大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から徒歩10分。
ひっそりとした佇まいを残すお寺や町家を巡りながら、お手軽な歴史散歩に出かけてみませんか? 皆様のお越しをお待ちしています。
【Tourist guide to Jinaimachi town, Tondabayashi, a historic district and heritage site of Japan, Residence of the Okutani family Page2/2】 | |
兜(かぶと)造り 妻面の庇(ひさし)がぐるりと回っておらず、切ったような形をしていますが、かぶとに似ていることから「かぶとづくり」といいます。台形のような開口部ができ、そこに窓が作られています。 寄せ棟造りの屋根の妻部分を垂直に切り落として、二階や小屋根に開口部を設けるようにした、養蚕を行なうために発生した造り。山梨県南部に多く見られる。「兜屋根」ともいいます。 |
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用心堀と岩永橋 東側の城之門筋に沿って用心堀(暗渠)が通っており、架けられた岩橋の耳石に刻まれた文字「岩永橋 (がん恵はし)」は、岩瀬屋が永久に繁栄することを念じて刻まれたと言われている。(複製)城之門筋に沿って筋ごとに小石橋が架けられた。 車両の通行などによる負荷や傷みから守る為に、用心堀に架けられていた現物の石橋は、現在、(旧)杉山家住宅内に保存されています。(現在の城之門筋に架かる石橋は、レプリカ(複製)です。) |
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岩永橋 |
がん恵いはし |
河内長野市岩瀬地区 (2015年9月19日撮影) |
河内長野市岩瀬地区 (2015年9月19日撮影) |
奥谷家住宅 | |
(東)奥谷家住宅 | |
(南)奥谷家住宅 | |
(乾)奥谷家住宅 |
非公開
建築年代
19世紀初期 (1812-29年頃)
所在地
城之門筋・富山町
歴史(由来)
当家は代々屋号を岩瀬屋と称し大阪府河内長野市岩瀬から1772年、この地に移住したと伝えられる。家業は材木商を営み、天保14年(1843年)の村形様子明細帳には3代目「伊右衛門」の名が見られ、村役を務めていたと考えられる。また当家には3代目夫婦の肖像が残っており、大変貴重なものである。
屋号
岩瀬屋
建物の特徴
屋敷地は一区画の東半分。敷地の東南端に母屋を東西棟に配し、敷地の周囲には土蔵、納屋、新座敷を配すなど、近世末の豪勢な構えをよく留めている。妻面の庇(ひさし)がぐるりと回っておらず、切ったような形をしていますが、かぶとに似ていることから「兜造り」といいます。台形のような開口部ができ、そこに窓が作られています。東日本の住宅に多く見られ、二階で養蚕をするため窓をとって通気を良くしています。
(「じないまち瓦版 第7号」 富田林寺内町をまもりそだてる会発行)
寺内町の建築様式 |
屋根・屋根瓦 |
虫籠窓 |
格子窓 |
土蔵 |
煙だしの越屋根 |
鐘馗さん(魔除けの瓦人形) |
袖うだつ |
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