになってしまうかなと。」
MN「WSCの生嶋さんにガストテンプルの監修で会った時だったかな。ガストって異色なんだけど無理にMHに引き戻した感があって、徐々に移行させていくのは無理だなって悟った。」
MN「カーテンコールの制作は1人でやってたから。絵コンテではEとFパートなんだけど。」
MN「エルガイムやZガンダムに関わっていたときに富野さんから学んだんだけど、一話放送時、OP映像とか自分もスタッフなのに全く知らない間に出来ていて。」
MN「本当にいつのまにか出来てて。隠そうという意識はなくても昔はそうだったなぁと。」
MK「試写会で観た時、みんなひっくり返っちゃって。ラブ役の大谷さんは特に驚いてて、私の演じたキャラが画面からはみ出てるっって!」
MN「大谷ちゃん本当にごめん!」
SI「自分は知っていたけどそれでも感動したし、みんなビックリしてたよね。」
MN「あと、今だから言っちゃうけど小田雅弘さんが遊びに来てくれた時、GTMってなんなのって質問されて、ZAP見せて、これレッドっていったら、ひっでーって言われたんだよねw」
MN「あと万梨阿さんにはこの辺説明してもどうせわかんないでしょって思って説明してなかった。」
 
[ファイブスター物語近況と世情との関係性]
SI「最近の連載にはトリハロンとベリンから繋がっている話がでてきていますね。」
MN「9巻からゴティックメードの話は頭の中にあって、12巻の頃に葛藤があって、そしてゴティックメードのシナリオが出来て。今連載の6話ラストまでが花の詩女です。」
SI「最近掲載されたナカカラのエピソードを読んだ際に、ウクライナ・ロシア戦争の事が頭に浮かびましたが、やっぱり影響はあったのでしょうか?」
MN「直接的な影響としてすっごい作品には悪影響で。ずっと描こうと決めてきたことがあって、そこで戦争があって、意識せざるを得ないし。でも生々しく取り込みたくないし。」
MN「ずっと先30年後とかに、すっと読める程度でなら良いんだけど。葛藤があった。」
MN「ほら地理的にもロシア南部戦線とかキーフとか昔からすごく知ってるし。どうしようもない状況だけど、作品が引っ張られないようにするにが精一杯だよ。」
 
[永野氏の膨大な知識量]
SI「永野さんは色々なことを深く知っているのに都度驚くんだけど、いつその辺を勉強したりしてるの?どこにそんな時間とかあるのだろうかと。」
MN「情報を集めるのが昔から好きだった。例えば戦車や飛行機について、今ならwikiやYoutubeあるけどそういったものではなく、自分で情報を収集して2〜3年は自分の中でこねくり回して消化してからそれらは作品に活用している。」
SI「スタント遊星とか最近びっくりしました。最初は単に惑星一つという設定だったと記憶しています。どんどんスケールが…。GTMについてもそんな感じなのですか?」
MN「モーターヘッドやヘビーメタル、モビルスーツとかの20世紀のメカって原子力とか光子力というエネルギー概念だった。馬力とかエネルギーという観念で。」
MN「でもGTMはそうじゃない。素粒子で稼働しているという大きなエネルギーを想定した。これが21世紀のメカだと。それを突き詰めるとツインスイングを持つGTMだなと。」
MK「知識量もすごいんだけど、うっかり地雷踏むと延々と解説が始まっちゃうんです。もうわかりましたわかりましたとなっちゃうの。お陰で私もそれなりに博学になりました。」
MN「あ、この場では言ってなかったけど彼女とは夫婦だから。17〜19歳くらいから付き合いだして。」
MK「今それを聞いてびっくりした人がいれば、今回一緒に来た甲斐あったかな、なんちゃって。」
MN「お互いの守備範囲が違っているから、我も強い同士だからゆずらないけどうまくいっているのかな。」
 
[宣伝タイム/フォトセッション]
SI「そう言えば色々紹介しなくちゃいけないのでした。(数冊の書籍を手に持って)まずこちらが10日前に発売されたFSS単行本17巻ですが。」
MN「表紙イラストは次の巻をイメージすることが多いんです。これは18巻のを、だね。」
SI「そしてこちら佐々木くんの本(声優、東大に行く)で、こちらの表紙も永野さんが描いてます。」
MK「17巻の進行に少し余裕があったから描けたんだよね。」
SI「オーダーは望くんをイメージして描いて欲しいんだったんだけど・・・。」
MN「そういうの苦手、んで望くんと話してOKもらってトリハロンに。」
SI「彼は掴みどころがなくて少しユニークで。すごく勉強もされていて。」
MN「勉強が趣味なんだよ、きっと。」
MK「GTMの時は、英検受験や通訳資格試験してたけど、全然おくびにも見せないで普通にお仕事していた。教えてもらったのって・・・。」
MN「GTMの打ち上げの時だったから翌年だったかな。」
SI「突然の重大発表だったですよね。で、東大の後また学び直しをしていますし。」
MN「この本アニメコーナーじゃなくて受験コーナーに置いてあったりするよね。」
 
 [ラストメッセージ]
SI「それではそろそろラストメッセージを。ゴティックメードの自信あるところとか是非見て欲しいところとかありましたら。」
MK「ベリンが種蒔くところかな。先に曲が出来ていて、ある日(原画担当の)門上さんが来て」
MN「彼女がそのシーン全部描いてるの。」
MK「どう描こうかなってなってて。参考にしたいから踊って欲しいと言われて、角川第二本社の屋上で踊ってるのスケッチされました。」
SI「動画を取るのではなく、スケッチというのがすごい。」
MN「それが良かったのかもね。屋上花壇あったのもよかったね。」
MK「私の手首折っている、癖のようなところも再現されてたんです。」
MN「まるでトレーシングスコープみたいね。」
MN「僕の性格だと、作品を1カットでも観ちゃうとアソコ直したいココ直したいってなっちゃうから、営業トークとしてでもその質問は答えるのは難しいかな。」
MN「60分で纏まっていてFSS知らなくても大丈夫な作品で、ロボも出てくる。」
MN「日本のアニメではあまり力が入れられていない音響にも、特に巨大なものが動くときのブローバックとアンブローバックとかの細かいところだけでなく、全体的に。」
MN「予算に恵まれておかげで面白い音響の作品と評価して貰えてうれしい。」
MK「井上さんは作品に関わられていかがでしたか?」
SI「ファイブスターの連載してる編集部のすぐそばで作業されていたので楽しかったです。毎年永野さんの誕生日にケーキ食べられるとかもありましたしね。」
MN「2000年代に入って作られた作品ですけどスタジオの雰囲気は明るくて80年代のような雰囲気を持てたのが良かったですね。」
 
その後係員よりフォトセッションに移る旨説明あり。
最初永野氏がおどけて背中向けてパーカー広げてて、最初意味わかんなかったけど、腰の裾あたりにZAPがプリントされているのをアピってたご様子。
真ん中のマリアさんがお二方と腕を組んでました。
その後ステージ右側、左側に移動して一般客向けの写真撮影し、退場し終了。
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