日本酒をこよなく愛する写真家。
温かい視線で酒を醸す人々と、
滴る酒の一雫までを撮る。
俵寿司店内に、名智さんの作品
『田酒』、『開運』、『酒蔵』、『天狗舞』
をパネル展示しています。

酒・酒蔵 履歴  名智健二(写真家)

1982年 取材先の青森で地の酒を呑み、日本酒の旨さを知る。これ以降日本酒に目覚め、地酒探しの旅でひたすら呑む。
1993年 山形県にある『十四代』(高木酒造)を初めて取材。
1994年 雑誌「シンラ」(新潮社)に『ある酒蔵の物語・十四代』を発表。”芳醇旨口無濾過純米酒”の世界を広げる。
1996年 「シンラ」の取材で初めて『天の戸』(浅舞酒造)を訪問。
1997年 「シンラ」に『千石蔵物語』を発表、天の戸が全国に知られる。
1998年 『天の戸』写真ハガキ12枚セットを制作。これ以降各地の酒蔵を取材。
2000年 『天狗舞』(石川県)写真ハガキ12枚セットを制作。
2001年 雑誌「ダンチュウ」(プレジデント社)に”芳醇辛口純米酒”のテーマを発表。
『酒蔵』写真ハガキ12枚セットを制作。
2002年 『開運』(静岡県)、『田酒』(青森県)の酒蔵を取材。写真ハガキ12枚セットを制作。
2003年 『浦霞』(宮城県)写真ハガキ12枚セットを制作予定。

日本酒のことに関しては、教えてもらえることがとても多く、まだ若くて勉強中の私達には『大先生』だ。日本酒の選び方、売り方、酒器のこと、味のこと、食事との相性、お客様と酒の相性、短い時間ではあったけれど、ためになることばかりだった。
名智さん、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします!
写真家・名智健二さんが俵寿司に立ち寄ってくれた。
雪でも降りそうな、うす曇のクリスマスイヴ。
ひげを生やしたサンタクロースが来てくれたみたい。

名智さんは、冬になって酒の仕込みが始まると、酒蔵の写真を撮影するために酒蔵にこもっている。
今日も宮城の銘酒『浦霞』の撮影を終えて東京に帰る途中、那須塩原ICを降りて俵寿司へ来てくれたのだ。

名智さんとの出会いは東京の酒屋が主催する日本酒の試飲会で。
『飛露喜』の廣木健司さんと2ショットの写真を撮ってもらいたくて、私のデジカメを一番近くにいた(こともあろうに)名智さんに手渡し「シャッターを押してください。」と頼んでしまったところから始まる。写真を撮られながら「高くつきますよ。」と廣木さん。「なんで??」と思いつつ、名刺を交換すると『写真 名智健二』の文字が!良く見れば、名智さんの肩からは大きなカメラも提げられてる・・・!

この無礼極まりない出会いから半年、秋の吟醸酒メッセで、名智さんと再会することができた。
赤坂プリンスのロビーで名智さんを呼び止め、過日の非礼を説明しつつお詫びすると、私のことをなんとなく覚えていてくれたようだ。「じゃあ、せっかくだから」と、出来たばかりの『田酒』、『開運』のポストカード(12枚組)までいただいてしまった。
大田原へは仕事で来たことがあり、俵寿司が昔から取引をしている酒屋さんへも行ったことがあるという。

吟醸酒メッセから帰ると、さっそく手作りのパネルでフォトギャラリーを作成。お客様が一番良く見てくれる場所に展示することにした。実際、パネルの威力は大きくて、写真を見て「田酒は置いてあるの?」と聞いてくるお客様も続いた。

その名智さんが来店してくれたのだから、私達は嬉しくて仕方が無い。年齢は、50歳をとうに過ぎているというけれど、顔を見て話しているときに受ける印象は40代くらい。日本酒を飲んでいるせいか、お肌もツヤツヤで若々しい。