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ドライドック

ドライドック#1 ドライドック#2 大成建設の調査内容を説明する横須賀市役所の人

日本初のドライドックは、1871年に作られた石組みのドックです。 ドックの完成は、1号、3号、2号の順です。 2号ドックが遅かったのは、大きいので時間が掛かったためです。 約130年前にできたものですが、今も現役で使用しています。 日本の自衛艦の点検修理が主の様です。 ドックを作る石は真鶴から持ってきたと推定されています。 石組みには日本の城の築城技術が使われている様です。 1号ドックで最初に作った船は横須賀丸で、これは横須賀横浜間で技術者の通勤に使われました。 フランス人が馬を楽しむので、敷地内には馬場があったそうです。 これを記念して150周年行事でヴェルニー公園で馬の何かをしたそうです (見に行かなかったけど)。 3つのドックは独立したものではなく、ポンプや日本最初のクレーンなどを共有していました。 造船所の場所を横須賀に選んだのは、ヴェルニーだそうです。 なんでも横須賀がフランスのツーロン軍港に似てるかららしいです。 ドックの正面のガケに赤と白のひし形のマークがあり、 これは船の出入りのための目印で、戦前からあるものだそうです。

市外から来てる人も何人かいたので、 市役所の方がいっしょうけんめい横須賀の事を話していました。 江戸幕府が出来た頃、オランダ船が大分に漂流しました。 これを聞いた徳川家康は船長を呼び出しましたが、 船長は病気で来れなかったので、 代わりに航海長のウィリアムアダムスと水夫が大阪城で家康に謁見しました。 家康は大砲や鉄砲の事を知りたかったらしいです。 関が原の合戦の後で、家康は船を江戸に持って来るように命じましたが、 途中で漂流して浦賀に着いた。 1853年にペリーが来て1867年意には幕府が倒れました。 つまり、江戸幕府の初めと終わりに外国船が横須賀に来ています。 幕末に、幕臣の小栗上野介は遣米使節として渡米し、通商条約を結んでいいます。 そのさいに見聞きした事から、フランス技術を導入して、横須賀の製鉄所(正確には精錬所)や造船所を作りました。 そして小栗上野介が斬首され後で、遺品を片づけしたら アメリカから持ち帰ったボルトがありました。 船を作るに必要なボルトだそうです。

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