部屋の立ち退き


大学というところは、一体どうなっているのだろう?

2003年12月23日(火曜日)のお昼頃、新潟大学大学院自然科学研究科管理・共通棟の5階に行くと、私がいる部屋のドアが開いていて、中では○○さん(理学部自然環境科学科助手)と女子学生がメジャーであちこち計測しているところであった。○○さんの話では「羽角くんは、理学部1階の××さん(生物学科教授)の部屋に入ることになったから......。鍵も開いてるだろうし、見に行ったらいいよ。このことで渡辺さんも探してるから、すぐに連絡取ったほうがいいよ。僕も今週中には移って来るから......」ということであった。

そのため、すぐに××さんが使っていた部屋(現在いる部屋の1/3くらいの広さ)を見に行ったのだが、あいにく鍵が掛かっていて中には入れなかった。その足で、大学院自然科学研究科生命環境棟の渡辺勇一先生(現在の指導教官)の部屋にも行ったが、不在であった。とにかく渡辺先生にメールを入れて、連絡を待つことにした。そうこうするうちに、その日の午後1時半を回った頃から、○○さんのところの学生さんたちが来て、部屋に荷物(段ボール箱20個)を運び入れていった。

その日の午後5時過ぎに○○さんが私の部屋に来て、今回の立ち退きのことで色々と話をしていった。彼が言うには「26日(金曜日)の午前10時に一斉に引っ越しするから、それまでに部屋を空けてくれればいい」とのことで、更に言うには「(自然環境科学科の)他の先生方の中には『我々が部屋を使うことは、もうとっくに決まってるんだから、そこに居座ってる人には構わず、荷物を運び込んでしまえ(1)』という人もいたんだけど、それを僕が抑えていたんだ」そうである。こうして部屋の立ち退きが既成事実になったことを受けて、午後6時45分、行き先表示板から私の行き先を示した紙を取り外し、貼ったばかりの「ドアをノックせよ」という注意文も剥がした(思えば、たった11日間の儚い命であった)

この急な立ち退きのことで、私が早急に対処しなければならない案件は、まず第一に「これまで使用していた電話(025-262-7949)がどうなるのか」ということであった(電話といっても、市外局番やフリーダイヤルなどの、0から始まる電話番号には掛けられない代物である)。このままでは、外部との連絡手段は電子メールだけになる恐れがあった。しかし、立ち退き期限までの最終的な調整で、元いた部屋に電話を置いていくことになり、移動先の部屋では電話のない生活を送ることになってしまったのである(2)。

第二の案件は、移動先(××さんの部屋)の端末では、まだIPアドレスが設定されていないことであった。そのため電子メールやインターネットも使用できない状態になり、ホームページの更新も出来なくなる恐れがあった。そこで、その日の午後9時16分に理学部のホームページから、IPアドレスを取得するための「端局設置承認申込」のフォームを送信した。そのとき「本日12月23日(火曜日)、現在いる自然科学研究科管理・共通棟の部屋から、25日(木曜日)の夜までに理学部C棟1階の部屋に移るように指示されました。電子メールのやりとりやホームページの更新などで、IPアドレスを早急に取得しないと仕事になりませんので、お忙しいところ誠に申し訳ありませんが、宜しくお願いします」とのコメントを添えた。それから端局設置承認申込のフォームを送信したことを渡辺先生にメールで伝え、現在いる部屋を急に立ち退くことになった旨、何人かの親しい友人にメールした。更には、大学内にいる数少ない知り合いの一人に「手伝いをして欲しい」というメールを送った。

その知り合いに手伝ってもらって、24日(水曜日)の午後から、私ひとりでは運ぶのが難しい荷物を台車に積んで、2人で移動先の部屋まで何往復もし、午後6時頃までには、あらかたの荷物を運び出すことが出来た。その後は私ひとりで午後10時過ぎまで、ちまちまと台車を使わない荷物運びと整理を繰り返した。

25日(木曜日)、残りの荷物を何回かに分けて運び出した。お昼頃、メールを読んだ新潟県長岡市在住の藤塚治義さんが、私のことを心配して訪ねて来てくれた。さすが持つべきは友、同じ釜の飯を食った仲間(大学時代のクラスメート)である。なんでも「仕事で新津から巻に行く途中に立ち寄った」とのこと、彼には荷物運びを少し手伝ってもらい、おまけに昼飯まで奢ってもらった。本当に、有り難いことである。午後5時を回った頃、これまで取り外していた部屋の蛍光灯4本を取り付けた。「発つ鳥、跡を濁さず」といったところである。午後7時、風が出て天気が荒れてきたので、午後10時以降に運び出す予定であったPCの電源を切り、その最後の荷物を運び出すことにした。これで電子メールやインターネットは、移動先の部屋のIPアドレスが設定されるまで使用不能になる(この段落の、ここまでの文章は、他に何もない部屋の床に腰を下ろし、PCに向かってリアルタイムで書いている。それでは、そろそろPCの電源を切るとするか......。これで、しばらくは外部との連絡手段が完全に遮断されてしまうことになる)。こうして移動先の部屋にPCを運び込み、元いた部屋の掃除をしてから、午後8時20分、その部屋の明かりを消して鍵を掛けた。翌26日、事務部の庶務係長に部屋の鍵を返却し、部屋の立ち退きの完了と相成った次第である。

後は移動先の部屋で、間を置かずにIPアドレスの設定が出来れば理想的で、私としては何も言うことはなかった。この2日間という短い立ち退き期間中におこなった、渡辺先生とのメールのやりとりの段階では「IPアドレス取得の件で○×さん(物理学科助教授)には早急に動いてもらう」という、かすかな希望を抱かせるものがあった。しかし蓋を開けてみると、26日(金曜日)は大学の仕事納めで、この日、端局設置の決定通知書が来なければ、少なくとも仕事始めの2004年1月5日(月曜日)までの丸10日間、手足をもがれた状態になってしまうのは目に見えていた(3)。

もうひとつの問題点は、端局設置の決定通知書が私にではなく、渡辺先生に行くことであった。渡辺先生は、私が電話も電子メールも使えない(つまりサーバがメールを受信しても、それを開くことが出来ない)状態で、どうやって私にIPアドレスを知らせることが出来るのだろう?

これはもう私が、ちょくちょく渡辺先生の部屋を訪れて、決定通知書が届いたかどうか尋ねるしか方法がないのかもしれなかった。27日(土曜日)の午後4時40分、その日3度目の訪問で漸く渡辺先生がつかまり、話を聞くことが出来た。それによると「こういうのは文書で届くことになっていて、○×さんから『IPアドレスの決定通知を発送した』というメールが入ってたんで、(生物学科の)事務室に見に行ったんだけど、来てなかった。(29日の)月曜には(理学部の)庶務の誰かが来るだろうから、そのとき取りに行って、君に渡すよ」ということであった。IPアドレスを年内に設定するのは半ば諦めかけていたときだけに、有り難い話であった。これで予定していたホームページの更新作業が年内に出来るようになり、なんとか年の瀬を山形の実家で過ごせそうな気がした(しかし、月曜日に庶務係が誰も来なかったら、そこにあるはずの決定通知書を手に入れるのは不可能になってしまう)

29日(月曜日)になって、大学に行き「ドアの下にある透き間から、中にIPアドレスの決定通知書が入れてあるんじゃないか?」と期待して部屋のドアを開けてみたのだが、そこには何もなかった。そのため、渡辺先生が決定通知書を持参してくれるのを部屋で心待ちにしていたのだが、一向に現れる気配がなかった。しびれを切らして、お昼を過ぎてから3度ばかり渡辺先生の部屋を訪ねてみたのだが、いずれも不在であった。仕方がないので午後4時20分頃、理学部1階にある公衆電話から自宅のほうに電話を入れてみた。すると、電話に出た渡辺先生が「どうしても急ぐのかね。いったい君は何をしたいんだ?」とおっしゃるので、私としては「この言い方からすると、たぶん忘れていたんだろう」とは思っても「ネットにつなげたいんですが、庶務が来ないとかで、どうしても駄目でしたら、仕事始めの1月5日まで待つしかありませんね」と返答して、事を収めるしかなかったのである(4)。

これを受けて、元々2003年12月27日更新の予定で作成していた「html」ファイル数個の日付を、何度も何度も書き改めることになってしまった。「私のように仕事が速いのも、他人が絡んでくるときは考え物だなあ!!」と思った次第である。

明けて2004年1月5日(月曜日)の午後2時5分、渡辺先生がドアをノックして部屋に入って来て「(IPアドレスの決定通知書が)まだ届いていない」と知らせてくれた。なんでも「学内便は届くのに2日かかる(5)」そうで「○×さんが『(先月の)26日に発送した』というのは、自分の所から出たことだろうから、もう一日だけ待ってみるしかない」とのことであった。

6日(火曜日)の午後2時20分頃、私宛ての郵便物を受け取りがてら、生物学科の事務官にIPアドレスの件で尋ねてみると「(庶務の)ボックスに、ないんだよねえ」とのことであった。端局設置の決定通知書が入った封筒は、途中で行方不明になってしまったことになる。が、このまま手をこまねいていても仕方がないので、午後4時30分頃、○×さんの部屋を訪ねてみることにした。部屋の前まで来たところで、何か急かしているような厚かましさを突如として覚え、在室であることだけを確認して引き返した。その足で、また生物学科の事務官のところに行って尋ねてみると「(午後)3時半に見に行ったけど、まだ来てなかった。直接、電話してみたらいいよ」と電話をかけてくれたので、思い切って○×さんと話してみることにした。すると意に反して「(あなた方が)『急ぐ』と言うから、文書は後で送ろうと思って、先にIPアドレスだけメールで知らせてあるよ」とのことであった。

「あれれ」である。先月26日の段階で、とっくにIPアドレスは分かっていたことになる。これで今回の騒動は、渡辺先生(と私)の「IPアドレスの決定通知は文書でしか来ない」という思い込みから生じたものであることが、はっきりした。「渡辺先生くらい忙しい人になると、メールをちゃんと読んでいる時間も取れないことに、早く私が気付くべきだった」と、反省した次第である。

○×さんにお礼を述べて、すぐさま渡辺先生の部屋に行き、事の成り行きを説明すると「彼が文書で(通知を)しないなんて珍しいな」と言いながら、過去のメールを調べてくれた。しかし、IPアドレスを知らせる○×さんからのメールを、渡辺先生は既に消してしまっていた。こうなったら電話で直接、教えてもらうしかない。こうして艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越え、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、漸くIPアドレスを手にすることが出来た次第である(6)。

と、ここまで書いて来て「本文の主旨が読者に誤って伝わるかもしれない」ということに気付いた。私は、ここで渡辺先生を非難しているわけではない。むしろ、感謝している。私が言いたいのは、あくまで「部屋の立ち退きに際しては、移動先の部屋が確定してから、その部屋の端末でIPアドレスを取得するために、少なくとも2週間の猶予期間を与えて欲しかった」という、研究者なら当然の切なる願いなのである。

[脚注]
(1) やっぱり大学って変だ。「この部屋を我々の学科(理学部自然環境科学科)が使用することは、9月の時点で決まっていた」という○○さんの話が本当だとしても、その申請書が11月1日付で提出されていなかったのは事実である。また、私が11月14日付けで送った「私がいる部屋を○○さんが使用するらしい」というメールに対して、渡辺先生は「全くの初耳だ」と返答している。渡辺先生も知らないことが、水面下で押し進められているのは、どう考えても腑に落ちない。それに「居座ってる」も何も、移動先も決まっていないのに、どうやって部屋を立ち退けというのだろう?
(2) 移動先の部屋に電話が無くて、早速、困ったことが起きた。私は、よくインターネットショッピングを利用するのだが、ある商品を2004年1月13日(火曜日)に注文したときは、登録に電話番号の記入が不可欠だったので、携帯電話も持たない身としては、元いた部屋の電話番号を書かざるを得なかった。そのときは「代金引き換え(代引き)」による決済にもかかわらず、登録された電話番号では宅配便業者が掛ける電話に出るのが不可能だったことで、商品を注文した通販会社にメールで事情を説明して、配送の日時指定と届け先の部屋番号指定をおこない、その時間帯には確実に部屋に居る必要が出来てしまったのである。
(3) せめて1週間前に移動先の部屋が分かっていれば、仕事納めの12月26日(金曜日)までにはIPアドレスの決定通知書が届いていたかと思うと、有無を言わさぬ大学のやり方には怒りを覚える(22日の夜の会議で、理学部1階にある部屋を使用することが、急に決まったそうである。そのことを私が通告されたのは翌23日だから、その日のうちに端局設置承認申込のフォームを送信しても、26日まで3日間の猶予しかなかったことになる)。あれほど「独り言」の中で警告を発しているのに、いきなり移れでは......(聞くところによると「私の『独り言』を秘かに読んでいる大学関係者が多い」という話である)。
(4) あらゆる努力を尽くした上で、駄目なときは潔く諦めるのが、物事に対する私の信条である。そのため、IPアドレスが年内に取得できないときの最終手段として、この部屋に元いた××さんが後片付けの最中に部屋を訪ねてくれたときに「ここのIPアドレス、まだ生きてますか?」と尋ねてみたのだが、よく分かっていないようなので、この可能性を追求するのは止めることにした。また、私のPCがノートタイプであれば、持ち運びが簡単なので、元いた部屋に持って行って、まだ生きている端末につなげ、サーバに溜まっているメールを開いたり、ホームページを更新したりすることも可能だったのだが、いかんせん大荒れの天気と、持ち運びに不便なデスクトップタイプのPCということもあって、それも叶わなかったのである。
(5) 同じ理学部の建物内でも「学内便は届くのに2日かかる」というのは、初めて知った。生産者から消費者に商品が届けられるのに「仲買人を通すことで値段が高くなる」のと同じ原理である。「生産者直送が出来ないのか?」と思う次第である。
(6) TCP/IPの設定には、IPアドレス以外にも、理学部C棟1階のゲートウエイアドレス(=ルータアドレス)が必要なのだが、これは渡辺先生が元いた部屋(C棟3階)のPCで設定されていたゲートウエイアドレスと、生物学科図書室(C棟2階)にあるPCで設定されているゲートウエイアドレスから類推して入力したところ、上手く接続することが出来た。こうして12日振りに開いた(12月25日の夕方から1月6日の夕方までの)メールの数は、たった33件であった。正月休みと重なったせいか、思ったほどの数量ではなかったことが「せめてもの救い」といったところではある。ちなみに、この「独り言」をアップする1月24日の時点で、まだ端局設置の決定通知書(文書)は届いていない。


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