「富嶽百景」山梨県御坂峠

東京方面から中央高速を山梨へとドライブすると、勝沼の辺りから景色が
開け甲府盆地へとスロープが続く。夕方など、甲府市、石和温泉あたりの
灯かりが綺麗だ。甲府盆地が見え始めると、温泉、豊富なフルーツ、ワイ
ン・・・・と思い浮かべ、何だかワクワクする。山梨へのドライブは好きな
コースの一つだ。
 
 一宮御坂インターから国道137号を、富士山を目指し河口湖へと走る。
途中から御坂峠への旧道を登り、御坂トンネルを抜けると「天下茶屋」が
ある。元は休憩所兼旅館だった処で、太宰治「富嶽百景」の舞台だ。
 太宰は、昭和13年(1938)9月13日に、慕っていた作家の井伏鱒二を
滞在先の天下茶屋に訪ねた。麻薬中毒、離婚とどん底の太宰は11月16
日まで滞在している。
 御坂峠滞在中に、井伏の仲人で甲府の教師(美和子夫人)と見合いを
した。その後、甲府市内で新婚生活を送ることになり、作品も安定期に入り
御坂峠の天下茶屋は太宰の人生の転換期として重要な舞台かもしれない。

 天下茶屋では食事か土産を買うと、二階の太宰コーナーを見学できる。
太宰の滞在期間は秋であったため、空気も澄んで富士山の眺望と紅葉に
疲れた体と心が癒されたはず。
 道を挟んで丘を登ると、「富嶽百景」の文学碑があり、太宰の死後、昭和
28年に井伏らによって建てられた。

「富士には 月見草が よく似合ふ」

天下茶屋と「富嶽百景」文学碑

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歴史・物語の舞台を歩く
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三鷹と太宰治
富士は日本一の山

2002年5月、夏の日差しの中、天下
茶屋前には多くの写真愛好家が自慢
のカメラを構えていた。
 眼下には秀麗な富士山と河口湖が
光り輝いていた。素人でも見事な写真
が撮れそうな、富士山の絶景である。

太宰治の旅ページ

太宰が滞在した部屋

太宰治の旅 甲府市

「私は、部屋の障子戸越しに、富士を見
てゐた。富士は、のつそり黙つて立つて
ゐた。偉いなあ、と思った。」

               「富嶽百景」

山梨は温泉が多いよ
「太宰さんがこられるときはいつも、雨」。この春、御坂峠(河口湖町)に復元した
「天下茶屋」の女主人、外川ヤエ子さんは(83)はそういって、遠くを見る目をし
た。「行儀のいい人でしたね。どんなときでも、きちんと正座していて」
 太宰が「茶屋」に初めて姿を見せたのは昭和13年の夏。井伏鱒二氏の紹介状
をふところに。その年の12月15日まで、ひっそりと滞在した。無口。茶屋を去る
日、別れを惜しむ茶屋の人たちの言葉に、「そんなこというなよ。泣けてくる」。
 木の香りが強い復元茶屋の2階に、当時の部屋が再現されている。太宰が使っ
た火鉢、座卓、花びん代わりのつぼも、当時のものだ。「小説は苦しい、といって
ました。朝になると、Gペンで書いた書き損じの原稿が山のようになっていて」。
自殺する1年前、久々に茶屋を訪れた太宰は珍しく酔い、深夜まで歌をうたった。
「英語のうたでした」
6月19日は桜桃忌。名作「富嶽百景」には、天下茶屋滞在時の生活が描かれて
いる。
                  「天下茶屋」土産物袋より

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