日本酒のことをもっと知りたくて、日本酒を造っている蔵に行ってきました。これからも、どんどん出かけます。 訪問した順番に酒蔵めぐりを更新していきます。 訪問先の蔵元のみなさん、温かく迎えてくださってありがとうございます。 |
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●美しい会津若松景観賞受賞建造物 ●会津若松市歴史的景観指定建造物 |
末廣 HP 訪問日 2002年7月17日(水) 「嘉永蔵」 かえいぐら 〒965-0861 福島県会津若松市日新町12-38 電話 0242-27-0002 営業時間 9:00〜17:00 年中無休(大晦日・元旦のみ休み) 入場無料 |
会津若松市日新町にあるのが、「嘉永蔵」。 黒船来航の3年前、1850年(嘉永3年)に創業した末廣酒造の原点である。 会津藩主・保科正之の家臣として家を興し、会津藩の御用酒倉として名をはせていた新城家から、初代・新城猪之吉が分家独立し、酒造りを始めた。 この「新城猪之吉」は代々襲名していく名前で、現在は6代目、次期7代目の親父さんも新城猪之吉である。大正4年(1915年)には「末廣」が宮内庁御用達の酒に選ばれ、さらに昭和にかけての各種品評会にて数々の賞を受けることとなる。 3代目猪之吉は進取の精神を持っていた。酒は家人と雇人だけで造っていた時代に、福島県で初めて山形県大山から大山杜氏を迎えた。以来、長い年月をかけて会津杜氏を育ててきた。また、交通の便の悪さもあって、会津の酒は外へ出ようとしなかった当時、本宮、郡山、東京へと進出。明治40年代には生産量で会津で1.2の酒造蔵となった。 5代目猪之吉の時代、酒造りは米作りからと、会津の200件の農家と契約。そして、理想の米作りをする為、農協と有機肥料を共同開発し、自家製酵母を開発。 そして現在、6代目と7代目(予定)の親父さんは、現在の技術と理論を武器に原点に帰ろうと挑戦している。 医聖・野口英世も愛した酒蔵には、母のシカさんと訪問した際に残した直筆の書が飾られている。シカさんが、英世の手が治るようにと観音様にお参りする前に立ち寄って、朝食をとっていたという囲炉裏も残っている。酒蔵イベントホールでは、国内外からトップミュージシャンを招いてコンサートを行っている。ホームページから、イベント情報が見られます。 平成8年に新しく完成した「博士蔵」。多くの施設はこの新工場に移り、厳密なデータに基づいた生産管理で酒を造っている。末廣の伝統を「嘉永蔵」で受け継ぎ、郊外の会津高田町にあるハイテク工場「博士蔵」では最先端技術を用いた酒造りが行われている。 |
会津若松の老舗「末廣」から 新しいタイプの微発泡酒の登場。 大田原に初上陸! 大田原では、 俵寿司だけで飲めるお酒です。 微発泡性清酒 「ぷちぷち」 シュワシュワとキメ細かな泡立ちが クセになる美味しさ。 低アルコール(7%)なので、 お酒に弱い方や女性の方にも オススメです。 ほのかな甘みと酸味があり、 食前酒にも向いています。 |
高橋さんの従兄弟が描いたスケッチを印刷した絵葉書。 試飲会の後、丁寧にご挨拶のはがきを送ってくれた。 |
会津娘 HP 訪問日 2002年7月17日(水) 『会津娘』 醸造元 高橋庄作酒造店 〒965-0844 福島県会津若松市門田町大字一ノ堰字村東755 電話 0242-27-0108 日本酒は本来純米酒。その土地の人がその土地の米と水を使い、その土地の手法で仕込む『土産土法の酒造り』を目指す、会津の地酒蔵です。 |
6代目(予定)蔵元は、酒造りの中心となって ひたむきに努力している |
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初めて「会津娘」のお酒を飲んだときからその美味しさの虜になり、東京で行われた試飲会で、はじめて若き(次期)蔵元に会うことができた。会津若松市内ならば大田原からはわりと近いのだし、いつか訪問したいと思っていた。 私たちと年代も近い蔵元の息子さんが酒造りの中心となっている。 「酒蔵で大切なことは、どんな人が何を考えて造っているのか。」と、熱く語ってくれた蔵元の言葉が印象的だった。実際、会津若松にある17蔵のうち、もっとも小さい250石だということを、謙遜ぎみに話しながら、それでも「今ある規模と道具で120%できることを考えてやるんだ」という情熱が伝わってきた。 蔵の前に広がる自家栽培の酒米「五百万石」は、蔵人みんなで手作業で植えたもの。紙マルチという方法で農薬を使わない。秋には「収穫祭をやるので、ぜひ来てください。」と言っていただき、実際に9/15(日)に行われる収穫祭の案内状を送ってくれた。本当に行きたかったのに、祝祭日は自分の店が忙しいので、二人で出かけることは叶わなかった。いつか別の機会に訪問したい。 これからも末永くお付き合いしていきたい。 |
蔵の玄関先で、亘さん(右)と利尚 |
創業は嘉永2年。無類の相撲好きだった |
東力士 HP 訪問日 2002年9月11日(水) |
今回は見学することができなかったが、島崎酒造は「洞窟貯蔵庫」というものを持っている。 |
那須岳を源とする清流、 那珂川の良水に恵まれた烏山町で 「東力士」は造られる。 その日本酒度はマイナス8 (簡単にいうと、とても甘い)。 淡麗辛口の傾向が流行る中、 今でも、濃醇甘口の旨みにこだわる。 昔から塩分摂取量が多い 栃木県北部の食文化によって、 自然と求められる味でもあるからだ。 清酒のほかにも、梅の酒 (焼酎で漬けた梅酒とは異なり、 日本酒で造った梅のお酒)、 ブルーベリーの酒、栗の酒、などなど。 酒粕で漬けたクリームチーズ、 生姜、らっきょう、にんにく、奈良漬など、 それはもう商品開発に余念が無い。 いろいろ試飲・試食をしてみるのも面白い。 |
向かって右端が、5代目蔵元であり杜氏の鈴木明美さん。 前列中央が、ご主人の孝教(たかあき)さん。 お忙しいところ、私達4人の訪問を快く迎えてくださり、 いろいろなお話を聞かせてくれた。 |
天明HP 訪問日 2002年10月9日(水) |
私達は家族4人で「天明」醸造元、曙酒造を訪れた。 お仕事中にもかかわらず出迎えてくれたご主人の孝教さんが案内してくれたのは、建てられてから100年くらいという蔵の中に造られた蔵座敷。重厚な扉の中には20畳以上の広間があり、すばらしい欄間と、金の屏風、和紙製の照明が備えられていた。蔵座敷を現在の状態に改装したのは最近のこと。3年連続で全国清酒鑑評会の金賞を受賞した祝賀会を催すために内装を新しくしたという。天井が高く、静かで落ち着く空間だ。 明美さんは5代目の蔵元になる。 4代目は明美さんのお母様、3代目はお祖母様と、女性の蔵元が3代続いている。 先代の蔵元が亡くなってから、明美さんは夫の孝教さんと共に蔵元を継ぐ決心をする。そして、福島県が主催する「酒造アカデミー」という杜氏養成学校で一から勉強し直し、各地の蔵を訪ね歩いて、3年間勉強を重ねた。 勉強を続ける中で他の蔵が造る良い酒に出会って、味を当時の杜氏に伝えようとしたこともあった。 しかし、杜氏と明美さんたちの意見はうまく折り合わず、ついに明美さん自身が杜氏になる決意をする。 平成9年、自分達だけで初めて造った酒に 再出発の意味で「一生青春」と銘名。 4代目蔵元が「相田みつお言語録」から好きだった言葉「一生青春 一生勉強」を選んで贈った。「酒造りも同じ気持ちで造り続けてほしい」と。 明美さんの酒造りは自然体。ご自身の言葉を借りれば、「自然と健康がテーマです。毎日お飲み頂く酒だから、体にいいものを、自然のままを大切に、何もたさない 引かない 安心で美味しい。当たり前の事を、正直にやる事 それが私達の酒造りの原点です。」ということだ。 「天明」の酒は、全て「無ろ過」だ。春に飲んだ「天明」には「無ろ過生原酒」と表記されていたが、「無ろ過」の記載がないものもある。何が違うのか尋ねてみると、「全部の酒が無ろ過なので、いちいち”無ろ過”と記載しなくなったのです。日本酒の全体的な流れの中でも”無ろ過”ということには十分な役割を果たしたと思っています。」とのことだ。 そういえば、今春は「無ろ過生原酒」と銘うった酒が、本当に多かった。日本酒の流行のど真ん中だったと言っても良いくらい。 酒造りのことから、試飲会のこと、蔵元の家族のことまで、いろいろな方面へ話題はふくらんだ。 4代目蔵元である明美さんのお母様は「鈴木 孝(たか)」さんという。3代目蔵元であるお祖母様は「鈴木 光(みつ)」さんという。どちらも、読み仮名がついていなければ、男性の名前かと思ってしまうような名前だ。 これは、酒造りが男の世界であり、女性の蔵元が「女だから」といってバカにされないように、という配慮からの命名だという。 全国でも蔵元であり杜氏まで務める女性は明美さん一人だ。そして、夫の孝教さんが、その仕事を光となり影となって支えている。夫婦で造った酒は、全国清酒鑑評会で3年連続の金賞を受賞。2年連続で福島県清酒鑑評会で、県内89蔵のトップに輝いた。 一度味わえば、きっと忘れない記憶に残る酒「天明」。ご夫婦はこれからも、ずっとずっと成長を続け、自然体の美味しい酒を造り続けることだろう。 |
明美さんの酒造りを取材した 「毎日新聞」の特集記事があります。 曙酒造さんの蔵と、 廣木酒造さんの蔵は近い。 会津坂下の水はとても美味しく、 米もいい。 どちらの酒も最高に旨い。 |