処刑の場であるゴルゴタの丘に到着しました。まず、長い長いエヴァンゲリストの語りがあって、その後に二重合唱が2回続きます。2番目の合唱の最後、「私は神の子だ(Ich bin Gottes Sohn.)」では、全パートがユニゾンになって強烈な印象を残します。
No.58 MIDI (38.2KB、3分40秒)
そしてゴルゴタという所に着いた。これは「されこうべの地」という意味である。
彼らは苦い物を混ぜた酸っぱいぶどう酒をイエスに与えた。イエスはそれを舐めただけで、飲もうとはしなかった。
兵士たちはイエスを十字架に付けると、くじを引いて彼の衣を分け合った。これは預言者によって言われたことが成就するためである。「彼らは私の衣を仲間うちで分け合い、私の服をめぐってくじを引いた」と。
そして彼らはその場に座ってイエスの見張りをした。イエスの頭上には、死刑の罪状書きが掲げられていた。「この者はイエス、ユダヤ人の王」と。
さらに二人の人殺しが一緒に十字架に付けられ、一人はイエスの右、もう一人は左に置かれた。
通りかかった人々は、イエスをののしり、頭を振って言った。
神殿を壊して、三日で建てると言う者よ、自分を救ってみろ。もしお前が神の子なら、十字架から降りてみせろ。
同じように大祭司たちも、律法学者や長老たちと共に嘲って、言った。
他人を救っても、自分を救えないとは。
イスラエルの王なら、今すぐ十字架から降りることだ。そうすれば信じてやろう。
こいつは神を頼りにしている。お望みなら神よ、彼を救いたまえ。何しろ彼は言ったのだ、「私は神の子だ」と。
共に十字架に付けられた殺人者たちも、同じようにイエスをののしった。
地名の「ゴルゴタ」をイエス受難の象徴としてます。「ウィーン=音楽」みたいなものですね〜。
伴奏は、これまでにないちょっと異様な響きが聞かれますよ。
No.59 MIDI (4.3KB、1分32秒)
ああ、ゴルゴタよ、不幸なゴルゴタよ!
栄光の主は恥辱にまみれてここで滅びようとしている。
この世の祝福と救いは自ら呪われて十字架に付けられる。
天と地の創造者は大地と大気を奪われようとしている。
咎(とが)のない者がここでは咎を負わされて死ななくてはならない。
これは私の魂をさいなむ。
ああ、ゴルゴタよ、不幸なゴルゴタよ!
十字架上のイエスの姿が「私たちを抱こうと手を広げている」ように見える、なんて意味合いがあるようです。命令形→第2合唱が疑問形で返すという流れが、No.1に似てますね。
音楽の意外な穏やかさは、もしかしたら対比で次のシーンの緊迫感を強めるためかも。
No.60 MIDI (18.1KB、3分51秒)
見なさい、イエスは私たちを抱こうと手を広げておられる。
来なさい!
どこへ?
イエスの腕の中に。
救いを求め、憐れみを受けなさい。
求めなさい。
どこに?
イエスの腕の中に。
生きなさい、死になさい、ここに憩いなさい、
見捨てられた雛たちよ、
留まりなさい。
どこに?
イエスの腕の中に。