戦国城歩き 山中城

静岡県三島市

元箱根の芦ノ湖畔から国道1号線を静岡県の三島、沼津方面に走ると15分程の
ドライブで山中城公園に至る。発掘作業により非常に整備された城跡公園だ。
 ここ山中城の歴史と終焉は凄まじい。関東の覇権を握った小田原北条氏の西側
の前線基地として難攻不落の山城として築城された。天正18年(1590)の小田原
征伐のおりには、豊臣秀吉、徳川家康、山内一豊ら7万の大軍を4千で迎え撃った。
負け組みの歴史は埋もれてしまうため記録は少ないようだが、北条方の武将はこと
ごとく討死しており玉砕に近い激戦だったようだ。

数千の兵が籠城するには狭い城跡は、400年が経っても非常に保存がいい。マムシ
を気にしながら夏草の上を歩くと、甲冑に身を包んだ武将や足軽が走り回っていた時代
にトリップできる。複雑な縄張り、深い堀、障子壕・・・・と城には戦うための、生き残るた
めの人間の知恵が溢れている。夢中で戦国の知恵、ロマンをデジタル・カメラに記録し
た。

ため池は山城にとって生命線。

山中城には物見台としての三層の
天守閣があった。

山中城名物の障子壕。

西の丸には見事な障子壕が残っているが、
猛暑とマムシ、ヘビの恐れから断念。

山内氏の城

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山中城を守る武将の一人に間宮康俊という
北条氏の重臣がいた。彼も激戦の中で討死
しているが、一族は江戸幕府の旗本になり
幕末の探検家間宮林蔵が出ている。
 北条氏と家臣は全国に散らばって、武士や
帰農して名主などになっているので、これから
調べてみよう。


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