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花の心風の姿(五)「伝えたい上方の匂い」
産経新聞
H15/8/19より

 「 夕暮れになると街に灯が燈る。男衆 ( おとこし ) さんが水を撒かはる。辺りにぷーんと白粉のええ匂いがして ― 身支度をした芸妓さんが、床几 ( しょうぎ ) に座ってはるおばあちゃん ( 三世宗家 ) に、『 お師匠 ( っしょ ) さん、行てきます』と挨拶して行かはるから、『 ああ、昨日教 ( おせ ) た手ェ、間違えなや 』と声かけはるのや 」 と 大叔母 ( 久子 ) は、昔を懐かしんで語ったものだ。

 「 宗右衛門町なんて、そら、きれいな街やったのになぁ 」 と溜息をついていた。

 生まれ育った大阪のミナミで子供たちを育てたいと思った私は、長男の就学を機に越してきた。結婚以来住んでいた北摂は、住みやすい街だったが、息子たちは幼稚園で標準語を話していて、「 こらアカン 」 と感じ、三味線の音が始終している稽古場で育てたいとも思っていた。

 私自身、子供のころから祖父母の住む稽古場の近くに住んでいたが、家には寝に帰るだけで、ずっと稽古場で過ごしたものだ。子供たちの成長につれ、木造の稽古場を住居も兼ねた鉄骨四階建てにすることに決めた。「 新しいお稽古場も、古いお稽古場の匂いするかな? 」 と、長男が尋ねた。こんな子供でも古い家の持つ、なんともいえない土や木の匂いを懐かしむのかと切なくなった。

 昭和二十年の大空襲で大阪の街は焼失した。祖母や大叔母も、先祖の位 牌と名取の扇、免状の判をもんぺに挟んで、逃げ惑ったという。戦後の復興とともに、区画整理され、大阪の街から古い地名や風情が消えていった。

 法善寺横町の炎上をきっかけに、情緒ある街並みを残そうと市民が立ち上がり、行政もそれに後押しされた。京都が建都千二百年と詠われた時、日本最古の宮殿配置の首都 ―・ 難波の宮 ・のことを認識していた人は何人居るだろうか。

 大叔母のまぶたに映った風景を私は知らない。だから、一生かなわないと思っていた。でも、私の体の中には、大阪の祭囃子や、むせ返るようなにぎわいが染み付いている。山村流の舞に残し、次代に伝えたいものは、上方の匂いなのだ。

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