2005年8月9日(火曜日)の夜中12時をまわった頃、ロシア人のビクトさんが、ダルハディン湿地の第1調査地の目の前を流れるシシヘデ川から、ロタロタ(淡水性のタラ)を釣り上げて来た。これらの剥製を作製するために、自然史博物館のジャクツマンさんが皮を剥ぎ、身はスープの材料となった。ロシア風の味付けで、ロタロタの身は脂がのって美味であった。スープが出来上がったのは午前1時で、それからロシアのウイスキーとウオッカで宴会が始まった(1)。
11日(木曜日)の午前中に私たち以外のグループが一斉に他の調査地へと移動すると、第1調査地にはサンショウウオ・チームだけが残り、この状態が15日(月曜日)の夕方まで続いた。当初の予定では、サンショウウオ・チームが移動する18日(木曜日)を過ぎても、この地に他のグループは来ないはずであった。ところが、15日の調査が終了してキャンプ地へと戻ってみれば、藤則雄さんのグループ(地球科学)が戻って来ていた。「増水で川が渡れなくなる可能性があるから、予定を切り上げて戻って来た」ということであった。
この間、色んな動物に出会った。キタサンショウウオの調査地には、飛べなくなったタカの幼鳥が切り株の上に留まっていたし、シシヘデ川沿いに飛んで行く鳥(例えば、ハクチョウ、ツル、コアジサシ)が多数みられた。キャンプ地の草原にはタラバガン(プレーリードッグに似た動物)とネズミ(アカネズミの類い)の穴が多く、彼らが穴から穴へと移動するのを何度も見ることが出来た。家畜の類いでは、ヒツジは言うに及ばず、たくさんのヤクも飼われていた。このヤクという動物は、意外と走るのが速く、危険が迫ると「イヌのように走る」という新たな発見があった。また、キャンプ地にトイレを掘っていた藤さんのグループの学生のひとりが「土の中から変なものを見つけた」と言って私のところへ持って来たのは、種類は分からないが、紛れもなくトガリネズミであった。
18日(木曜日)に移動した先のキャンプ地には、藤さんのグループを除いた全員が集まっていて、ここをベースにしたサンショウウオ・チームの目的は、キタサンショウウオの新しい生息地を探すことであった。このキャンプ地にある無数の穴には、ナキウサギが生息しているようで、地面の下から「ピーピー」という鳴き声が聞こえていた。また、キャンプ地の近くでは、遊牧民がフタコブラクダを飼っていた。
21日(日曜日)は、この地にいる全員が第1調査地へと戻る日であった。翌22日(月曜日)には、ダルハディン湿地からの完全撤退である。この日の午前中、シシヘデ川でルアー釣りをしていたロシアンジープのドライバーが、小型のアムールイトウを釣り上げた。これをまた、ジャクツマンさんが剥製を作るために皮を剥ぎ、身は調査隊長の○○さんの手でムニエルにされた。それからすぐに、今度は比較的大型のアムールイトウが釣り上げられ、これも同様に処理された。私もご相伴にあずかったが、身が淡白で、それほど美味しいという代物ではなかった。
モンゴルのレッドデータブック(Shiirevdamba, 1997)に載っているアムールイトウを食べられたのは貴重な経験であったが「本来、優先的に保護されるべき動物を、果たして簡単に食して良いものなのか?」と、最後まで疑問は残ったままであった。
Shiirevdamba, T. (ed.) 1997. Mongolian Red Book. Ministry for Nature and the Environment of Mongolia, Ulaanbaatar, Mongolia.
[脚注]
(1) このとき、調査隊のメンバーの大半は他の調査地に移動しており、ご馳走にあずかれたのはロシア隊、サンショウウオ・チーム、博物館のグループ、タミルさんのグループ(動物生態学)、ナランチェストさんのグループ(分析化学)の20名程度であった。ちなみに、この席で、私はモンゴルの名前を付けてもらった。「ハスバータ」という名前で「ハス」はチンギス・ハンの旗の上にあるシンボルマークを「バータ」は英雄を表すモンゴル語である。もちろん、羽角のハスと懸けていることは言うまでもない。