やまがた文庫インデックス
年代順リスト 【8〜16世紀没】〜【20世紀 後半没】



更新:2005. 4.25

※ひとの生涯を1行で記すことじたいにムリがあります。参考程度にとどめてください。


【8〜16世紀没】
【17世紀没】
【18世紀没】
【19世紀 前半没】
【19世紀 後半没】
【20世紀 前半没】
【20世紀 後半没】(1954年没のかたまでが著作権保護期間内です)
【活躍中の人物】
【生没年の未確認の人物】


【8〜16世紀没】
崇峻天皇561?-592 暗殺
600 崇峻天皇第三皇子蜂子、羽黒山を開いた説あり
606 能除上人、月山と湯殿山を開いた説あり
645 大化改新
658 越の国守阿倍比羅夫、蝦夷を征討する。酒田吹浦に寄る
役小角634-701頃 699年伊豆に流される。701年赦免
行基668-749 河内。寒河江平塩、紀州熊野宮を勧請する説あり
708 出羽郡おかれる。翌年、出羽柵設置
708 陸奥鎮東将軍巨勢麻呂、佐伯宿禰岩湯、紀朝臣諸人ら、庄内遠征
709 庄内蝦夷、藤原京大極殿の朝賀の場で朝貢儀礼
714 養蚕をおこなう
716 最上・置賜郡、出羽国へ編入
718 渡嶋(北海道)蝦夷、出羽国府へ馬1000匹を貢納
724 陸奥国多賀城を築く
737 鎮守府将軍大野朝臣東人、多賀城より出羽国大室駅(尾花沢正厳か)へ遠征
746 渤海人、鐵利1100余人出羽国でもてなされる
749 陸奥国守百済王敬福、黄金九百両を献上する
752 東大寺大仏開眼供養
平群広成?-753 遣唐使。739渤海国より出羽国に到着
774 海道蝦夷が陸奥国桃生(ももう)城を襲撃。陸奥国按察使兼鎮守府将軍大伴宿禰駿河麻呂が都から派遣。蝦夷対朝廷による「38年戦争」始まる(811年まで)
766 百済王文鏡を出羽守となす(-770)
774 百済王武鏡を出羽守となす
785 出羽国、飢餓。百済王英孫を出羽守となす
788 最澄、比叡山寺を創建
789 阿弖流為の軍に朝廷軍大敗。鎮圧のために俘軍として、最上・置賜より参戦

792 藤原仲成、出羽守となる
794 空海、湯殿山権現を開いた説あり
797 百済王聡哲を出羽守となす(-800)
蜂子皇子 6世紀末。崇峻天皇の第一皇子。出羽三山開基説あり
坂上田村麻呂758-811 797年征夷大将軍になる。802年肝沢城を築く。翌年、志波城を築く。
819 空海、金剛峯寺を創建
最澄?-822 徳一と仏法論争『照権実鏡』
徳一749-824 奈良。会津に恵日寺を建立。置賜に巡錫伝承あり
空海(弘法大師)774-835 讃岐。806湯殿山に到る説あり
837 出羽国守小野宗成の要請で最上郡に済苦院(さいくいん)建立許可。鎮護国家のため定額寺(じょうがくじ)が出羽内に6か所建立。大規模写経事業
838 円仁ら入唐。847年帰国。854年天台座主に
839 田川郡に石鏃(せきぞく)ふる。『六国史』より
840 大物忌神(鳥海山)進階される

851 他国にさきがけて陰陽師の設置。北荻(ほくてき)の動きを事前に察知したいという朝廷の要請による。追儺祭(ついなさい)
円仁(慈覚大師)794-864 栃木。860山寺立石寺を開基の説あり
安慧794-868 円仁の高弟。844出羽講読師となってくる
この頃(貞観年間)、新羅海賊の太宰府襲撃、陸奥国での地震
871 鳥海山大噴火。出羽国に漏刻をおく
878 元慶の乱(秋田城を中心に発生した奥羽最大の乱)。出羽国南部は朝廷側の兵站(へいたん)基地に
伴 貞道?-878 最上軍郡司擬大領。流れ矢にあたり戦死
藤原保則825-895 出羽権守。懐柔政策により元慶の乱をおさめる。秋田城を復興
884 飽海郡神宮寺西浜に石鏃ふる。『六国史』より
886 出羽国最上郡が二分されて、最上郡・村山郡に
小野小町825?-900? 歌人
平 良持(良将の説あり) 将門の父。陸奥の鎮守府将軍。祖先は都の皇族
939 天慶の乱。出羽国俘囚、秋田城軍と合戦
平 将門903?-940 下総。926羽黒社殿を造営、五重塔を創建した説あり
如蔵尼? 将門の娘。羽黒山で没した説あり
948 関白藤原忠平、出羽守の贈った若鷹1羽を朱雀天皇へ献上
藤原忠平880-949 将門が仕える
1051 俘囚安倍頼良、叛乱をおこす。前九年の役始まる
源 頼義1051 陸奥守・鎮守府将軍に
安倍頼良(頼時)?-1057 頼義と合戦中死
安部貞任1019-1062 厨川の柵で敗北。前九年合戦終わる
1065 源 義家、羽黒山の本社を改修する
源 信明? 出羽守。1093、館を襲撃され山野へ逃れる
1094 羽黒山麓杉森の衆徒、三十坊善常寺の本尊を奉じて羽黒山の上に移る
1105 藤原清衡、平泉に中尊寺を建てる
源 義家1039-1106 頼義の長男。1063年、出羽守になる
1108 藤原基衡、慈恩寺弥勒堂および釈迦堂を建てる
1114 三井寺の長吏大僧正行尊、羽黒山に光明院を建てる
1116 羽黒山奥の院秘仏、荒沢地蔵菩薩建立
藤原清衡1056-1128 後三年の役を経て、1096年頃平泉へ
寅玄宗? 勧進僧。1140、南陽宮内別所山に埋経
入阿大徳? 真語宗僧。1144、妙法蓮華経を山寺立石寺へ納入
藤原忠実 1148、頼長に遊佐などの荘園をゆずる
藤原基衡?-1157
1157 慈恩寺炎上
佐藤継信1158-1185 屋島で亡くなる
佐藤忠信1161-1186 継信の弟
1186 慈恩寺復興。後白河法王の院宣により瑞宝山と号す
藤原秀衡1122-1187 1170、鎮守将軍に。1172、羽黒本社修造。田川次郎が奉行
藤原泰衡1155-1189 1189、田河行文・秋田致文らに出羽国を守らせる
源 義経1159-1189 1188年、出羽に乱入。衣川にて暗殺
弁慶?-1189
由利八郎維平?-1190 頼朝による追求なるも、のち地頭に
西行1118-1190 1185、長谷堂の滝の山か瀧山か、へ訪れる
後白河天皇1127-1192 1156、勅宣により熊野神社が慈恩寺に勧請
1194 羽黒山黄金堂できる
大泉氏平 1209、地頭。羽黒衆徒から横暴を幕府へ訴えられる
1220 幕府、御家人真田家久を羽黒山の所司代に任ずる
大江(中原)広元1148-1225 1189年、頼朝より寒河江・長井の荘を賜る
1228 山形昌林寺十一面観音懸仏造立
1229 慈恩寺僧侶ら名取新宮寺一切経写経事業に助成
1230 冷害による大飢饉
多田仁綱?-1234 1190年、広元の目代として寒河江に入部
笠間時朝 1236、常陸国笠間郡小山寺に大日如来像を寄進。のち慈恩寺三重塔へ
仁光? 常陸国久慈西郡花蓮如来堂で写経された「大般若経」を米沢新善光寺へ
大江親広?-1241 1192、広元の嫡子。寒河江荘を領。承久の乱後、寒河江に
大江時広?-1241 長井荘地頭。広元の次男
他阿元愚(遊行十代)? 庄内を遊行
二十九代遊行? 庄内で布教中、入寂。その地を藤沢と名付けたという
順徳天皇1197-1242 尾花沢・御所山潜行説あり
了念法明 高麗僧。1251、羽黒山西麓に玉泉寺を建立
1252 鎌倉大仏の鋳造始まる
1259 南陽竹原阿弥陀堂に板碑造立(県内最古)。大飢饉
藤原真綱 1263、若松寺にかけ仏をおさめる
北条時頼1227-1263 廻国伝説。朝日山・御所山・瀧山の修験らが廻国してきた時頼に反抗したため閉山の憂き目にあった伝承あり
長井時秀 1265、鎌倉幕府評定衆になる
一向俊聖 1278、成生荘にて阿弥陀経を布教したという
明信? 親鸞直弟子信海の門弟。長井吉田にて布教
1285 霜月騒動
善鸞1218-1286 1263、羽黒山五台院に親鸞の木造などを寄進
出羽山伏 北条氏綱と長尾為景との連絡役
長井宗秀 地頭。1300、成島八幡宮を修造
1313 羽黒山五重塔を再建
間 七郎 佐渡雑太。1319、羽黒山頂の経塚に法華経を奉納
1322 出羽の蝦夷蜂起
源 正光・滋野行家 1331、由利郡津雲出郷で十二神将を鋳造し、鳥海山へ奉納
1332 幕府前宰相葉室光顕を出羽に流す。1333年出羽守に任ぜられる
1335 鎮守府将軍陸奥守・北畠顕家、陸奥出羽の兵を連れて足利尊氏と戦う
1337 中尊寺炎焼
北畠顕家1318-1338 陸奥国府。足利尊氏を九州へ敗走させるが、二度目の上洛途中で戦死
1339 足利尊氏、村山郡大寺村に安国寺を建てる
室町幕府評定衆・引付衆 出羽ゆかりの長井・二階堂・中条・安保らがはいる
中院具信 北畠一門。1341、大泉荘藤島城に着任
1354 岩波石行寺に大般若経写経を納める
斯波兼頼 1356年、山形に按察使として入る
天童頼直 1375年、天童城を築造
大泉政氏 1376年、羽黒五重塔を再興
1379 大飢饉
北畠顕信?-1380? 顕家の弟。南朝方。斯波兼頼と対抗
伊達宗遠 1380年、長井道房をおとし置賜郡とする
1383 伊達宗遠、成島八幡宮を造営
伊達政宗(九代)芦名氏とともに鎌倉へ反乱。白川満朝にとめられ、出羽に逃亡、米沢へ身をひそめる
明順? 蓮如の派遣により、酒田湊に浄福寺を建立
道智? 長井。1394-1428年に置賜から大井沢・湯殿山へのみちを開く
1430 山形、慈光明院金銀装笈作られる
細川持之1400-1442 1430年、羽黒山に懸仏を奉納
土佐林光氏? 1446年、羽黒山を修造
武藤淳氏 1462年、出羽守になる
願正坊? 蓮如の弟子。高擶で布教した説あり
1504 雪村、このころ常陸に生まれるか
斯波義定 1514年、伊達稙宗から長谷堂で破れる
上山義房? 1520年、最上義守にそむく。伊達稙宗、上山城を攻めおとす
上山義忠? 1535年、上山(月岡)城をきづいたという
1525 飢饉
1529 郷目貞繁「●湘八景」図巻を描く
1538 庄内、飢渇
1540 飢渇

1542 伊達稙宗・晴宗父子合戦。1548 和睦。晴宗米沢に居城

1546 雪村、黒川の蘆名盛氏に「画軸巻舒法」を授ける
留守六郎?-1555 狩川にて討死
1556 郷目貞繁、慈恩寺弥勒堂に絵馬を奉納
1563 郷目貞繁、天童若松寺に絵馬を奉納
清水義高?-1565 大宝寺氏との庄内合戦にて討死
伊達稙宗1488-1565 1521年、寒河江大江氏を攻める。1536年『塵芥集』をつくる
塚原卜伝1489-1571 足利義輝に仕えた剣客。羽黒山にきた説あり
1574 狩野永徳筆「洛中洛外図屏風」六曲一双、織田信長より上杉謙信に贈られる
郷目貞繁1497?-1577? 寒河江大江の家臣。絵巻や絵馬を描く
1581 鮭延真室川城、落城
前森蔵人 1583年、武藤義氏に謀反、東禅寺(酒田)城主に
日満? 会津。1583年、最上義守、重病の際に義光がまねく
1584 最上義光・天童頼久ら最上八楯を討滅
白鳥十郎長久?-1584 出生不祥。谷地に入部、築城。1577年、信長に馬を献上。仮病の義光に惨殺
伊達輝宗1544-1585 米沢。最上義守の娘、義が嫁ぐ
中山玄蕃 東禅寺。1587年、義光、六十里越街道をこえて庄内進攻のち、庄内の支配をまかせる
本庄繁長・武藤義勝 1588年、上杉景勝の支援を受け庄内へ進攻。十五里ケ原(鶴岡)で激突。最上勢大敗
1590 庄内、検地反対一揆がおこる
1590 蒲生氏郷、勢州松崎より会津若松へ転封
狩野永徳?-1590 「洛中洛外図屏風」
1591 政宗、陸奥岩出沢へ転封。本庄繁長・武藤義勝、一揆煽動嫌疑により領地没収
蒲生郷安? 政宗が岩出山へ移されたのち米沢へ
1594 最上義光、狩野宗秀筆「一遍上人絵巻」十巻を山形市光明寺に寄進
駒姫(お伊万の方)1579-1595 義光の娘。秀次謀反の疑いのさいに、斬首
豊臣秀吉1537-1598 1587年、関東・奥羽両国に惣無事令をだす

【17世紀没】
1603 最上義光、東禅寺城・大宝寺城・尾浦城をそれぞれ亀ヶ崎城・鶴ヶ崎城・大山城と改称
最上義康?-1603 義光の長男。櫛引近で義光に狙撃。自害
加藤清正1562-1611 長男忠広が、酒井預かりの身になる。櫛引に墓
前田慶次?-1612 前田利家の兄・利久の養子。上杉景勝に身を寄せ、米沢へ
1618 慈恩寺本堂建立される
林崎甚助1542-? 居合い術の祖。村山出身の説あり
尊量?-1614 羽黒学頭。別当の宥源と不仲。
最上義光1545-1614 斯波兼頼の子孫。父、義守と対立。1570年より家督
清水義親1582-1615 大蔵。清水落城時の城主。義光の三男。家親の異母弟。家親の命で討伐される
大川与五兵衛父子 加賀。延沢銀山の山師。谷口銀山の繁栄維持。津谷野新田などの開発。のち古口郷の代官に任命
1617 永松銅山発見。最盛期(1688-1716)、仙台商人阿部小平治が請け負う
最上家親?-1617 義光の次男。1614年、長男の死後家督を継ぐ。36歳で急死
1618 上杉景勝、学問の場として禅林寺を創建
最上家信(のち義俊)? 家親の死後、家督を継ぐ
松根光広 家親の死因がおかしいと幕府へ訴える
山辺義忠 幕府に意義申し立て
直江兼続1560-1619 景勝家臣
1622 最上家57万石、全領没収の改易。山形城破却される。幕府領寒河江2万石
鳥居忠政 1622年、岩城平より山形城主に。家康に勲功のあった元忠の子孫
酒井直次 1622年、左沢城主に。酒井忠勝の弟
酒井忠重 1622年、白岩城主に。酒井直次の弟
能見松平重忠 1622年、上山城主に。譜代中の名門。下総関宿・駿府城代からの入府
義姫(保春院)1548-1623 最上義光の妹。伊達輝宗の正室。政宗の生母
上杉景勝1555-1623 1598年、会津に転封。1601年、米沢へ
吉川総兵衛(江戸)・泉谷松右衛門(泉州堺)鉄砲師。1604 知行をあたえられ鍛冶10人などを米沢におくる
太田半七? 下野佐野天猫(てんみょう)の鋳物師。米沢藩御用の細工を命じる
アンゼリス 1623年、山形で布教中捕らえられ、江戸で処刑
1624-1652 谷口銀山盛期。山元は越後碇屋多郎右衛門の次男与次兵衛。領内山見分役にも。
柴谷武右衛門 1624年、庄内藩にて米札制を採用。蔵米は米札で支給
北楯大学1547-1625 1612年、狩川大堰開削。灌漑用の堰をつくる
ディエゴ=デ=サンフランシスコ スペイン。宣教師。1626年おとずれる
1627 谷地領できる
甘糟右衛門信綱?-1628(定勝の代)米沢キリシタン中心人物。北山原にて斬首など70余人処刑
松平大輔昌勝 松平重忠のあと上山へ入部
織田信雄?-1630 小幡城主。信長の次男
1630 鳥居忠恒の時代からキリシタン弾圧。火刑・斬首
1632 延山銀山が幕府直轄に。さかんに採掘
加藤忠広 清正長男。1632年、肥後熊本城没収。酒井預かりとして丸岡領に入る
1633 白岩目安。領主酒井忠重の苛政を江戸奉行所へ直訴。1638のち幕府領となる
佐竹義宣1570-1633 慶長7年、出羽への国替命令でる
高橋太郎左衛門? 1634年、遊佐。目安を幕府へ提出。のち再び大肝煎に復帰
酒井忠高? 忠勝次男の子。このおり余目領が旗本知行地に
1636 尾花沢領2万石設けられる
1636 日光東照宮大造宮完成
淳 海1559-1636 新潟。湯殿山や高野山で修行
伊達政宗1567-1636 米沢。天正19年、陸奥へ移封。慶長6年から仙台に築城
1637 島原の乱
1639 鎖国開始
1639 羽黒山の天肴、湯殿山の祭祠権をめぐり大日寺・本道寺・注連寺・大日坊を幕府へ訴える
小林十郎左衛門 出羽代官。陣屋を谷地におく
松平市右衛門 1641
年、代官に。陣屋は延沢銀山。1688まで4代続く
松平清兵衛 出羽幕府領代官。寛文・延宝の総検地を実施。代官陣屋は長瀞
天海1536-1643 会津
沢庵宗彭1573-1645 但馬出石。禅僧。1629年、紫衣事件で上山へ配流
上杉定勝?-1645 米沢3代藩主。正室は保科正之娘の媛(はる)姫
鮭延秀綱1562-1646 真室川。最上義光期。近江・佐々木の子孫
1647 左沢領、松山藩領となる
酒井忠恒 忠勝三男。1647年、村山左沢と飽海田川から松山藩2万石を立てる
戸沢政盛1585-1648 1622年、真室城主に
松平直基1604-1648 家康次男結城秀康の五男。1644年、保科正之のあと山形藩主に4年。キリシタンの徹底弾圧
松平忠弘 播州。1648年、直基と交代で山形に20年。1692年、再入部
酒井忠解 忠勝七男。1649年、大山藩1万石の建設を幕府より許される
佐野清順1576-1650 修験の先達。直江兼続により羽黒山主に
荒木局?-1654 摂州荒木摂津の守息女。上山にのがれたという説あり
片岡理兵衛?-1660 新庄戸沢藩家老。幼少の二代藩主正誠の命により弟とともに斬られる
宥俊1580-1661 鶴岡。羽黒執行・別当。宥源の弟子。弟子に天宥。開山堂の修造、月山神社の再建、羽黒の大森林を植える
酒井忠勝1594-1662 1622年、信州松代からの栄転で鶴岡城主に。酒井は三河以来の四天王の一人。加藤清正の嗣子忠広を預かる。1638年、大老に任じられる
上杉綱勝?-1664 米沢4代藩主急死。妹三姫は吉良家へ嫁ぐ
1665 小国目安
1665 円空、奥羽・蝦夷地方を行脚し、各地に多数の仏像を遺す
1666 信夫目安
高力忠兵衛 1671年、郡代に。酒井忠義のもと庄内藩政にあたる
保科正之1611-1672 1636年、信州高遠藩より山形城に。徳川秀忠の四男。馬見ヶ崎川修築工事、擶山(たもやま)大堤の堤防修理。1644年、会津へ転封
1672 幕府城米の米置場、酒田に完成
1674 藩の年貢米を藩直営で大阪へ送る
延宝2年 大飢饉
天肴?-1674 吉川安仲坊。羽黒山中興の祖。天海の弟子の礼
お竹大日如来(佐久間のお竹)1623-1680
本明海1623-1683 現存する湯殿山系即身仏で最古
1684 庄内藩、江戸浅草米蔵の防火警備の命を受ける
1684 羽黒山、本山派との争いにやぶれる
土岐頼行1608-1684 1628年、上山へ入部。土岐氏50年間在城。沢庵を厚遇
奥平昌能 宇都宮藩主。1685年、殉死を犯した罪としての左遷で山形藩へ入部
堀田正仲 大老堀田正俊の嫡子。1685年入部。幕閣内の事件による左遷。1年の在城
松平直矩1642-1666? 1686年、堀田正仲のあと入部。そののち松平忠弘、再入部
全海1603-1687 新潟鹿ノ瀬。湯殿山、一世行人。
1689 松尾芭蕉、奥羽を遊歴する
1692 土岐氏大阪城代へ。飛騨高山の金森頼時、上山へ入部。5年間
藤井松平信通 上山へ入封。藤井松平氏は明治の廃藩置県まで続く
西村成政(久左衛門?)1692年、左沢と置賜菖蒲間の航路をひらく。黒滝開削
井原西鶴1642-1693 大阪。作家
呂丸?-1693 羽黒。鶴岡での芭蕉らの接待役。元禄5年、江戸にて芭蕉に再会
松尾芭蕉1644-1694 伊賀上野。1689年『奥の細道』
1695からの連年の凶作
伊藤不玉?-1697 酒田。玄順。医師・俳人
上杉綱憲 1697年、米沢城内に学問所をつくる
河村瑞賢?-1699 1671年東廻航路、翌年、西廻航路ひらく
堀田正虎 1700年入部。3代46年つづく

【18世紀没】
1703 このころ大石田河岸の舟運がもっとも栄える
1706・1717 宝永3、4年の凶作
河合曾良1649-1710 信濃上諏訪。芭蕉の弟子
1717 富士山噴火
1720 ウンカの害による大凶作
鈴木清風1651-1721 尾花沢。俳人・豪商。芭蕉を厚遇
1723 長瀞一揆
1723 幕府が大石田河岸・大石田船を廃止するなど、最上川船制度の大改革をおこなう。その後、舟運はさらに混乱
高野一栄?-1725 大石田。平右衛門。俳人・船宿業。芭蕉が一栄亭に滞在
北楯助次郎 1728年、庄内郡代に就任。享保の改革
1733 「三山行者の数は15万7000余に上り、白岩より奥の村は10年は寝て暮らす位の儲けがあった」『谷地大町念仏講帳』より
1737 このころ上山城下の旅籠屋が発展。伝馬を請け負う条件で飯盛女が公認
松平乗佑? 1746年、堀田正亮ののち、下総佐倉から山形城へ入封
1747 上山一揆
1751 酒田大火
呂笳1662-1751 羽黒験者文殊院。芭蕉に俳諧を学ぶ。呂丸の弟子
1752 谷地農民ら、京都に紅花売買所の設置運動をおこす
佐藤藤左衛門(重光)1692-1752 酒田。江戸中期の植林功労者
忠海1698-1755 湯殿山、一世行人。本明海の甥
1755 宝暦の飢饉。奥羽地方凶作。少雪厳寒。長雨冷夏。庄内は日照り・旱魃。米沢・天童・山形で打ちこわし
1760 置賜北条郷に青苧騒動
森 平右衛門?-1763 藩主上杉重定の側近。竹俣当綱により誅殺
1764 山形藩主松平乗佑、大阪城代に。山形藩は幕領になる
北条六右衛門? 1765年、新庄藩家老となる
1765 春信、錦絵を創始する
酒井忠徳 1767年、庄内9代藩主に。守り役・水野内蔵助(重誠・しげのぶ)、藩政の立てなおしに豪商本間光丘を登用
織田信浮 1767年、高畠へ。1800年、天童へ
1772 2月酒田江戸藩邸、大火にまきこまれ類焼。5月酒田大火
1773 七家騒動。須田満主(米沢藩家老)・芋川正令(侍組頭)切腹など
1775 米沢藩、興譲館設立
秋元涼朝1717-1775 川越藩主。1767年、山形へ転封
1780 大凶作
与謝蕪村?-1783 1779年「奥の細道図屏風」を描く
1783 天明の飢饉。冷害の大凶作。浅間山噴火。庄内藩、酒造禁止・囲籾(かこいもみ)の放出など
織田信邦?-1783 織田家8代、明和事件で隠居
真如海1688-1783 湯殿山、一世行人。
慶玉?-1785 念珠ガ関。盲目。相良十太夫正綱との交友
1785 鷹山、「伝国の辞」家督を譲る
1787 寒河江の窮民、富商をおそう。強借
竹俣当綱1719-1793 鷹山の補佐
1793 米沢藩、医学館を創設し好生館と命名
竹内八郎右衛門? 1795年、酒井忠徳により老中に復活
佐藤藤右衛門?-1797
佐藤藤蔵(重好)1712-1797 酒田。江戸中期の植林功労者・重光の子
高山彦九郎1747-1797 上野新田。勤王家
安島直円1732-1798 庄内藩江戸邸生まれ。和算家
黒井半四郎1747-1799 鷹山米沢、勘定頭。黒井堰をつくる

【19世紀 前半没】
1801 村山一揆。天童久野本明石八兵衛家打ちこわし、三条目小八と山形四日町新五兵衛家へ向かう
本間宗久1725-? 酒田。相場の神様。出羽の天狗
本間光丘1732-1801 砂丘植林。1755より家督
鈴木今右エ門?-1801 庄内。中間小頭
花頂山五郎吉1768-1802 温海。大関。雷電為右衛門を2度負かす
1803 鳥海山噴火
諏訪部権三郎 遊佐。代官
莅戸太華1735-1803 鷹山・竹俣と藩政改革
1805 致道館完成する。1873(明治6年)廃校
古川古松軒1726-1807 備中下道。地理学者
1807 庄内藩士、蝦夷地警衛へ
1809 上山藩、藩校天輔館を設置
出羽の海金蔵 羽黒。(1757-1809運右衛門?)
上杉鷹山1746-1812 日向高鍋藩主秋月種美の次男。1767年より藩主
白井矢太夫1753-1812 庄内藩家老。致道館創設
会田安明1747-1817 和算家
鈴木三治郎1750-? 中山。秋元侯のもとで名刀をつくる
相良清左衛門厚忠1760-? 米沢。相良人形をはじめる
白崎五右衛門1764-1818 酒田。惣火消し世話役。屋根瓦の普及
春日山鹿右衛門?-1822 櫛引。雷電を1敗させる
円明海1768-1822 鉄門海の弟子。
神保容助1743-1826 米沢。興譲館をつくる
菅江真澄1754-1829 三河渥美。紀行家
鉄門海1768-1829 鶴岡。加茂坂をひらく
1830 慈恩寺三重塔建立
良寛1757/58-1831
十辺舎一九1765-1831 駿府。戯作者
1831 織田信義、居館を高畠から天童へ移す
1833 奥羽地方大凶作。庄内一揆
長沼牛翁?-1834 長井。百科随想。『牛の涎』
最上徳内1754-1836 北方探検家
大蔵永常1768-? 豊後。農学
佐藤藤佐1775-? 遊佐升川。庄内酒井の長岡転封を阻止
1837 白岩郷山間の窮民、強訴
小関三英1787-1839 鶴岡。シーボルトの門人。幕府天文方
1883(天保4年)大飢饉
1840 天保、庄内・越後長岡・武蔵川越の三方領地替の命
1840 庄内天保義民 鶴岡。所替え中止に
1845 山形城主、秋元氏館林に移り、水野忠精浜松からくる
芳賀忠徳1782-1848 白鷹。つつが虫病を治療
小林秋谷1793-? 山形旅篭。のし梅を創始

【19世紀 後半没】
一具1781-1853 江戸・天保期 楯岡。俳人。
光明海?-1854 白鷹。大日寺系の一世行人
堀内素堂1800-1854 上杉藩医
1855 庄内藩、異国船来航にそなえ、酒田・西浜3か所に砲台新設
吉高勘解由? 新庄藩家老。1848-1854ころ藩政改革。国産奨励策
庄司箕兵工(直胤)?-1857 正秀の弟子。正秀をしのぐ名刀をつくる
大館藤兵衛1774-1858 櫛引。天保堰を開く
安藤広重1797-1858 江戸。天童藩の依頼で肉筆画を描く
長沢理玄1815-1863 江戸期の医者。種痘を行う
明海?-1863 米沢。15才時失明。大日寺に入門。湯殿山裏口で唯一の即身仏。
白田寿美1825-? 朝日町。子連れ入獄「烈婦」
清河八郎1830-1863 田川。幕府の資金で浪士組を旗揚げし尊王攘夷組織に
1863 米沢藩、京都警衛。新徴組、庄内藩にあずけられる
金子与三郎1823-1867 上山藩士。明新館教授。佐賀の反射炉を見学、大砲の鋳造法をおそわり、洋式砲術を学ぶ。「杞憂臆策」
吉田大八1832-1867 天童藩家老
本間郡兵衛1822-1868 酒田。商人の家。杉田塾蘭学。北斎の弟子。毒殺される
1867 寒河江代官所類焼、柴橋陣屋で政務。長岡役所の新築。庄内藩兵、江戸薩摩藩邸襲撃
1868 奥羽列藩同盟。庄内藩、政府軍に降伏
1868 明治政府、庄内藩へ会津若松への転封を命じる。1869 再度、磐城平への転封を命じられるがいずれも阻止。「御永城寸志帳」
1869(明治2年)大凶作。庄内天狗騒動
水野三郎右衛門1842-1869 山形藩家老
伊藤鳳山1806-1870 幕末の漢学者
雲井龍雄1842-1870 維新政府に仕える
涌井弥兵衛1801-1872 越後生。新庄東山焼を創始
佐藤泰然1804-1872 江戸。田辺信隆の長男。順天堂大学の基
1872 最上川の通船、自由に。松ヶ丘開墾始まる
1874 庄内ワッパ騒動
西郷隆盛1827-1877 戊辰戦争後、庄内へ訪れる。『西郷南洲遺訓』
山田音羽子1794-1877 山形。秋元藩士主婦。『道中絵巻』
佐藤政養1821-1877 遊佐。日本鉄道の父
鉄龍海?-1878 秋田仙北。湯殿山、一世行人。鉄門海が改修した加茂新道の手直し工事を手がける。火薬を用いて岩石を砕いた
1878 山形県師範学校できる
大久保利通1830-1878
芳賀忠庵1825-1879 忠徳の子
1880 栗小トンネルできる
1881 明治天皇、県内巡行
折田平内 1882年、三島のあと県令に
高橋美代1802-1882 村山。勝兵工の祖母 最上川筋の女親分
細谷風翁1807-1882 山形。医者・画家。清河・金子と交遊
板垣董五郎1839-1883 神町。地租減租運動。県議員
渡辺文貞1835-1884 明治画家
A・ローレツ1846-1884 ウイーン。済生館に勤める(1880-82)
細谷米山1837-1885 山形。風扇の子・医師。
森藤右衛門1840-1885 自由民権論者。山形県会議員。ワッパ一揆の指導者
1886 コレラ流行
三島通庸1835-1888 1876年、初代統一県令に。福島事件などの三大弾圧事件をおこす。のち警視総監
1889 大日本帝国憲法発布・日清戦争
苅谷忠貞?-1890 新潟天王新田。庄内へ本間久七と交友。医師
斎藤篤信1825-1891 米沢。山形県師範学校初代校長
松森胤保1825-1892 鶴岡。松山藩家老。山形県会議員
鈴木信教1843-1892 大郷。社会福祉の先駆。郡山「いま良寛」
宮城浩蔵1852-1893 天童。司法官・政治家。山形日報創刊。明治大学創立トリオのひとり
1893 酒田・山居倉庫設立
C・H・ダラス1842-1894 ロンドン。米沢にて外国語・文化教育
高橋由一1828-1894 栃木。洋画家。県令三島から委嘱をうける
高橋兼吉1845-1894 鶴岡。洋風建築家
1894 山形市南部大火
1895 蔵王噴火
菅原万蔵1825-1895 村山。「君が代」の吟声
田澤稲舟1874-1896 鶴岡。明治の作家
陸奥宗光1844-1897 和歌山。外交官
菅原白龍1833-1898 長井。南画家。北野天満宮の神主の子
海老名徳太郎1844-1898 村山。村の公共事業をおこなう
奥 好義1858-? 酒田。「君が代」作曲
佐藤流葉1877-1900 山形。
1899 奥羽線が米沢まで開通
1900 山形・長崎・寒河江・白岩に電灯がつく

【20世紀 前半没】
1901 奥羽線、山形まで達する
大橋乙羽1869-1901 米沢。出版・紀行作家
北條角磨1818-1902 新庄。北條塾・明倫堂講師
正岡子規1867-1902 俳人
高山樗牛1871-1902 鶴岡。明治の文豪。「帝国文学」「太陽」
仏海1828-1903 新潟村上。注連寺・本道寺で修行。請われて注連寺住職に
菅 実秀1830-1903 庄内藩重臣。松ヶ丘開墾の指導者
伊藤嘉平治1852-1903 旋盤および自転車をつくる
1904 山形歩兵第32連隊、日露戦争へ出兵
イザベラ・バード1831-1904 英ヨークシャー
喜早伊右衛門1845-1906 楯岡。東沢溜池をつくる
本沢竹雲1836-1907 山形長谷堂。天童格知学舎を創設
伊佐治八郎1847-1907 福岡県早良郡原村。庄内米育成に貢献。乾田馬耕
大達羽左衛門1853-1907 鶴岡。明治天皇天覧試合。強豪力士
松本 順?-1907 泰然の次男。幕命により医学。初代陸軍軍医総監
斎藤信策(斎藤野の人)1878-1909 鶴岡。評論家。高山樗牛の実弟
1909 天童鎌田温泉発掘
1911 山形市北部大火
宮島栗香1838-1911 米沢。東亜問題の先覚者
大森治豊1852-1911 上山明新館で学ぶ。内蔵外科医。産科手術
田宮五郎1865-1911 谷地。最上ぞうり
1912 軽便鉄道5路線の敷設許可を要望
池田成章1840-1912 米沢。成彬の父。上杉茂憲に仕える。沖縄振興。県会議長
明治天皇1852-1912 1867年より在位
佐藤里治1850-1913 西村山。山形県会議員。三島県政に反対
林 薫?-1913 泰然の五男。外務大臣
1913(大正2年)東北大凶作
笠原平治1865-1914 山辺。桑樹改良者
岸 赤十1829-1915 金山。日本の赤十字運動の先覚
菊地新学1832-1915 天童山元。写真技術者
隠明寺勇象1844-1915 最上。凧絵師
1915 小田切知事・理事官藤井武氏、自治講習所。農村自治の振興
松本十郎1839-1916 鶴岡。北海道開拓の先人。「厚司判官」
青山留吉1836-1916 遊佐。小樽でニシン漁 大網元に
1918 吉川発電完成
多勢亀五郎1849-1919 漆山。製糸工場・女工伝習所を設立
井上円了1858-1919 越後三島。お化け博士
大場茂馬1869-1920 法学博士。指紋法を日本に導入
栗本東明1853-1922 狂犬病予防ワクチンの最初の発見者
日下部四郎太1875-1924 山形志戸田。地球物理学。岩石研究
1925 皇太子、県内巡行
平田東助1849-1925 農商務・内務大臣。産業組合運動の指導者
斎藤外市1865-1925 東田川郡長沼村。力織機、飛行機・魚雷艇発明
菅原利※[#金+栄]1891-? 鶴岡。愛媛・今治タオル育ての恩人
富ノ澤麟太郎1899-1925 山形。作家。「流星」
沢渡貴彦1904-1925 山形。
酒井調良1848-1926 鶴岡。松ヶ岡開墾従事。庄内柿ひろめる
渡辺増三1906-1926 山形。童謡作家。詩人
島木赤彦?-1926
新海竹太郎1868-1927 彫刻家。帝国美術院会員
嶺 金太郎1881-1927 新庄。郷土史家。『増訂最上郡史』
恒葉金次郎1881-1927 新庄。郷土史家
常葉金太郎1881-1927 新庄。郷土史家。
芥川龍之介1892-1927
1928 3.15事件
遠山椿吉1857-1928 山辺。結核予防につくす
阿部亀治1868-1928 東田川郡大和村。「亀ノ尾」の創始者
渋江長四郎1854-1929 山形下条。仏師・人形師。房治の人形を彫る
羽太鋭二?-1929 山形。
重野謙次郎1854-1930 天童。三島県政に反対
伊佐早 謙1858-1930 米沢。郷土史家。久里裁縫女学校の開設に賛同。上杉家記録編纂所の総裁
田山花袋1871-1930
山下源太郎1863-1931 米沢。旧海軍・大将
阿部彦吉1864-1931 山形六日町。電気時計、親子時計を発明
土屋友吉1874-1931 加茂。帆船乗組員。白瀬中尉と南極探検
高橋勝兵衛1859-1932 村山。「県政の大御所」
1932 第一次満州武装移民出発
1933 新庄に農林省積雪地方農村経済調査所設置
木村九兵衛1854-1933 鶴岡。日本農業電化発祥の地 電動ポンプ設置
1934(昭和9年)冷害による大凶作
寺田寅彦1878-1935 東京。物理学・随筆家
ブルノー・タウト1880-1935 独。建築学。
1936 NHK山形放送局開局
中条精一郎1868-1936 米沢。鉄筋コンクリート高層建築の設計
西川須賀雄1836-1936? 佐賀。宮司。神道国教主義の急進派。神仏分離の徹底
1937 仙山線、全線開通
河東碧梧桐1837-1937 愛媛。俳人
黒井悌次郎1866-1937 米沢。海軍大将。日清・日露で戦功をあげる
梅津勇太郎1876-1940 二井宿。粉ミルクの開発
梅津栄助1876-1940 高畠。酪農家。粉ミルクの創始者
星川清躬1896-1940
佐藤秀一1908-1940 櫛引。エスペラント・カナ・ローマ字活動
伊藤清蔵1875-1941 谷地。牧農業発展に貢献
竹田清五郎1865-1942 長井。つむぎ。西方吉太郎らと普及する
与謝野晶子1878-1942
森谷たま1884-1942 谷地。裁縫学校の母
岡本信二郎1885-1942 銚子。
安達峰一郎1869-1943 山辺。国際司法裁判所長。国際連盟理事会理事
松田甚次郎1909-1943 最上。農村活動。『土に叫ぶ』
海野秋芳1917-1943 朝日。
1944 神町海軍航空隊設置
南雲忠一1887-1944 真珠湾攻撃にて機動部隊を率いて戦果をあげる
竹村俊郎1896-1944 村山。萩原朔太郎・室生犀星らと『感情』を創刊
結城よしを1920-1944 宮内。童謡作歌。「ないしょ話」
秦 逸三?-1944 広島。米沢に日本初の化学繊維工場つくる
工藤吉郎兵衛1860-1945 稲の品種改良
関 時発1867-1945
渡辺黙禅1870-1945 山形。
甘粕正彦1891-1945 仙台。満州の影の実力者 父親米沢藩士
阿部正巳1879-1946 飽海郡松嶺。郷土史家
稲毛金七1887-1946 東置賜漆山。教育学者
斎藤慎吾1887-1946 鶴岡。
1947 農地改革
幸田露伴1867-1947
五十嵐 力1874-1947 国文学者、文学博士。『源氏物語』研究
三浦新七1877-1947 山形旅篭。両羽銀行再建。「郷土研究叢書」
横光利一1898-1947 福島。作家
渡辺徳太郎1870-1948
小西重直1875-1948 米沢。教育学。労作教育。京大滝川事件のときの総長
板垣征四郎1885-1948 盛岡。
村山俊太郎1905-1948 福島須賀川。教育労働組合をつくる
木村芳松1915-? 南村山西郷。どじょうをとって税金をおさめた
河上 清1873-1949 米沢。評論・ジャーナリスト
日塔貞子1920-1949 西里。詩人
1950 蔵王山、日本観光地100選・山岳の部第1位に
池田成彬1867-1950 戦前日本の銀行家
佐藤栄助1867-1950 東根。佐藤錦(桜桃)の生みの親
小磯国昭1880-1950 新庄で育つ。陸軍大将・終戦時総理大臣
石原莞爾1886-1950 関東軍参謀時代、満州事変を惹起
出羽ヶ岳文治郎1901-1950 上山。巨人力士

【20世紀 1950年代没】
結城豊太郎1877-1951 赤湯。戦時経済をリード。日本銀行総裁
島貫広吉1888-1951 米沢。
宮本百合子1899-1951 東京小石川。作家。宮本顕治と結婚
加藤千晴1904-1951 酒田。
沢渡 恒1916-1951 山形。
森 英介1917-1951 米沢。詩人
菅原志津1934-1951 鶴岡。
久米正雄1891-1952
斎藤茂吉1882-1953 上山。医師・歌人。アララギ派
折口信夫1887-1953 大阪。国文学者。「雄勝の山」「余目」「陸羽西線」
後藤岩太郎1891-1953 左沢。「最上川舟唄」歌い手
板垣芳男1897-1953 村山。
伊東忠太1867-1954 米沢。建築学者。社寺建築家
相馬好衛1919-1954 詩人
保科孝一1872-1955
松岡俊三1880-1955 楯岡。衆議院議員。雪害救済運動を提唱
原田好太郎1895-1955 山形鉄砲町。技術者

1956 アメリカ軍、神町キャンプを返還
佐野利器1880-1956 白鷹荒砥。耐震建築の創始
吉田絃二郎1886-1956 佐賀。作家
九里とみ1872-1957 米沢。九里裁縫女学校をつくる
大川周明1886-1957 酒田。国家主義者。大東亜共栄圏の首謀格
椿 貞雄1896-1957
阿部六郎1904-1957
阿部次郎1883-1959 松山。夏目漱石門下。哲学者。『三太郎の日記』
高橋英雄1877-1959 天童。はなかみ先生



トップページ / 作者リスト / 作品リスト / 年代順リスト / リンク集【庄内】【最上】【村山】【置賜】
やまがた文庫インデックス 転載・引用・リンクは自由です。