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山村流六世宗家 山村若
花の心風の姿(三)「私の生きていく道」
産経新聞
H15/8/5より

 「 初代と二代目さんが、男やったさかい、武 ( 私の本名 ) が後を継いでもかまへんなぁ」。四天王と呼ばれた高弟( 若栄・若しげ・若津也・楽正 )に祖母は折に触れて相談していたという。

 山村流の舞は、『 やまと仮名の女文字 』と喩えられたほど、女性らしい舞とされていたので、祖母は悩んでいたのだろう。ただ、家庭を持ちながら、家元として一家を成すことの難しさを身にしみて感じていたに違いない。

 芸の家の人間は結束が強いようで孤独なものだ。私はこの家で生きていくため、子供のころからずっと考えていた。『 母が、五世を継ぐ。地唄舞は、妹 ( 光 ) のほうが向いている。自分には、何が出来るだろう? 』  物心付かないころは、稽古場で無邪気に舞っていた私も、思春期になると、白粉をつけ舞台に出ることへの恥ずかしさを感じて、舞踊会では専ら後見 ( 裏方 ) の手伝いをするようになっていた。母が亡くなり、当然、後継ぎの話がでる。それでも、私は相変わらず、自分の居場所を見出せずにいた。

 そんな時、「 初代さんが振付けた『 歌右衛門狂乱 』という曲がある 」と、大叔父 ( 若禄次 ) が薦めてくれた。恋人を失った若者が春の野に彷徨うという歌舞伎舞踊で、山村流の特徴である二枚扇を遣う難曲だ。“要返し・ひじ返し・地紙取り・山越え・たすき掛け・・・”曲芸になってはいけない ― 二枚扇は、戯れ飛ぶつがいの蝶であり、恋に狂う男の心そのものなのだ。

 扇遣いは好きだった。子供のころ、既にスターだった楽正の扇さばきを見たその日から枕元に扇を置き、練習というよりおもちゃ代わりに真似ていたからだ。

 山村流の流祖・友五郎は、三世中村歌右衛門に振付の才能を認められ、振付師となった。『 歌右衛門狂乱 』は、まさにその歌右衛門に振付けられた曲だ。地唄舞は、山村流の主流ではあるが、すべてではない。源流には、歌舞伎舞踊があるんだと、生きていく道をやっと、見出した気になった。

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