産経新聞
H15/7/22より |
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こんにちは、山村若です。山村流の六代目宗家と、若の名を、祖母より継いで十一年。山村流は、大阪で生まれた舞の流儀です。 日本舞踊には、踊りと舞があると言われています。歌舞伎舞踊から舞台芸術のまま発展したのが、関東の“踊り”、座敷にて発展したのが関西の“舞”です。
商いの街・大阪では、人々が集い、座敷という空間が、交流やもてなしの場として重要な意味を持っていたのでしょう。半畳でも舞える『 座敷舞 』、主として演奏に地唄を用いたので『 地唄舞 』、関東の踊りと区別 するため『 上方舞 』とも呼ばれています。
地唄とは、地ビール、地酒と同じく、土地の唄、特に“上方の唄”を意味しています。検校 ( けんぎょう ) ・ 勾当 ( こうとう ) という盲目の演奏家が、三味線、琴、胡弓 ( こきゅう ) を用いて、研ぎ澄まされた聴覚でもって作り出した音楽です。
地唄舞は、米の売買に訪れた各藩の武士のため、侍の嗜 ( たしなみ ) みであった能より作られた『 本行物 ( ほんぎょうもの ) 』、動物など面 白おかしく歌い込んだ『 作物 ( さくもの ) 』( 滑稽物 こっけいもの )、切ない恋心を詠んだ『艶物 ( つやもの ) 』などがあり、限られた空間で季節や風情・風俗をかいつまんで見せたエスプリ ( 精髄 ) の芸術です。
武家中心の男性的な江戸文化に対し、商人が作り上げた上方文化は、人々の暮らしの中 ― 座敷にて息づいていたのです。 谷崎潤一郎の『 春琴抄 』は、地唄の世界を描いた作品です。『 細雪 』で四女・妙子が舞うのが、山村流の『 ゆき 』です。今も師範試験の課題曲として、大切に舞われています。
十八歳の春、五代目を継ぐはずだった母を亡くしました。女性らしい舞と称される山村流を継ぐ事に葛藤がなかったわけではありませんが、最近になって、宗家として自分にしか出来ない事が見えてきたような気がします。そんな心境の変化からか、女性の内面 を切々と詠ったこの名曲をようやく今年、初めて舞台にかけました。
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