朝日新聞福島版の記事より

「もっともっとうまい酒を」
 

 「まだまだです」「もっともっとおいしい酒を造りたい」「進化しなければ」。インタビューの間、9代目は前向きな思いを何度口にしたことだろう。手には「飛露喜(ひろき)」の一升瓶。会津坂下町にある広木酒造本店の社長、広木健司さんは今や、全国から注目される日本酒の作り手だ。


 「飛露喜」は、
初めての仕込みから数えて4年目を迎えたばかり。だが、1月の今年分の発売開始前も、取り扱う全国の小売店にはさばき切れないほどの予約が舞い込んだ。その健司さんが切り出したのは、こんな一言だった。「一時は廃業も考えました」


 広木酒造本店は江戸時代後期、文化文政年間の創業。「泉川」のブランドで知られた蔵元だった。健司さんは東京の大学を卒業後、会社勤めにあこがれて東京の洋酒メーカーに入社した。

 94年、故郷に戻った健司さんに苦難が待ち受けていた。2年後、20年近く務めた杜氏(とうじ)が高齢となり、蔵元を去る。父親の健一郎さんと2人で酒を造らなければならなくなった。当時の広木酒造本店は普通酒が主力商品。「本意ではない酒を造ることで父親とよく口論しました」。翌年、父親が亡くなる。一人になってしまった。「いよいよ幕引きかな、
最後は自分の好きな酒を造ろう」

 そのころ広木酒造本店をテレビ局が取材した。「将来、子供たちに
『お父さんは昔、こんな仕事をしていたんだよ』と話すのもいいかな」。そう思って受けた取材だった。小さな蔵元を切り盛りする姿は、ドキュメンタリー番組として放送された。

 番組を、東京都多摩市の小山喜八さんが見ていた。広く知られた地酒専門店「小山商店」の社長だ。小山さんから、電話で励まされた。「うまい酒を造れ」。試しに造った酒を送った。「この味では、首都圏では勝負出来ない」。厳しい言葉が返ってきた。

 当時、日本酒の世界では「十四代」が新風を巻き起こしていた。山形県村山市の高木酒造が造る芳純な酒。評判を聞きつけ、初めて口にした健司さんは、奥行きのある味に圧倒された。「こんなうまい酒は、おれには造れない」。悔しさが、逆にバネになった。

 酒米の五百万石を大吟醸なみに削った。酒米を水につける時間をタイマーできっちり計った。可能な限りの投資をし、蔵の設備を新しく変えた。
「喜びの露が飛ぶ」。そんな思いが込められた酒は、口に含めば、うまさが小宇宙のように広がる味に仕上がった。「端麗辛口」で一世を風靡(ふうび)した新潟県の酒とは、明らかに異なる独自の風味。

 99年、こうして出来た「特別純米無ろ過生原酒・飛露喜」を小山さんに送った。小山さんからの返事は「100本もらおうか」。3日後、「またもらおうか」。相次ぐ注文にラベルを印刷に回す余裕はなく、
母親の浩江さんが一枚一枚、「飛露喜」と筆で手書きした。毎日書き続け、母親はけんしょう炎になった。


 郡山市の酒店「泉屋」の2代目、佐藤広隆さんはドキュメンタリー番組を見て以来、健司さんに小売店の立場から支援し、助言してきた。「今年の酒には、広木さんの意志がはっきり表れるようになった。決して洗練された味ではない。でも、何かほっとする、あったかみのある個性的な味に仕上がった」

 東京を中心に「飛露喜」の名が広まり始めた。広木酒造本店の売り上げは、5年前の倍近くになった。「飛露喜」が全国ブランドに成長したことは、小さな蔵元にも無限の可能性があることを示した。

 「酒蔵を背負って、おれも、ちゃんと生きているよ。そう言える酒を造り続けたい」
常に進化すること。それが、時にけんかをしたけれど、酒蔵をしっかりと残しておいてくれた父親への、感謝のあかしだと思っている。
飛(とぶ)、露(つゆ)、喜(よろこぶ)。
 “喜びの露(酒)、ほとばしる”。
 名字の “廣木” に由来する、飛露喜の誕生。
飛露喜を初めて口にしたのは、東京の酒屋さんで。
メディアで注目されているこの酒を、手に入れたいと探し歩いて口にしたとき、私たちは驚き、どうしても酒メニューに加えたいと思ったのです。
日本酒と焼酎に夢中になるきっかけとなった酒、それが飛露喜です。
「廣木酒造本店」があるのは、会津地方西部の会津坂下(ばんげ)町、新潟に抜ける越後街道に面している。人口は2万人だが、古くから酒造りが盛んで、現在も3つの蔵が酒造りに励んでいる。
創業は江戸時代中期の文政年間。かつて会津若松と新潟を結ぶ越後街道沿いの宿場町として振るわいを見せた地に廣木酒造は創業した。1996年、19年勤めた杜氏が高齢のため引退。翌年、先代である実父と造りを始めるが1年後にその実父が逝去。心の準備もないまま廣木健司さん(34歳)は蔵を継いだ。
1999年突然現れた “飛露喜” は、瞬く間に地酒ファンの間で噂になる。
現在、「飛露喜」は引く手あまたで、蔵にも在庫はない。「一歩でも自分の酒造りの質を向上させたい」と、毎年夏には少しずつ蔵を改修。席を見据えた酒蔵造りにまい進している。一升瓶のラベルの文字は蔵元のお母さん、廣木浩江さんの手による。

9代目兼杜氏を含め蔵人は7人。皆地元で農業を営む。先代からのつながりで気心の知れた仲間だ。少量生産ならではのメリットを生かし、手間暇を掛けた温もりのある酒を醸している。 
前列中央が廣木健司さん、左がお母様