太宰治「津軽」

明治42年6月19日に津軽の大地主
津島家に生まれる。

「津軽平野のほぼ中央に位し、人口
五、六千の、これという特徴もないが、
どこやら都会風にちよっと気取った町で
ある。善く言えば、水のように淡泊であ
り、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町と
いう事になっているようである。・・・・・・


小説「津軽」

「津軽」のクライマックスである乳母たけとの再会を果たす小泊。記念館と再会の運動場も
残っている。

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青森市散歩
三内丸山遺跡
津軽半島 竜飛岬

津軽の財閥に生まれた太宰は、金木
の豪邸で、精神的には窮屈な生活をし
ていたらしい。
 戦時中の「津軽」の旅が、彼の波乱
の生涯の中で一番充実していたかも
しれない。

再会の運動場

太宰治 青森の旅
三鷹と太宰治
「富嶽百景」山梨県御坂峠

記念館前の像

津島家は新興商人の大地主で、零細農民
相手の金融業から発展した。父源右衛門は
多額納税による貴族院、衆議院議員を歴任
し「金木の殿様」と呼ばれた。
 太宰治の生家は600坪の宅地に250坪
の大邸宅で、高い煉瓦塀で囲まれ小作争議
への備えをして
現在は金木町太宰治記念館「斜陽館」

青森県北津軽郡金木町



青森県北津軽郡小泊村砂山


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