一人の部屋


2003年10月の第4週に入ってから(20日〜)、新潟大学理学部生物学科では、新築7階建て(地下1階?)の大学院自然科学研究科生命環境棟への引っ越しが始まっている。管理・共通棟5階にある大部屋の、他のグループの大学院生や留学生たちも、23日(木曜日)あたりから荷物を片付け始め、28日(火曜日)には大方の荷物を運び出してくれた(1)。

その一方で「私は?」と言えば、現在のところ誰からも「新棟へ移れ」という指示を受けていないので、この部屋をしばらくは一人で使うことになりそうである(年度末の2004年3月まで?)。一人になってみると、なにもかも良いこと尽くめであった(2)。

第一に、とにかく部屋の中が静かである。論文や雑文などの原稿書きに集中しているとき、他人の大声で思索を邪魔されないのが良い。PCのキーボードを叩く音が、こんなにも響くものであったことに、初めて気付いた。それまでは、特にバングラディシュ人留学生の電話の話し声が大きく「電話口に向かって怒鳴らないと相手に聞こえない(3)」とでも思っているかのようであった。何度、注意しても改まらないので、電話機の後ろの壁に「Please speak in a low voice when calling anyone. You are very loud!」という貼り紙をしたのだが、パキスタン人留学生の筆跡で「CRASY!」と書かれ、この注意事項が守られることはほとんどなかった(スペルが間違っている。書くなら「CRAZY!」だろう)

ネットが速くなったことも、特筆される。これまでは、学内LAN(Local Area Network)への接続を、1つの端末からハブを通して4台のPCにシェアリングしていたのが、私のPCへと情報が100%流れるようになった。元々は、この部屋でネットをやる人が他にいなかったので、私だけが使っていた端末である。

部屋の明かりの点灯が、私の自由裁量になったのも大きい。たいていの人は、部屋を長時間、留守にするときでも、明かりを消すことは滅多にない。これまで部屋を離れるときは「ここにいる人たちは、電灯のスイッチをオフにしてから、部屋を出てくれるだろうか?」と、気を揉むことが多かった(4)。

帰宅時に部屋の鍵を掛けようとして、他に人が残っていないかどうか、5階のフロア全体を確認する手間が省けるようになったのは、非常に有り難いことである。部屋の入り口には、各人の「行き先表示板」があるのだが、ほとんどの人は「帰宅」のままで、動かそうとする意思がなかった。それなのに、部屋の中や実験室にいたりするのだから、何のための行き先表示板なのか、分からなくなってしまう。たまに、思い出したように動かしても、今度は「食事」のままで戻ってこなかったり「在室」のままで、いなくなったりすることが多かった。「これらの行為が、他人に迷惑をかけている」という事実に思い至る知性というか、他人への思いやり、心遣いといったものが欠けているのは、とても哀しいことである。

そもそも「何故これ程までに私が、こういったことにこだわるのか?」と言えば、それは数年前の、ある事件に端を発している。まだ博士課程の大学院生しかいなかった頃の話だが、夜中の2時過ぎに実験が終わり「さて、帰ろうか」と実験室から出てみると、廊下が暗闇に包まれていたことがある。真っ暗な部屋のドアを開けようとすると、案の定、鍵が掛かっていた。私は、ちゃんと行き先表示を「実験室」にしていたし、部屋の中には、私のジャケットや外履きが置いてあった。また、スクリーンセイバーの掛かった私のPCが動いていた。しかも、私の机の上には鍵の束が置いてあり、その中には、この部屋の鍵も含まれていた。実験室に私がいることを承知で、わざと鍵を掛けたことは明らかだった。このような子供じみた嫌がらせをする大学院生は、一人しかいなかった。困り果てた私は、この部屋の鍵を持っている他の大学院生で、まだ起きていそうな人に電話をして鍵を借り、どうにかこうにか事なきを得たのである。それ以来、常に鍵の束を身に付けるようになったことは、論を待つまでもない。

ヒーターの設定温度が20℃以下で使えるようになったのは、地球環境への負荷を考えると、とても良いことである。これまでは、その設定温度を巡って、バングラディシュ人留学生との攻防が絶え間なかった。彼は他でも同じことをやるに違いないから、根本的な解決にはなっていないのだろうが、彼の身勝手な行為によって、少なくとも私が悩まされる事態だけは避けられそうである。

机の上の照明器具が、使用可能になったのも有り難い。これまでは、ずっと使っていたコンセントを隣の机に移ってきたパキスタン人留学生から占拠されて、照明器具が使えなかった。細かいところでは、彼の貧乏揺すりや香水の匂い、彼がランチ用に電子レンジで温めるカレー味のパスタから部屋中に立ちこめる独特の匂いに、悩まされなくて済むようになったことが収穫である。また、彼が隣で年がら年中している「嫌な咳」によるウイルス被害を、受けなくて済むようになったことも収穫である。

これまで机の下の奥にあるスペースに入れていた外履きを、堂々と机の脇に置けるようになったことも嬉しい。元々は、机の脇にある自分のスペースに、脱いだ外履きを綺麗に並べていたものだが、パキスタン人とバングラディシュ人の留学生に、いつも足で蹴られて、ぐちゃぐちゃにされるので、注意したところ「この部屋は大学のものだ。そんなに嫌なら、俺たちの足の届かないところに置け」と逆ギレされて、泣く泣く机の下に入れるようになったものである(これも嫌がらせ?)

嫌がらせと言えば、バングラディシュ人留学生がよくやる行為があり、それに目を光らせる必要がなくなったことも、本当に有り難い。私の日課というのは、大学に来てPCを立ち上げながら、お湯を沸かし、コーヒーサーバーにドリッパーとペーパーフィルターをセットして、コーヒーを入れるというものである。入れ終わった後、流し台のシンクにある排水溝の上にドリッパーを置き、お湯をあらかた切ってから、コーヒーの出がらしが入ったペーパーフィルターを捨てるのだが、その間2〜3分は、その場を離れることが多い。その隙を狙って、彼は流し台の給湯器からお湯を出して顔や手を洗い、コーヒーの出がらしをシンクに散らばらせるのであった。慌てて「今、排水中だ」と注意すると、いつも彼は「気付かなかった」と言うばかりで、悪びれる様子もないのであった(目の前にあって、気付かないわけがないだろう)

このバングラディシュ人は、風呂に入ったり、シャワーを浴びたりする習慣がないらしく、また同じ服を3週間くらい着ているせいもあって、悪臭が酷(ひど)く、特に夏場は近くに寄られただけで「うっ」となることが多かった。彼がエレベータから降りた後に乗ると、内部にこもった彼の残り香、というより強烈な悪臭に耐えられなくて、すぐにエレベータを降りたものであった。何度、彼に「You smell strange!」と言おうと思ったかしれない。その度に、昔の私を思いだし(彼ほど酷くはなかったけれど)、喉まで出かかった言葉を飲み込んでいたのである。そんな私の心遣いに気付くことのない彼は、相変わらず自己中心的で身勝手な振る舞いを繰り返し、周りに迷惑をかけているのであった。そんな彼とも、お別れである。まあ、いずれにしても「イスラム教徒は扱い難い(注意されると攻撃的になる。これは、個人の資質の問題なのかもしれないが......)」という確かな教訓が得られただけでも、良しとしようではないか!!

他に嬉しいと思うことは、流し台にある公共のスペースが綺麗に使えるようになったことである。これまでは、そのスペースにカレー、牛乳、インスタントコーヒー、砂糖、粉ミルク、等々がこびりつき、私がコーヒーを入れるときは、その前に綺麗に掃除をする必要があった。余りの公共意識の低さに呆れ返り、流し台の後ろの壁に「After using the side space of the sink, please clean it. Do not spill any things!」という貼り紙をしたのだが、いつの間にか「spill」「spell」と書き換えられ、そのことに私が気付くまで、意味の分からない文言になってしまっていた。結局、貼り紙の効果はなく「その公共のスペースを常に私が掃除する」という異常事態が続いていたのだが、今回の引っ越しで、それも漸く終わりを告げることができた。

コーヒーと言えば、ブルックスファーム(Brook's Farm)から色々な種類の豆を箱で購入しているのだが、これまでは、その箱を置くスペースさえ取れなかった。そのため、豆の入った100gパックを週に2〜3袋ずつ下宿から持ってきて、コーヒーを入れていたのである。11月2日(日曜日)、その箱を下宿から持ってくることが出来た。ついでにPC(Macintosh Performa 6210)とプリンター(Hewlett Packard LaserJet 5L)の空き箱を、下宿から部屋へと運び込んだ。これらは元々、部屋にあるロッカーの上に置いていたのだが、生命系旧建物利用調整委員会の委員の一人である某教授から、理由も示されずに「ロッカーの上にものを置くな」と言われたことで、置き場がなくなって困り、泣く泣く下宿まで運んだものである。

この部屋に他に人がいなくなったことで、自由にクラシック音楽をかけられるようになったことも収穫である。これは「人の話し声に邪魔されるより増し」という判断から、作業効率を上げるためのバックグラウンドミュージックとして流していたものである。以前は、音の強弱の少ないアダージョ系のバロック音楽CDだけを選び、しかも「人の話し声よりも小さな音で」私のPCから流していた。しかし、それにクレームが付いて、音楽をかけることが出来なくなってしまったのである(私に直接クレームを付ければいいものを「わざわざ教授会の席で、現在の指導教官である渡辺勇一先生に話があった」というから呆れる)。そのとき注意されたのは「誰か一人でも、うるさいと思う人がいたら、君は音楽をかけてはいけない」というものであった。私が「人の話し声よりも小さな音でかけている音楽をうるさいと思うのなら、あの部屋では会話も出来なくなりますね」と切り返すと「そういうことだ」と引導を渡されたのである(元々、人の話し声がうるさいから、かけていた音楽である)。私は、音楽CDをかけられる媒体をPC以外に持たず、その注意を受けて不要になったCD50枚近くを実家に持ち帰っていたのだが、やっと人心地がついたので「大晦日に帰省したときにでも持って来よう」と考えている。でも、音楽のない現在の静かな生活も気に入っているから、CDを持って来ても、かけないかもしれないなあ。

ランダムハウス英和大辞典や、印刷した投稿原稿を広げられるスペースが、私の机の隣りに確保できたことも大きい。これまでは個人に与えられたスペースが狭く、辞書を引くのも「椅子の上で」やっていた。また、投稿原稿をチェックするときは、机の上のキーボードを片付けなければならなかった。この部屋に修士課程の大学院生がいなかった頃は、自由に使える机が多く、その上に辞書や投稿原稿を広げることが可能だったから「元のさやに収まった」という見方もできる(5)。

雨に濡れた傘を広げられるスペースが出来たことも、喜ばしい限りである。私は昔から濡れた傘を床に広げて乾かす習慣があり、この部屋に大学院生や留学生が大挙して押し掛けてからは、そのためのスペースが取れずに困惑していた。それが、やっと出来るようになったのである。

でも何と言っても、他人に気を遣わなくて済むのが、最大の収穫かもしれない。こういった感覚は、自分だけの部屋を持っている研究者には、とうてい理解できないものであろう。

[脚注]
(1) すんでの所で、この部屋に備え付けの電話機まで、電話番号ごと勝手に持って行かれるところであった。もう少し正確に言うと、一度は電話機の端末をはずされ、他の部屋まで持って行かれて、電話番号の端末移動が申請された後であった。それを取り消してもらったのである。
(2) 元々は、この部屋を数名で使っていたのだが、それが10人になり、15人になりと、足りない机を運び込むなりして人数が増えていったのである。個人のスペースは狭くなるが、人数が増えるのは構わない。ただ、そのやり方が良くない。いつの間にか、何の断りもなく、勝手に机を部屋に運び込み、新しく来た人からは何の挨拶もないし、紹介もない(1)。そのため、こっちとしては「知らない人が、また入って来たんだなあ」という認識しか、持てないことになってしまう(この部屋にいた私以外の14人の中で、新しく入って来て「Mと申します。宜しく、お願いします」と挨拶してくれたのは、そのMさんだけであった)。
(3) 米国のイラク攻撃のTVニュースを見ていて、日本人ジャーナリスト、または現地特派員が大声で怒鳴るようにして報告していた姿が、印象に残っている。「ああ、バングラディシュ人と同じだなあ」と......。
(4) たったひとつ困った点は、この部屋にいるのが私だけなので、人数割りにすると、これまでよりも部屋の電気を無駄に使用している可能性が高いことであった。11月3日(月曜日)、思い切って、要らないところの蛍光灯を取り外した。
(5) 部屋に元からあった机は、特定のグループに帰属するような代物ではないはずなのだが、いつの間にか次々と運び出され、私の机だけが取り残された。「これからは余った机が自由に使える」と期待していた私だが、こうなっては仕方がないので、実験室にあった持ち主不明の作業台を私の実験器具と一緒に部屋に運び入れ、そのスペースを空けて辞書を広げることにした。

[脚注の脚注]
(1) あなた方は「どうして、いちいち断る必要があるの?」と言うのかもしれないが「この部屋は複数のグループ、または個人が使用していた」という事実を忘れてはならない。他のグループの人に了承を得てから、ものを運び込むなり、人を入れるなりするのが、筋というものであろう。このような、筋の通らないことを平気でするから「大学の常識は世間の非常識」などと、揶揄(やゆ)されるのである。


*以上の独り言を書き上げ、後は「いつアップするか」という万全の態勢でいた11月13日(木曜日)の午後7時を過ぎた頃、誰かがノックもせずに、いきなりドアを開け、部屋に入ってきた。見ると、○○さん(理学部自然環境科学科教授)であった。黙って部屋の中をうろちょろしているので、何の用か尋ねると「(11月から)この部屋は我々(の学科)が使うことになったから......」と言われたのである。この部屋から他に人がいなくなり「漸く部屋が自由に使える」と、ホッと胸をなで下ろしていた矢先の出来事であった。

これまで私が聞いていた話によると、大学院自然科学研究科管理・共通棟5階にある各部屋は「これからは、お金のある研究室が、レンタル料を出して借り上げることになっている」とのことであった。そのため、私がいる部屋は借り手が付かず、空いているので「年度末である来年3月まで、羽角さんが部屋を使うことに問題はない」と聞かされていた。○○さんの話では「この部屋には、××さんが入ることになっている。ただ彼は、もしかしたら現在いるところから動かないかもしれない。もし動くのであれば、あなたには出て行ってもらわなければならない。このことを渡辺先生は知っているはずだ」とのことであった。

これは全くの初耳で真偽のほどが定かではないので、渡辺先生に尋ねると「そんなのは聞いてない」と言うから、事情を知っている他の教授に確認すると「あの部屋はレンタルになっているが、○○さんたちが使用するという申請書は11月1日付では出ていない。それに借り上げ金にともなう実績の問題もあるし、動くかどうか分からない人(××さん)が申請しても、審査には通らないだろう。もし××さんが理学部の改修工事で動くというのであれば、理学部がレンタルしている可能性もあるが、確か、改修の予算が付かなかったのではないか?」と教えてくれた。もしかしたら、○○さんたちの学科が「部屋が空いたから使ってもいい」と勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。

いずれにしても、まずは正式な手続きを経て「この部屋を××さんが確実に使用する」ということが決まった時点で「いついつまで」と期限を切って「部屋を立ち退かせる」ということだろうと思う。そのためには「新しいIPアドレスの取得など、引っ越しにともなう様々な手続きが完了するまでに必要な、2〜3週間の猶予期間を設けて、正式な文書で関係者に通知する」というのが、筋というものであろう(それとも、いきなり来て、また筋の通らないことをするつもりなのか?)。ということで、この独り言のタイトルは「一人の部屋」改め「束の間の夢」とでも、なるのかなあ。


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